メッセージ
立冬が告げられて数週間が過ぎた頃。
木枯しが吹きすさんでめっきり冬めいてきたと思いきや,ここ数日間は暖かい日和が続いていた。
きっとこういうのを『小春日和』というのだろう。
「……」
停泊中の鬼兵隊艦船内の窓際で,高杉は煙管を吹かしていた。
特に何を考えるわけでもなく,青々と冴えた空を見上げ煙を吐く。
(…暇だ)
幕府中央の動向を探るやら,春雨と会談を行うやらと多忙な日々が続いていたが,久しぶりに今日は
暇だった。忙しく動いている時には暇が恋しくて仕方ないのだが,こうしていざ暇になってみると
ひどく味気ないものだ。
白い紐が解けるようにして煙が昇っていくのを横目に,高杉はおもむろに立ち上がった。
頭を空にしてぼおっと座っているのにも飽きてきたので,船内を見回りにでも行くことにした。
「高杉様!お部屋の火鉢を掃除しておきましたよ」
「おー。暖けェ今のうちに掃除しとかねーとな」
「今日の夕飯は牡蠣鍋ですよ,高杉様!」
「あー。旬だから美味そうだなァ」
歩き回っていると多くの人間から声をかけられたり,礼をされたりする。
『最も過激で最も危険な攘夷浪士』というのは,それは幕府側から見た高杉晋助だ。
鬼兵隊内では『カリスマ性に満ちた統率者』としてむしろ尊敬と信頼を集める人物である。
「万斉サン,その鳥どうしたんッスか?」
「あ!可愛い!」
広間の方からなにやら賑やかな声が聞こえるので,高杉はそちらへ足を向けてみた。
すると,部屋の中央に置かれた円卓の周りに万斉,また子,そしての3人が集まって盛り上がって
いるのが目に入った。幕府に喧嘩をぶっ掛けようとする人間の集まりとはいえ,なにも毎日張り詰めて
暮らしているわけではない。
3人の目が集中する円卓の上には木製の籠がのせられており,その中には瑠璃色の羽をしている鸚鵡
のような鳥が入っている。
(…なんだあの鳥)
「知り合いに譲ってもらったでござるよ。これがまたなかなか良い声で鳴く鳥でござる。創作意欲を
駆り立ててくれそうでな」
万斉はそう説明しながら,ヘッドホンを右手で触った。その間にもは餌をやりたくて仕方ない
らしく,自分が食べていたリンゴを籠網の隙間から突っ込もうとしている。
「へ~そんなにきれいな声で鳴くんですか?…あ,リンゴ食べた!」
「つーか,とても人斬りとは思えない発言なんッスけど…普通にアーティストの科白ッスよそれ」
また子が苦笑いしつつ万斉につっこみを入れると,鳥がくちばしをもぞもぞと動かした。そして,
「セリフッスヨ!」
甲高い声で片言の言葉を叫んだ。
真似をされたまた子はぎょっと肩を跳ねさせ,は目をきらきらと輝かせた。
「うぇっ…喋った!?」
「わーすごい!喋るんですね,このコ!!」
「鸚鵡の仲間でござるからな。よく喋るのも道理でござる」
2人それぞれの反応に万斉が笑うと,鳥は首を左右に揺らして,
「ドウリデゴザル」
かなり奇天烈なイントネーションの言語を喋った。それを聞いたはすっかり興奮して頬を
紅潮させている。
「すごいすごい!えっと…なに教えようかな」
「スゴイスゴイ!」
「ははは,早速の真似してるッスよ」
「待って待って!えっと…とりあえず挨拶が基本かなあ」
「ああ。『おはよー』とかッスか?」
「トカッスカ!」
「って,そんな微妙な語尾真似するんじゃないッス!そこだけ聞いてもわけわかんないッスよ!」
「ナイッスヨ!」
「あはは!」
きゃいきゃいとはしゃぐ女のコ2人を見て,万斉は「おお…1曲書けそうでござる」となんとも
芸術家らしいことを呟いている。
(…お前らそれでもテロリストか)
高杉は呆れ半分,親しさ半分の苦笑いを浮かべ彼らにゆっくりと近づいた。
真っ先にが首領の登場に気付き,満面の笑みで彼に手を振った。
