My favorite things




「ええ!,明日のライブに来ないつもりなんッスか?」
「え…」

隣のクラスから遊びに来たまた子ちゃんは,眉も目も吊り上げて甲高い声をあげた。
一見怒っているようにも見えるけれど,この一連の仕草は何かに驚いた時の彼女の癖だ。
わたしが『彼』と付き合い始めたと3ヶ月前に告げた時も,また子ちゃんは全く同じ反応をしていた。

「晋助様の彼女なのに!」

再度,同じ表情,同じ声音でまた子ちゃんは叫んだ。
お昼休みの賑やかさに紛れているとはいえ,教室でそんなに大きな声出さなくても…と,頭の隅で
思いながら,

「いや,彼女だからこそ行かない方がいいのかな~…なんて考えちゃったりして」
「なんでッスか!」
「…だって,彼女が客席にいるとイヤじゃない?監視されてるみたいで。それに,わたしはジャズ
 ってよく知らないもの」

間髪いれずに問い掛けられ,わたしはたじたじとしながら応えた。
また子ちゃんはわたしの言葉に一瞬目を見開いて,やれやれといった風にため息をついた。

「って謙虚つーか,遠慮しいしいッスね。ひょっとしてまだデートしてないとか?」
「…毎日一緒に帰ってるもの」
「登下校デートは小学生でも出来るッス!」
「…帰りに公園でバドミントンしたもん」
「だから小学生ッスか!ていうか,晋助様がミントン!?見たかったッス!」
「ベンチに座ってお茶したこともあるし」
「と晋助様って,初々しいカップルなんだか,ジジババ夫婦なんだかわかんないッス!」
「…まだ付き合って3ヶ月しか経ってないし」
「『もう』3ヶ月ッスよ!」

信じられない,とでも言いたげにまた子ちゃんは額に片手をあてた。
…そんなに呆れなくてもいいんじゃないかな,と。思うんだけど。

「だって,休みの日は思い切りベースの練習したいんじゃないかと思って…」
「って謙虚っつーか,遠慮しいしいッスね」
「それはさっきも聞いたよ」
「とにかく!」

また子ちゃんはバンッと手のひらで机を叩いた。
これにはさすがに近くにいるクラスメイト達が振り向いた。
でも,音の発生源がまた子ちゃんだと知ると,すぐに元通りの方向に顔を戻した。
なにかとせっかちなまた子ちゃんが,なにかと鈍なわたしによく『あふれる愛のお説教』をする
ことを,もはやクラス中が知っていた。

「とにかく,明日のライブには来てくれた方が良いッス!わたしだって出るんスよ?」
「あ。そうだよね。サックスやるんだよね,また子ちゃんは」
「そうッス!わたしはサックスで,晋助様がベースで,万斉さんがギターで,武市変態がドラムで,
 似蔵が鍵盤をやるッス」
「すごいね。立派なバンドだね」
「わたしだったら,自分の彼氏が『聞きたい』って言ってくれたら,単純に嬉しいと思うッスよ。
 『興味持ってくれてるんだな』って」
「…そう?そういうもの??」
「そういうものッス!」

自信ありげに断言した後,また子ちゃんは首を傾げて,

「ジャズには興味無いんスか?」
「興味無くは無いけど,よくわからなくて。どんな音楽をジャズと呼ぶかもよくわかんないし。
 なんか『大人がオシャレなバーでお酒飲みながら聞く音楽』ってイメージだし」
「晋助様に教えてもらえば良いのに。興味無くは無いんスよね?」
「そりゃあ…晋助君が好きな音楽だし」
「それなら,なおさら晋助様に教えてもらえば良いッス!」

河上君からバンドをやろうと度々勧誘されていた晋助君は,「そろばん塾があるから」と断り続
けていたという。
でも,河上君の熱意に半ば折れる形で「ジャズをやるならやってもいい」と条件付OKを出した
ところ,「じゃあそれで」となったらしい。
河上君は音楽全般が好きなんだとか(ロックが1番好きそうだけど)。
断り続けていたバンド活動を「OK」しちゃうくらい晋助君はジャズが大好きなんだろうな,と思う。
彼が興味あるものには,わたしも興味がある。
彼が好きなものを,わたしも好きになりたい。
その気持ちは本当だ。
予鈴が鳴ると同時に,また子ちゃんはわたしの両手をがしっと握りしめた。

