開けられた窓は 何処へ続いていたんだろう 
1日1粒 手に入る夢の欠片は
途方も無いやさしさに満ちていた
何かに 誰かに 「ありがとう」と伝えたくなって
どうしてだろう 少しだけ 泣いた



Behind the Window



つけっぱなしのラジオから,女性パーソナリティーの明るい声が流れてくる。
ガスストーブで暖められた部屋の中に,ダージリンの甘い香りが緩やかに漂って
いた。
この部屋の主であるは,硝子テーブルの上に置いてあるマグカップを
手にとり,ふうっと息を吹きかけた。

「わたし,本当いうとダージリンよりもアッサムが好きなんですけどね」

そうぼやきながら,テーブルの真向かいに座っている自分の担任・銀八先生を
ちらりと見やる。
銀八はテーブルの上に肘をついて,窓の向こうに広がっている冬特有の曇り空を
ぼんやりと眺めていた。
いつも通り彼の瞼は半分閉じかかっていて,横顔から知れるその表情はなんだか
とても眠そうだ。
少しだけ間を置いて,銀八はへと視線を向けてきた。
そして銀色の長めの前髪が紅茶の中に入らぬよう気を使いつつ,銀八はカップを
口につけた。

「どっちもそんなに変わんねーだろ。ていうか先生,紅茶の味とか匂いとか違い
 わかんねーんだよね」

うっわ砂糖全然足りねーよこれ,
と,人の母親が出したものにいちゃもんをつけて(つか自分で入れるもんでしょ
砂糖は),銀八は白い陶器に入っている砂糖ブロックを次々に紅茶へ投じた。

「ま,甘けりゃなんでもオッケーだわ」

ありえない量の砂糖を入れる銀八に,の頬は自然とひきつった。

(糖尿病寸前って噂で聞いたけど…
  これじゃ糖尿病っていうよりむしろ『糖病』というか『糖狂い』だわ)

の若干ひき気味の心情を知ってか知らずか,銀八の薄い唇がニッと弧を
描いた。

「うん,うめェや。この紅茶。なんだっけ?ダルメシアンだっけ?」
「…犬を飲んでんですか,先生は。ていうか,そんなに砂糖入れたんじゃー紅茶の
 味わかんなくて当然です」
「いーんだよ別に。そんなもんわかんねーでも生きていけるし。あ,そうだ」

銀八は唐突にポンッと手を打つと,あぐらをかいた膝の横に置いていた紙袋から
直方体の箱を取り出した。

「メリクリ」

ほらよ,と言って銀八は丁寧にラッピングされたその箱を差し出す。
赤の包装紙に,緑と金のリボンがよく映える。
しかしは訝しげに眉を潜め,その箱を見つめた。

「メリクリって……」

壁にかかっている1枚しか残っていない今年のカレンダーを見,

「まだ12月1日ですよ?」
「いーからいーから。黙って開けてみなさいって。超良いもん入ってっから。
 マジで」
「はあ…」
「おいおいなんですかーその呆れたような顔は,。すこぶるノリが悪ィぞ。
 さっさと開けねーと俺が開けちまうぞ」

そういいながらリボンをいじる銀八は,が開けなければ本当に
自分で開けかねないテンションだ。

(なんなのこのテンションの差…)

先程までとろんとしていた銀八の瞼は,今はこれでもかというくらいぱっちりと
開いている。
とうに成人している大人とは思えない,と同年代の子たち(むしろもっと
下の年代の子たち)を連想させるきらきらとした目が,自分を見ている。

(…そういう目,ウザい)

いかにも大儀そうに溜息を一つつくと,は緩慢な動作でリボンを解いた。

「…?」

は,包み紙の下に現れたそれを見て首を傾げた。

…それは本当に『箱』だった。

『箱』以外の何ものでも無い。

ただし,その箱の表面には淡い水彩のタッチで大きなもみの木が描かれていて,
その上には1から25までの数字が書かれた小窓がちりばめられていた。

「これ何ですか?」
「えっとなんだったっけなー。跡部カレンダーだっけな」
「…それ絶対に違うでしょ。よしんばそうだったとしても,わたしは要りません。
 わたしは王国民じゃないんで(手塚の方が好きだし)」
「ああ,思い出した。アドヴェントカレンダーだ」
「…」