「あ,高杉さん!!」
「晋助様!」
「おお,晋助」
「高杉さん,このコ…………あ!」
「!?」
それは一瞬の出来事だった。
が高杉を振り向いた拍子に,結っていた彼女の長い髪がブンッと振り回された。
そしてその髪の束は高杉の右目に入ってしまい,それに気をとられた彼は煙管から手を放した。
しかも運悪く煙管はの足元に転がり――
ペキィッ
「…あっ」
「…げっ」
「…むっ」
「……!」
彼女の草履の下で,皮肉なほど可愛い音を立てて逝去した。
「……!!!」
某首領によって放たれる怒りのブリザードが,痛いほどの沈黙で広間を凍らせた。
…今動いたら首が飛ぶ。
…今口を開いたら殺られる。
比喩でもなんでもなく,本当にそういう恐ろしい空気があたりを吹きすさんだ。
それを破った勇者は,煙管を昇天させた張本人だった。
「ご,ごめんなさ」
「テメェっ…!!」
子どもならば確実に泣き出す,いや大人でも泣きかねないドスの効いた声が,高杉の喉から発せられた。
はそれにびくりと身体を震わせたものの,必死になって口を開いた。
「あの…」
「なに踏んでやがんだこのアマ!!!!」
「…っ!!」
たとえ閻魔大王でもここまで迫力のある声は出せないのではないか。
そう思ってしまうくらい,激しい熱の込められた低い声で高杉が怒鳴った。
広間の空気全体がびりびりと悲鳴をあげている気さえする。
その怒声をただ聞いているだけでも,生きた心地がしないのだ。
ましてやそれを直に向けられているは――うんともすんとも言えなくなり,俯いてしまった。
「おい晋助」
「あ゛っ!?」
「…」
万斉が2人の間に割って入り,また子がの肩をぽんぽんと叩く。
高杉はほんの少し冷静さを取り戻し,自分の目の前で頭を垂れている彼女を見た。
「……」
ふるふるとの細い肩が頼りなげに震えている。彼女は両手で顔を覆い,浅い呼吸を繰り返した。
首領のあまりの迫力に怖くて泣き出したのかもしれない。高杉は彼女のそんな様子に少し慌てて,
「おい,」
「……そんな,」
は手を下ろして,顔をさっと上げた。
彼女は泣いていなかった。
涙目になってはいたが,泣いてはいなかった。
むしろその目には怒りの炎がめらめらと燃え上がっていて――
「そんな言い方しなくてもいいでしょう!!!!」
唖然とする鬼兵隊幹部2人と,驚きに目を見開く鬼兵隊首領の前で,は見事に逆切れた。
+++++++++++++++++
それから4日後。
小春日和はどこへやら,北風が強く吹いて身体を底冷えさせる気候となった。
枯葉の舞い上がる乾いた空を見上げ,高杉は窓際で苛々と溜息をついた。
「晋助」
「なんだ」
見るからに虫の居所の悪い高杉に話しかけることのできる人物は限られている。
その限られた人間の1人である万斉は,手にした資料を高杉に渡した。
「今月の活動支出金内訳でござる」
「…ああ」
高杉は唸るように頷きそれに目を通す。紙をめくる彼の手付きがいちいち荒いのを見ながら,
「謝らぬでござるか」
万斉は遠まわしな言い方をせず,直球で尋ねた。しかし高杉はというと,なんのことかわかっている
にもかかわらず敢えて問い返した。
「…誰に何をだ」
「殿に。怒鳴ったことを」
「なんで俺が謝らなきゃならねェんだ」
ばさっと資料を万斉に投げつけ,高杉は立ち上がった。
彼はそのままズカズカと足音を立てて歩き始め,万斉もその横に並ぶ。
「あそこでおぬしが怒鳴ったりさえしなければ,穏和な気性の殿のことでござる。
普通に謝っていたでござろう。…というか既に謝りかけていたでござる」
万斉はやんわりと諭すように高杉に言う。すれ違う者たちは皆,首領の不機嫌なオーラに萎縮して