「今日の帰りに晋助様に言うっスよ!『明日のライブに行きたい』って!」
「…わかった。ありがとう,また子ちゃん」
「んじゃ!」

半ば無理やり約束させられた気もするけど,また子ちゃんは満足そうに笑って自分の教室へと
帰って行った。
なんというか…嵐が去ったというか。
でも,彼女のああいう世話焼きなところを,わたしは純粋に好きだなって思う。

(わたしだって,ちょっと行きたいなあとは思ってたんだよね…ライブ)

でも,彼から「来て」とは言われなかったから。
なんとなく「行きたい」とは言えなくて。

(やっぱり『遠慮しいしい』なんだろうな)

わたしは自分自身に苦笑して,午後の授業の準備を始めた。
今日の帰り道に必要とするだろうちょっとの勇気の準備も。



++++++++++++++



街灯が点き始めた帰り道を,わたしと晋助君はのんびりと歩いていく。
いつも通り,とりとめのない会話を交わしながら。

「あ。『サウンドオブミュージック』,リバイバル上映されるんだね」
「そうみたいだな」
「昔,お母さんがDVD借りて来て,一緒に見たよ。あまりよく憶えていないんだけど。晋助君は
 見たことある?」
「無ェな」


「晋助君ってよくコーヒー飲んでるよね。豆にこだわりあったりする?」
「こだわりは無ェけど,最近はマヤコーヒーをよく飲む」
「マヤコーヒー?美味しいの?」
「美味い」


いつものことながら,晋助君は言葉少なだ。
基本的にわたしが喋ったり質問したりして,彼はあいづちをうったり答えたりする。
晋助君は無口が原因で周りから誤解されることもあるけれど,わたしは彼と話をするのが好きだ。

「ねぇ,晋助君」
「ん?」

でも,今日は言わなきゃいけないことがあるから,少し緊張していた。

「あの……明日のライブ,わたしも聞きに行きたいな,なんて……」
「!」

恐る恐る口にすると,晋助君はぴたっと歩を止めた。必然的にわたしも立ち止まる。
彼は切れ長の目をアーモンドのように開いて,わたしの顔をまじまじと見て来る。
それだけで晋助君が戸惑っていることがわかったので,

「あ!でも『晋助君が良ければ』だよ!わたしがいると気が散るとか面倒くさいとかなら,全然……」
「…そんなこと無ェよ」

予防線を張り出したわたしを,晋助君はやんわりと止めた。
わたしが「えっ」と思っている間に,彼は薄い鞄を開いて中をがさがさ漁って,

「…これ」

やはり言葉少なにチケットを差し出して来た。
わたしは心に漂い始めた霧がサアッと一気に晴れたかのような気持ちで,

「…ありがとう。いくら?」
「いい。いらねェ」
「え……でも,」
「いらねェ」

ふるふると晋助君が頑なに首を横に振るので,

「ありがとう。楽しみにしてるね」
「…ん」

短く頷いた晋助君は,心なしか嬉しそうだ。表情はそんなに変わらないけれど,目元が柔らかく
なっている。そのことにホッと安心して,

「でも,ジャズってよく知らないんだけど大丈夫かな」
「有名な曲もやるから大丈夫だろ。『どっかで聞いたことあるな』って曲もあると思う」
「そっか」

ジャズで有名な曲って例えば何だろう?
そもそも「ジャズ」ってどういう音楽を「ジャズ」って言うの??
わたしの「???」が伝わったのか,晋助君は少し困ったような…あるいは残念そうな表情になった。

「…もう少し早ければ,CD貸したんだがな」
「あ。ごめんね,急に」
「いや…はこういうの興味ないのかと思ってた」
「え?」
「ライブとかジャズとか」

晋助君は唇の上を擦るような仕草をして,

「あんまり興味無いのに無理に誘っても悪いと思ったから,言わなかった」

釈明と照れ隠しとが絶妙な割合で混ぜこぜになった微笑を浮かべた。
わたしは時折見せる彼のこういう表情をとても好いていた。
照れ笑いというか…照れ笑いを我慢した末の,独特のはにかみというか。
お気に入りの表情を見れて,それだけでわたしの胸がいっぱいになってしまい,

「あの…わたしは彼女が客席にいるとイヤかな,と思って。言わなかったの」
「…そうか」
「2人とも遠慮しいしいだったんだね」
「…だな」

頷き合って,沈黙が落ちる。
行き交う車の音や人々の声が,夕暮れの通学路に絶え間無く響いていたけれど,晋助君とわたしは
黙って歩いた。
この甘くもどかしく恥ずかしい空気にずっと浸っていたいような,かき回して吹き飛ばしたい
ような,矛盾した気持ちをわたし達は制服の中に抱えていた。
やがて晋助君が,ふと思い出したかのように口を開いた。