たしかに微妙に語呂は似ているな,と心の中では頷いた。

「早い話が『クリスマスのカウントダウン用のお菓子』ってやつだな」

そう言う銀八はなぜか得意げに胸を張って説明を続ける。

「クリスマスに1日近づくごとに1つの窓を開けていくってわけ。一窓ごとに
 1個,お菓子とか小せェオモチャが入ってんだよ。」
「…ふーん」
「で,今日は1日だから『1』のところを開けんだよ」

は自分よりも余程無邪気に子どものように笑っている銀八を半眼で見て,
言い様のない苦々しさを感じた。

(ばっかじゃないの…)

箱の表面を,は爪の先で冷たく弾いた。

「わたしさ…他人の誕生日なんて興味ないんだよね。ていうか,自分の誕生日も
 どーだっていいし。なのに,二千年以上も前に生まれた宗教家の誕生日なんて,
 心底どーでもいいんだけど」
「そっかー?そりゃ随分とまァ損な考え方だな。つか,かなり人生損しちゃって
 んぞ。別に祝う気にはなんねーでも『クリスマス』ってだけでケーキ食えるし,
 チキン食えるし,街歩きゃミニスカサンタのコスプレしたお姉さん見れるし,
 ケーキ食えるし。超お得なイベントだって先生は思うけど。
 それに,プレゼントだってもらえる。
 まァ大人になると『あげる側』になる方が多いけどなァ」

特に男は,と銀八は付け加えて笑った。見るからに緩い―無害そうな笑顔で。
…いつもこうなのだ。
の辛辣な言葉を,この担任教師はあっさり流し,こういう締りのない顔で
へらへらする。
はイライラと眉を吊り上げた。


「銀八先生はいっつもケーキ食べてるじゃないですか。それに,今ケーキ2回
 言ったし。わたしは別にプレゼントなんて欲しくないし。てか,サンタのコス
 プレした女に萌えるなんてキモい。大体『メリークリスマス』ってほざいてる
 大半の日本人がクリスチャンじゃないじゃん。
 クリスチャンでもないのにどんちゃん騒いでさ,馬鹿じゃないの」


明らかに棘のある(というか牙をむいた)の言葉に,銀八は困った
ように苦笑いした。
眉間に少しだけ皺を寄せ,でも唇は緩やかな曲線を優しく描いている。
飼い主にいたずらを怒られた時の子犬のような表情だ。

「………っ」

途端,の胸の底に後ろめたい気持ちが影を落とした。

銀八は時々こういう表情でを見つめた。
この銀八の顔に,は弱い。
なんだか自分がとんでもない我儘(それもものすごく子供じみた)を言って,
困らせている気がしてくる。

はばつが悪くなり,銀八のその顔からぷいと目を逸らして,カーペットの
スイッチ部分に手を伸ばした。
特に意味もなく設定温度を下げてみる。
少しの間気まずい沈黙が続き,そして,

「まァ,そのォ…なんだ」

綿菓子のような頭をぼりぼりと掻きながら,銀八が再び口を開いた。

「祝う口実がありゃー良いんだよ」
「…え?」

銀八の口調は淡々としていた。
はすぐにはその言葉を理解できなくて聞き返した。

「…何の話ですか?」
「クリスチャンじゃねーのになんでクリスマスを祝うんだ,って話。
 『祝う』口実がありゃそれで構やしねーんだよ,人間ってやつァ」

銀八はいたずらっぽく片目を閉じて笑っていた。
と同じ年代の友だちのように,親しげで茶目っ気のある笑顔で。

こういう仕草だけ見ると,銀八は自分よりも余程子供っぽいと思う。
…でも,同時にやはり『大人』なんだとも思う。
自ら無理に背伸びをしない。
自分の感覚を信じている。
身の丈をしっかりとわかっている。
そう思わせる表情だ。

こんな時は銀八が羨ましかったし,こういう大人にだったらなっても
いいと思った。

「ねえ…先生」

刺々しさを引っ込めて,は出来る限り穏やかに口を開いた。

「んー?何?」

あくまで笑みを絶やさずに,銀八はこちらを見つめる。
はアドヴェントカレンダーの表面を指先で柔らかく突付いた。

「『祝う』ことって,そんなに大切?」
「…そうだなァ。何かを『祝う』ことで楽しい気持ちになって,誰かと笑い合う
 ってことは幸せなことだよ」

銀八の答えを聞きながら,は数年前のクリスマスを思い出していた。
自分がまだ本当に小さな子供だった頃。
そういえば,これと…このアドヴェントカレンダーと同じものを貰ったことが
あった。
くれたのは 今は亡き祖母だった。