頭を下げる。この4日間,鬼兵隊内は不穏な空気で淀み続けていた。
しょうがない奴らだ,と万斉は心中で溜息をついた。
「あんな頭ごなしに叱ってしまっては謝りたくても謝れぬ」
「…俺は悪くねェ」
口の中で篭るような声でぼそぼそと高杉は言い返した。そんな彼に万斉は肩をひょいとすくめた。
「本当は晋助もわかっているのでござろう?」
「……」
「もう少し素直になるでござる」
「…うるせェ黙れ」
冷えた廊下の壁をガンッと殴って威嚇するが,それにびびったのは周囲にいた隊士たちだけだった。
当の万斉はほんの少し眉を上げた程度で,全く動じていない。
(…ムカつく野郎だ)
言いたい放題いちいち当たっていることを言いやがる,と。高杉は舌打ちした。
――万斉のいうとおりだった。
が煙管を折ったことについて,高杉はもう怒っていなかった。
正直言って自分が大人気なかったと省みる気持ちもある。
今自分が不機嫌なのは……他でもない。
いつものように彼女をからかったり,彼女と笑い合ったりすることのできない現状への苛立ちだった。
それならば,さっさと謝るなり弁解するなりして仲直りすれば良い。だがしかし,
「あいつが謝って来ねェのに俺の方から謝るのは癪にさわんだよ」
「…晋助。おぬし本当に子どもでござるな」
「ンだと…」
「負けるが勝ち,でござるよ」
「知らねェな,そんな負け犬の諺」
自分でも『馬鹿みてェなプライドだな』と思わなくもなかった。
それでもやはり逆切れしてきた女に対して自分から頭を下げる,という行為を高杉はどうしても
することができなかった。それは自分の生き様に反する行為に思えた。
(…だがこいつならさっさと謝るんだろうな)
横でヘッドホンをいじくっている男をチラリと見,高杉は内心で歯噛みした。
彼の中でそんな葛藤が起こっていることは露知らず,万斉はこんこんと諭し続ける。
「このままおぬしの機嫌が悪いままだと隊内の士気も冷える一方でござる。一言『ごめん』と
言えば済む話でござろう」
「ゴメンナサイ」
「そうそう。言おうと思えば言えるでござるな」
「あ?今のは俺じゃねェ」
「なに?じゃあ今のは――」
「ゴメンナサイ」
ぴたりと2人の足が同時に止まった。
囁きのような隙間風が,高杉と万斉の足元をひゅる~と流れていく。
「…」
「…」
「…今のはなんでござるか?」
「…知るか」
「……おや?」
万斉は広間の奥を窺って,その正体に気付いた。
「ゴメンナサイ。ゴメンナサイ」
紫がかった紺色の羽をばたつかせながら,籠の主はそれはもう上機嫌で鳴いていた。
彼(彼女?)にとって言葉の意味など知ったこっちゃないため,とんでもなく陽気な言葉のように
聞こえる。もしも異国の者が耳にしたなら『ごめんなさい』を『一緒に遊ぼう』などという意味で
理解したかもしれない。
「おお。おぬしが犯人でござったか」
万斉は笑いながら鳥籠に近づき,高杉は怪訝な表情でそれに続く。
鳥はブランコをゆっさゆっさと揺らし,鏡に映っている自分に向ってくちばしを突付かせていた。
窓から差し込む初冬の日差しの中,彼女(彼?)はとてもご機嫌だった。
万斉が懐からピーナッツの袋を取り出すと,鳥はすぐそれに気付き,ぴょんとブランコから降りた。
そして止まり木を左右に動き,餌が差し出されるのを今か今かと待ち構えている。
ピーナッツをいくつか手に乗せて,万斉はそれを籠にくっつける。すると鳥はすごく嬉しそうに
くちばしを差し出し,彼の手からボリボリと実を食べた。万斉はその様子に微笑みつつ,
「また新しい言葉を覚えたのでござるな。いや偉いな,おぬしは。世の中にはその一言を言えずに
うだうだと悩んでいる阿呆で傍迷惑な男もいるでござるよ」
「…斬られたいのか,テメェは」