「,どんなのを『ジャズ』っていうかは分かるか?」
「ううん。よく知らなくて…興味はあるんだけど」
「そうなのか?」
「うん。だって晋助君が好きだから」
「…っ」

彼が息をのんで立ち止まったので,わたしも歩を止めた。
さっきもこんなことあったな,と思いながら…でも「ライブに行きたい」と口にした先程とは
違って,晋助君が足を止めた理由が何かわからなかったので,わたしは首を傾げた。

「どうしたの?」
「いや…お前がいきなり…好きとか言うから」
「…!」

晋助君は顔をほのかに赤らめて,顔の下側半分を隠すかのように片手で覆っている。
わたしも自分の言葉を思い出して…思い出した途端ボッと顔に火が点いた。

「…あ!違うよ!?晋助君がジャズを好きだから,わたしも興味あるって言いたかったんだよ!
 いや,晋助君のことは勿論好きだけど!…あ!今のは違くて!ううん,違わないんだけど!」
「…わかった。わかったから落ち着け」

わたしが慌てふためいたことで逆に落ち着いたのか,晋助君は手で空気を抑えるようにゆっくり
上下に振った……ので,わたしはエサを食べた金魚みたいに口をぱくんと閉じた。
道の真ん中で止まったままのわたし達の横を,人々が不思議そうな目をして通り過ぎてゆく。

「…今度,ジャズのCD貸す」
「…うん。ありがとう。色々貸して欲しいな」

わたしが頷くと,晋助君は右手をこちらに差し出してきたので,左手でそれを握った。
彼とこうして手を繋いで歩くのが,わたしは本当に好きだ。
手を繋いでいるだけで,お互いの気持ちを分け合っているような気がするから。
彼の手の体温が,わたしにはとても心地良い。

そこから道が分かれるまでずっと手を繋いでいたけれど,わたし達は言葉少なだった。
もっとも,全然イヤじゃなかったけれど。



++++++++++++++



晋助君から送ってもらったURLを見てライブハウスの入口の前に立った時には,既に指定された
時間の15分前になっていた。
本当はもっと余裕をもって来たのだけれど,入る決心がつかず躊躇っていたらこうなってしまった。
ライブハウスは,コンビニの横にある細い階段をくだった地下1階にあるようだ。

(入りづらいなぁ…)

でも,そのろくに光の入らない薄暗い様相や漏れ聞こえてくるラウドな音楽に気圧されてしまい,
すぐには入れなかった。
ライブハウスに辿り着いた後も,うろうろと階段の前を行っては来たり繰り返し,それでも怯えを
拭えずコンビニで無駄に立ち読みをした…早い話,完全にびびってしまっていた。

「…よしっ」

やっと心を決めて階段を恐々下りたら,階段のすぐ脇の小さなスペースに受付が設置されていた。
受付の男性にチケットを出すと,引き替えに『ドリンク券』と書かれた紙を渡された。
お礼を言って受付のすぐ前にある扉をそそくさ開けると,

「…!」

拍手と口笛が賑やかに飛び交っていて思わず肩が跳ねる。
ライブハウスの中も階段と同じく暗いけれど,天井のミラーボールがくるくる回って,虹色の光を
コンクリートの壁のそこかしこに投げかけていた。
ステージの前にはテーブルが6つ置かれていて,他にも壁に沿うように椅子が並べられていた。
丁度バンドとバンドが入れ替わるタイミングだったようで,ステージに立っている初老の男性達
6人が「ありがとうございました」と言いながら捌けようとしているところだった。

(晋助君はどこいるんだろう?)

人生初のライブハウスにドキドキしながら彼を探すけれど,肝心な人の姿が見当たらない。
かわりに,ステージのすぐ近くの席に座るまた子ちゃんと武市君,岡田君が座っているのを見つけた。
でも,他のバンドのメンバーだろうか,知らない人達となにやら白熱してお喋りしていて,わたし
には気付かないようだ。
邪魔するのも悪いなと思ったので,とりあえずドリンク券を使うことにした。

(…カウンターに出せば良いのかな?)

