仮面ストイック
むかむかと鈍く走る頭痛がして意識が戻った…久方ぶりの最悪な目覚めだった。
(…完全に二日酔いだな)
額に手を当てて溜め息をつくと,色々なことが――特に昨夜の宴会の記憶が頭に甦ってきた。
伊東さん,どうぞ。
常日頃からよく言葉をかわす,僕を慕ってくれている女中――君の笑顔が思い浮かんだ。
昨夜の彼女は一体どうしたことか,しきりに酒を勧めてきた。
基本的に君に対して強くものを言えない僕は,勧められるがまま杯に口をつけたわけだが…
…その結果がこのざまだ。
「ふぅ」
とにかく起き上がることにしよう。
今日は朝礼の前に重役会議が行われることになっている。早く支度をしなければ。
気合を入れ直し,僕は目を開いた――が。
「!!!!!」
(こ,こここれは一体…!)
目を開いた僕の真横に,間違っても同じ布団に寝ているはずのない『彼女』がいた。
昨夜僕を酔い潰してくれた張本人の…君だ。
彼女は極めて安心しきった無邪気な表情で寝息を立てている。
睫毛とか。
頬とか。
首筋とか。
そういったところについつい目がいってしまい,はっとする。
(いや落ち着け伊東鴨太郎…!とにもかくにもまず確認すべきは!)
僕はあたふたと枕元に手を伸ばして眼鏡をかけ,自分と君の姿を交互に見た。
(…よかった,服は着ている)
決してあってはならない過ちはどうやら起きていないようだ。
いや今の時点で既に『あってはならない状況』ではあるのだが。
「お,起きなさい…」
とりあえず彼女を起こすことにする。
不可抗力とはいえ,同衾している嫁入り前の若い女性に手をふれていいものか。
迷った末,君に触ることはせず声だけかけた。
「起きなさい」
「う~ん…」
「!」
あやうく叫び声をあげそうになった。
せっかく手をふれないでおいたというのに,あろうことか彼女の方から僕にすり寄ってきた。
お気に入りの抱き枕にでもしがみつくかのように,君の華奢な腕は僕の体をぎゅうっと締め付けた。
「こ,こら…」
「ん~」
「…」
すりすり,と。
彼女の柔らかな頬が僕の胸のあたりを小さく往復した。
その感触に僕の心臓は痛い程ばくばく波打ち,目がじわじわ充血していく気がした。
つまりは…その…
…ヘンな気になってきた。
(いやいや待て待て待て)
この僕がヘンな気になるわけがない。
僕はそんな下品な男ではないのだ。
さかりのついた思春期の青少年ではないし,女性に不自由しているむさくるしい芋侍でもないのだ。
それに,君は僕を好いてくれているようだけれど,そういう浮ついた好意ではない(はずだ)し…
…小さな子供に懐かれているような感覚なのだ,僕としては。
(そうだ…これは幼子だ)
なんとかそう思い込もうと僕は試みた。だがしかし,
「…んっ」
不意に息を詰まらせたかのような声が彼女の唇から零れ,しかもそれは存外色めいていた。
(だ,駄目だ!やはり駄目だ!)
君は幼子ではない!
いやたしかに彼女は年齢のわりにいささか幼い顔立ちをしているが,そうはいっても子供ではない。
そして僕はもちろん男であって,つまり僕と彼女は『少年少女』ではなく『男女』なわけだ。
だからこういう風にくっついて来られるのは嫌だ。
…嫌ではないか。良いか。
いや違う!!やはり良くない!!!
「ん…いとーさん」
「!?」
目が覚めたのかと思い,びくっと体が跳ね上がった…なんで僕がびくびくしなくてはならないんだ。
君の顔を覗きこんでみるが,瞼は相変わらず閉じられたままだ。
(なんだ寝言か…)
一瞬僕の肩から力が抜けた――いや待て。
「寝言!?」
自分の頬が一気に点火したのがわかった。額にじっとり汗が浮かんでくる。
(…僕の夢を見ているのか?)
君は幸せそうに微笑んで,すーすーと心地よさそうに眠っている。
「…」
睫毛とか。
頬とか。
首筋とか。
――ゆっくりと手を伸ばした。
「伊東さーん」
「…はっ!」
間延びした声がして我に返る。
彼女に指が触れる直前でぴたりと手が止まった。
「伊東さーん」
(や,山崎君!?)
なぜ彼が僕を呼びに?!
僕は壁の掛時計を見上げたが,重役会議まであと5分あった。
…って,5分しかないのか!!
慌てている僕をよそに,山崎君の声が徐々に近づいてくる。
「起きてますかー。『いつも10分前には席にいる伊東さんがいないのはおかしい』って皆が心配
してますよー」
しまった,普段の真面目さが仇になった…!
「お,起きている!起きているから開けないでく,」
「大丈夫ですかー。重役会議もうすぐ始ま…り…」
なんの躊躇いもなく残酷な程あっさりと襖が開け放たれた。
山崎君の声が一気にすぼみ,言葉がたち消えるのを僕はただ聞いているしかなかった。
彼はまず僕を見て,それから僕の横にいる君を見た。
みるみるうちに彼の目は丸くなり,口があんぐりと開かれた。
「…お邪魔しました!」
ぴしゃ!と潔い音を立てて再び襖が閉じられた。
「ややや山崎君!誤解だ!」
「俺何も見てませんから!」
「見ただろう!誤解を目に焼き付けただろう!!」
なんとか彼の誤った認識を正さなければ,と僕は起き上がろうとしたが,
「んんっ…」
行っちゃやだ,とでもいうように再度頬をすりすりと寄せられて僕の体は硬直した。
こんな時だというのに。
不純で不埒な感情が体中に広がっていく。
(…誰か僕を殴ってくれ)
僕は途方に暮れる思いで,どこの誰だかわからない所謂「カミサマ」へ切実に願ったのだった…。
朝の一騒動の後。
君を起こしてこんこんと説教をして,なんとか皆への誤解も解いた昼。
「全然手を出してくれなかったんです…」
「…?」
悲しげな君の声がどこからか聞こえてきて,僕はぴたりと足をとめた。
声のする方を見てみると,1組の男女がなにやらこそこそと話し込んでいる。
1人は件の彼女で,もう1人の男は――
「どうすればいいと思う,篠原さん?」
「う~ん…寝床でスキンシップをしたら必ずいけると思ったんですけどね」
真面目な顔で唸る彼の前で,君はしょんぼりうなだれた。
「…わたしに魅力が無いのかなあ」
「そんなことないと思いますが…あ,そうだ」
「なに?」
「今度はいっそのこと服を着ないで横に寝てみては?それで手を出さない男はいな,」
「篠原君んんんん!!!???」
――入れ知恵をしたのはまさかの優秀な部下でした。
2009/08/15 up...
四代目・拍手お礼夢その2。