あの頃の自分には,大きすぎた菓子の箱。
両手で抱えて祖母の元へ行っては,毎日窓をあけていた。
 
菓子が出れば自分の口へ。
オーナメントが出れば部屋の端の小さなツリーに。
 
暖かなストーブと,深い皺の刻まれた祖母の柔らかい微笑み。
その手に髪を撫でられたのはいくつまでだったか。
  
決して高価でもめずらしくもないその贈りものは,
祖母の記憶と共に,幸せだった『あの頃』を思い出させた。

「じゃあ,さ…」

カレンダーの『1』の部分を人差し指で,押す。

「『笑い合う』ことって………そんなに,大切?」

『あの頃』,自分は確かに色んな人達と笑い合っていたと思う。
しかし…何を間違ったのだろう?
今,自分はひとりだ。
学校にも行かず,ただ家にいる。
尋ねてくるのは担任の銀八だけだ。
同級生達が来たことは,ない。
来られても,たぶん気まずいだけだろう。

の問に,銀八はしばらく黙った。

ラジオからいつの間にか音楽が流れていた。
シューベルトの『アヴェ・マリア』だ。
銀八ととの間を,優しい旋律が流れる。

音楽のもたらす力は強い。

悲しい質問の間さえも,
穏やかな待ち時間へと変えてしまうのだから。

「……なあ。『1』のところ,開けてみ?」

突然,銀八はの手にした『箱』を指差した。

「え?」
「アドヴェントカレンダー。何が入ってんのか,先生知りたいからさ」

銀八の指が『1』と金色の文字でプリントされた窓をたどる。
なぜいきなりそんなことを銀八が言い出すのかはわからなかったが,
は言われた通り『1』の窓をぺりっと開けた。
中から出てきたのは……

……金色のアルミホイルに包まれた天使の形のチョコレート。

「おーうまそうじゃねェの!」

銀八はこちらの手の中にあるそれを覗き込んで,歓喜の声をあげた。

「…ふうん。結構凝ったものが入ってるんだ」

も感心してそれを見つめた。

「こうやってさァ…」

天使をじっと見ていた銀八が,静かに口を開いた。

「こうやって,
 1日ごとに窓を開けていって,
 何かを見つけて…」



「見つけるたびに『嬉しい』と思って,
 それを誰かに伝えて,
 その誰かもまた『嬉しい』と感じてくれて,
 そんでもって一緒に笑い合えたら…」



「それはすっげー大切なことだぞ。きっとな」


銀八はそう言って,歯を見せて笑った。


「………」


ふいに息苦しくなって,は胸の中心をそっと押さえた。
苦しいというか…熱いような締め付けられるような。
でも不思議と不快じゃない。
銀八の言葉の一つ一つが,何の隔てを作ることもなく心に溶け込んで来た。
まるで渇いた砂地に,雨水が沁み込んで来るように。


『アヴェ・マリア』が終わった。
女性パーソナリティーの声が,再び部屋に流れ始める。

「…先生。この『24』のところに何が入っているか,知ってる?」

は『24』の数字をそっと撫でた。

「いや知らねーな。でもすんげーもん入ってそうだな。クリスマスイブは」

銀八はすっかりいつもと変わらない調子で,楽しげに笑った。

「…クリスマスイブにも来てくれたら,見せてあげても良いよ」

のその言葉に,銀八は目を丸くした。
そしてそのまま無遠慮にまじまじとみつめてくるので,はフンッと
そっぽを向いた。
今まで自身から望んで銀八に「家に来て」と言ったことはなかった。
…不登校を始めたあの日から。
初めて「ここに来ても良い」と。そう口にした。

「サンキュ。絶対ェ来るよ」

銀八はこれ以上ないというほど嬉しそうに二カッと笑った。
も,それが嬉しくて小さく笑った。

クリスマスイブも,また一緒に笑い合えることを願った。




カウントダウンは,もう始まっている。
24日に何が出るか。
それは,当日のお楽しみ。

でも何が出できたとしても,きっと自分たちはこうして笑い合うだろう。

そんな気がする。



-------------------------------fin.


2008/11/04 up...
クリスマスって、やっぱりわくわくします。