カウンターの中にいる女性はこちらに背を向けて,ビールサーバーでジョッキに泡を作っている
ところだった。
ドリンク券を出したら無料で飲めるのかな,それともいくらかは出さないといけないのかな,自分
でドリンク注ぐのかな,ていうかメニューはどこにあるんだろう…と,不慣れさ全開でもじもじ
していたら,

「」
「あ。河上君」

知っている人から声をかけられ,今度は安堵全開の声を出してしまった。
河上君はわたしの手の中にあるドリンク券と,カウンターの中とを交互に見て,

「オーダーはもう終わったでござるか?」
「…ううん,まだ。これ,どこに出せばいいの?」
「カウンターに直接出せば良いでござる。マスター,注文を」

ビールの泡を盛り終えた女性に声をかけてくれる。
ホッとして券を女性に差し出すと,代わりにドリンクメニューを手渡される。
河上君は人差し指でメニューをさしながら,丁寧に解説してくれた。

「この枠の中の飲み物なら追加料金はかからぬよ」
「ありがとう」

お礼を言いつつ無料の枠の中を見る(今月はおこづかいがあまりもう無いから節約だ)。
リストの中に晋助君が最近気に入っているというマヤコーヒーがあったから,

「マヤコーヒーで」

迷わずそれを注文した。コーヒーが来るまでの間,カウンター脇で待っているよう女性に言われ
たので,そこを離れつつ,

「それにしても,驚いたな。が来ているとは思わなかったでござる」
「うん。昨日,急に決めたの」

本当にすごく急に,と笑いながら付け足すと,河上君は特に表情を変えることなく淡々と,

「晋助の機嫌が良い理由がわかった」
「え?」
「」

わたしが首を傾げたところで,背後から呼びかけられた。

「晋助君」

嬉しくて思わず声が弾んだ。
でも,逆に晋助君はなんとなく不機嫌そうな表情でこちらを見ている。
どうしたの,とわたしが問うよりも先に,

「睨むのを止めろ,晋助。何かしたわけでもあるまい」
「…睨んでねェよ。こういう目つきなんだよ」
「そうでござるか」

河上君はあくまでポーカーフェイスで,晋助君はどこかきまりが悪そうに目を逸らした。
わたしは逆に晋助君をじっと見てしまったけれど,河上君の科白に我にかえった。

「では,。拙者はこれで」
「うん。ありがとうね,河上君」
「楽しんでいってくれ。嫉妬深い男の奏でるベースを」
「…うるせェな」

晋助君は鬱陶しそうに目元を歪め,完全に河上君に背を向けてわたしに向き直った。
彼の背後でやれやれと肩をすくめて,河上君はまた子ちゃん達の方へ歩いていった。

「…万斉と何の話してた?」
「うん。わたし,オーダーの場所とか仕方とかよくわかんなくて。まごまごしてたら,河上君が
 教えてくれたの」
「…そうか」

安心したように微笑を浮かべる晋助君に,わたしは思わず,

「嫉妬深い男のベース…」
「…お前,そこは聞き流せよ」
「…ふふ」

からかうつもりは全然なくて,ただ嬉しくて,わたしは笑ってしまった。
それに対して晋助君が眉間に皺を寄せて赤面するので,ついついじっと見入ってしまう。
可愛げを意地でも見せようとしない頑なさで,かえって一層可愛く見えてしまう……
……そんなところが彼にはあって,わたしはそれをズルいとも愛しいとも思う。
晋助君は「見んな」と呟きながら,わたしの頭に手を置いて軽く押した。
必然的に下を向くことになって,テーブルのコーヒーが視界に入った。
晋助君は気を取り直すように咳払いをした。

ちなみに……彼が照れ隠しでする咳払いも,わたしはものすごく好きだ。

「コーヒーか」
「うん。マヤコーヒー。晋助君が『美味しい』って言ってたから」
「そうか」

わたしはただ「好きな人のお気に入りを,自分も好きになりたい」と思っているだけなんだけど。
晋助君が嬉しそうに笑ってくれたので,わたしも嬉しくなった。
斜に構えている彼を「格好良い」と評する女の子は多いけれど,わたしは彼が心から喜んでいる
時に見せる,少し幼く無防備なはにかみが大好きだった。
その表情のまま,

「ここの場所はすぐわかったか?」
「一度通り過ぎちゃったけど,すぐわかったよ。でも…」
「…でも?」
「ね,笑わないでね?なんだか気後れしちゃって,なかなか階段下りられなかったの。普段来ない
 から。ライブハウスって。なんか穴ぐらみたいで怖くて」