「こやつ,なんとなく殿に似ておらぬか?」
「ああ?…似てねェよ」
「いやいや,この表情が豊かなところとかそっくりでござるよ」
「鳥に表情なんてあるかよ」
「あるでござるよ。偏見や先入観で濁りきった目ではわかるまいが」
「やっぱり斬られたいらしいな,テメェは!」
高杉が万斉の胸倉を掴みかけたその瞬間,
「ゴメンナサイ,タカスギサン,ゴメンネ~」
「ん?」
「あ?」
びっくりするくらい間の抜けた声が広間に響き渡った。
外の方から,干した布団をぱんぱんと続けざまに叩く音が聞こえてくる。
顔を見合わせていた高杉と万斉は,揃って籠の方へと目を向けた。
「タカスギサン,ゴメンナサイゴメンネ~」
「…」
「…」
無言の2人の視線を受け,鳥は目をきょときょとと瞬かせた。
その黒い目はまるでビー玉のようにきらきらと光っている…全くといって良いほど邪気の無い瞳だ。
「…はて?」
「…なんだこいつ?」
「晋助様,万斉サン。何してるッスか?」
と,そこへ布団を抱え込んだまた子が通りかかった。彼女は鬼兵隊幹部であるというのに,時々女中の
おばちゃん達をこうして手伝っている。
鳥籠の真ん前にたむろしている高杉と万斉を,また子は不思議そうにみつめた。
「来島…おい,こいつはどういう,」
「ゴメンネ~タカスギサン」
「…」
彼女に問いただそうとする間にも再び一声…もはやしつこい。
よしんば『ゴメンネ』が『世界平和を願う』という意味だったとしてもいい加減ウザイかもしれ
ない(いや自分達は世界を壊すために動いているのだが)。
「あ。やっぱり覚えてしまったんッスね~」
また子はあっけらかんとした様子で頷いた。万斉は彼女の抱えた布団を自分も持ちつつ,
「…というと?」
「,晋助様に謝る練習してたんッスよ。ずっとここで」
「…!」
「ゴメンナサイタカスギサン。タカスギサンゴメンネ」
たっぷりの日差しを吸い込んだ布団の香りが,暖かくほのかに漂った。
また子の説明に,万斉の口の端が小さく上がる。
「ほォなるほど」
「…」
「何度も練習してたッス。だからこの鳥の十八番もこれになったみたいッスよ」
「そういうわけでござるか」
万斉は傍らの首領の肩を,ぽんと親しげに叩いた。
「で,当の本人はどうしてるでござるか?」
「さあ?最近は元気無いッスからね~…あ。ひょっとしたら甲板にいるかもしれないッス」
「…晋助」
「……」
高杉は黙ったまま踵を返すと,早足で甲板へと歩いて行った。
その後姿を見つつ,彼の仲間2人は『世話のやける奴らだ』と微笑んだ。
「…まったく,素直になれない連中は困るでござるな」
「でも素直な晋助様ってちょっと微妙ッスよ?」
「フッたしかにそうでござるな」
「ゴメンネ!ゴメンナサ~イ!」
「うむ。やはりおぬしは偉い鳥だな。鬼兵隊の危機を救ったでござるよ」
そう褒めながら再びピーナッツの袋を出した万斉を見て,鳥は籠の中でとても嬉しそうに,そして
得意げに「ゴメンネ!」と叫んだ。
――…ハァ。
――おい,。
――!高杉さん!?
――……。
――あ,あの…
――……。
――わ,わたし…あの…高杉さんに言いたいことが,
――それならもう聞いた。何度も。
――ええっ!?
~余談~
「ゴメンナサイゴメンナサイ。タカスギサンノバカ~」
「…ん?今変なこと言ったでござるな?」
「ああ。謝る練習しながらもはたまにぼやいてたッス。
『わたしは悪くないもん。高杉さんの馬鹿』って」
「……ハァ。ここは晋助には聞かせられぬでござるな」
-------------------------------------------------fin
2008/11/21up...
布団運ぶのを手伝うまた子と万斉が書いててなぜか愛しかったです。