「なんで退避命令に即座に従わなかった」
怒気の含められた低い声が,曲り角の向こうから聞こえてきて,俺と阿伏兎はその場で足を止めた。
角の壁に隠れつつ様子を伺うと,
(あれ?晋助と…)
「ん?ありゃ高杉と噂されてる鬼兵隊幹部の女じゃねーか」
阿伏兎も俺にならって向こうを覗き込みながら言った。俺は頷きを返して,
「だよね。なにあれ。もしかして『痴話喧嘩』ってやつ?」
「さァな」
俺と阿伏兎が話をしている間にも,晋助と女の険悪さは徐々に増してゆく。
「…従いました」
「従ってねェだろ。即座に従ってりゃァしんがりになる位置じゃなかっただろうが」
「まだ他に残っている隊員達の誘導をしていたら,しんがりになっただけです」
「しんがりが一番危険なんだよ,大馬鹿かお前は」
「大馬鹿とはなんですか,大馬鹿とは!」
とうとう女の方が声を荒げ始めた。
まあ,こういう時先に声を荒げるのは大抵の場合は女の方だ。
男より女の方が余程喧嘩っ早かったりする。
阿伏兎は顎をさすりつつ,
「…察するに,惚れた部下が危ない役目を自ら進んで引き受けたことが,我慢ならん,てところかねェ」
「なにそれ?自ら引き受けた危険で死んじゃうんなら,それまでの人間だったってことでしょ。
そんな頭も腕っ節も弱い女のどこが良いの,晋助は?」
「…いや,結果的にちゃんと帰って来てんだから,弱くはないんじゃねェか?」
「あ。そうか」
いつもと同じ気の抜けた会話をする俺達とは反対に,晋助と女の方はどんどんヒートアップしていった。
「大馬鹿だろうが!!あの場には他にも万斉とかベテランがいたんだから,ベテランにしんがりを任せた方が
良いに決まってんだろうが!!」
「お言葉を返しますけど!万斉さんは,敵と交戦中で手が離せなかったんです!」
晋助が側の壁をがんっと殴りつけ,女がほぼ同じタイミングで床をだんっと踏みつけた。
「わ~盛り上がってきた。このまま戦いになるかな」
「いや,ならねェだろ。惚れ合ってんなら」
「どういう意味?」
「…あれは,お互いに相手のこと思って喧嘩してんだよ,たぶんな。だからお前が期待するような本気の戦いに
なんかならねェよ」
「よくわかんないや」
「…お前にはわかんねェだろうよ,男女の機微ってやつが」
したり顔で肩をすくめる阿伏兎がなんとなくムカついたので,
「じゃあ,阿伏兎が通訳してみてよ,あの2人の会話」
「はあ?」
「『男女の機微』とやらに疎い俺にもわかるようによろしく」
「…なんで俺が」
「偶々上手く逃げられたから良いようなものの,しんがりが潰されでもしたら,隊全体に被害が及ぶだろうが!!」
(お前が無事に逃げられて本当によかった。でも,しんがりは1番危険なんだから,
なるべくお前にはやって欲しくねェんだよ。)
「偶々とはなんですか,偶々とは!わたしだって猪突猛進なわけではないんですからね!
ちゃんと色々考えたうえで,こうした方が良いと判断したまでです!」
(わたしの力をもっと信用してください。わたしも,あなたの元へ帰るため必死でした。
あなたのところに帰る自信があったから,引き受けたんです。)
「ちゃんと色々考えてねェよ!考えてたら,しんがりなんて引き受けるわけがねェ!!
自分の力を過大評価してんじゃねェぞ!!現に左腕怪我してんじゃねェか!!」
(ちゃんと俺の気持ちを考えてくれ。お前がしんがりで,寿命が縮む思いだった。
お前が強いのはわかっている。でも,お前が怪我を負うことさえ嫌なんだよ)
「考えていました!あの場でわたしがしんがりを引き受けなかったなら,もっと甚大な被害が出ていたはずです!
それに,左腕の怪我なんてたいしたものじゃありません!」
(あなたが心配するかも,とは思いました。でも,わたしじゃない他の隊員が傷ついても
結局のところあなたは傷つくじゃないですか。あなたは優しい人だから)
「上司命令だ!とにかく俺がお前に『即帰還しろ』と言ったら,即帰れ!」
(職権濫用とでもなんとでも言え!俺はお前が大事で仕方ないんだ!)
「酷い!職権濫用じゃないですか!わたしは必ず無事に帰るのに!」
(心配してくれるのは嬉しいけど,わたしのことをもっと信用して!)
「…ってところか」
「もういい。阿伏兎の女言葉,キモい」
「お前がやれって言ったんだろうが!」
おえっと吐く真似をした途端,阿伏兎に頭をすぱんっとはたかれた。
仮にも上司に対して乱暴なヤツだ。
でも,阿伏兎の通訳が無くても,俺にもなんとなくわかるようになっていた。
「これ以上余計な懸念事項を増やすんじゃねー!」
「懸念事項にしていただかなくて結構です!」
「侍ってバカだね。普通に『心配だった』て言えば良いし,『心配かけてごめんね』て言えば良いのに」
「…珍しく正論だな」
「おかげさまで分かるようになってきたよ,晋助達の言ってること」
「「馬鹿!!!」」
ほら,今のもわかった。
今のは「大好き!!」って意味だ。
見てる方がじれったい。
俺は「侍って変なの」と思いました。あれ?作文?
2016/12/20 up...
十五代目・拍手お礼夢その2。