わたしの念押しに反し,晋助君は噴き出した。しかも,そのまま口角を上げて肩まで震わせている。

「…笑わないで,って言ったのに」
「悪ィ…バカにしたつもりじゃねーんだけど」

一度言葉を切って,晋助君はわたしの目の中を覗き込むかのように,深い眼差しで見つめてきた。

「かわいいと思っただけだ。お前が入口でうろうろしてるとこ想像して」
「!」

(……ズルいなあ)

わたしばっかりドキドキさせられている。いつも。
俯いて熱くなった頬を両手で抑えていると,晋助君はわたしの考えを読んだみたいに,

「お前もさっき俺を赤面させただろ。おかえしだ」

立ち上がって,わたしの頭をぽんぽんと軽く撫でた。そして,

「気楽に楽しんでくれ。俺達以外の曲も。リハの時,俺達の前のバンド聞いたけど,上手かった」
「うん。わかった。晋助君も楽しんで弾いてね」
「ん」

すっかりいつもの調子で,晋助君は軽く短く頷いた。
次の次には自分達が演奏するのに,どうやら全然緊張していないみたいだ。
晋助君が舞台近くの河上君達のテーブルに近付くと,やはりそこに座っているまた子ちゃんが
こっちを振り返り手を振ってくれた。

きっと…「頑張って」と声をかけるのは,少し違うんだ。

わたしも彼女に手を振りながら,「とても楽しそうにしている彼らにはきっとエールは無用なん
だな」と笑った。



++++++++++++++



高校生によるジャズバンドは珍しいようで,演奏が終わってステージから降りた後も,晋助君達は
色んな人達(主に渋いおじさん達)(たまに妙齢のマダム達)から話しかけられていた。
とても好意的な感想を持たれたんだろうな,ということが彼らの親しげな表情でわかった。
晋助君はその人達としばらくお喋りをしていたけれど,少し経つとわたしの方を指差し,おそら
くその場から離れる断りを入れたうえで,こっちに近寄って来た。
また子ちゃんや河上君達は,気をきかせてくれているのか,こちらには来ずに,話しかけてくれた
人達と一緒の席についていた。
ベースを抱えてわたしの傍らに立った晋助君に,

「おかえり」
「ん。ベースしまって来るから,もう少し待ってろ」
「わかった」

わたしが頷くと,彼はカウンターの横にあるらしき物置部屋へと消えていった。
そうして5分も経たないうちに軽装で戻ってきて―――でも,その手には,

「これ。やる。聞いててくれた礼」

真っ赤な苺の乗ったショートケーキを,わたしに差し出してくれた。

「え……そんな,悪いよ」
「良い。聞いててくれて,嬉しかった」
「そんな…」
「お前,ショートケーキ好きだろ?…つーか,苺が」
「うん。大好き」

以前,寄り道してカフェに寄った時のことを,晋助君は憶えてくれているのだ。
わたしは甘い物がものすごく好きってわけじゃないんだけれど,苺のショートケーキはすごく好きだ。
なぜかものすごく『特別』って感じがして。
いかにも『お祝い事』って感じがして。
わたしがそう言ったことを,晋助君はちゃんと憶えていてくれたみたいだ。
胸をじんじんと高鳴らせながら,わたしは手を合わせた。

「ありがとう……いただきます!」
「ん…お前,楽しめたか?」

ジャズに詳しくないわたしに「どうだった?」などと漠然とは訊かずに,楽しめたかどうかを
訊いてくれる彼は,やはり優しい。わたしの頬には自然と笑みが浮かんで,

「知ってる曲も多かったし,楽しかったよ。あれ……『fly me to the moon』とか」
「ああ。日本だとエヴァのエンディングで一気に有名になったんだよな,あれ」
「晋助君はエヴァ見たことあるの?」

意表を突かれて目を丸くしてしまったわたしに,晋助君は苦笑した。

「いや,ねーけど。知識として知ってるっつーだけで。はあるのか?」
「わたしはあるよ。全部の話を見たわけじゃないけど。エンディングで聞いて,良い曲だなって
 思ってた。好きだなぁ…聞いてて楽しかったよ」

そうか,と晋助君は安心したように微笑した。
それを見て,「こういう感想でも良いんだ」とわたしもホッとした。
専門的な感想なんてとても言えそうにない,と聞き終わった後少しだけ冷や冷やしていたから。
わたしは続けて,

「ほかにも…『いつか王子様が』とか」
「ああ。『白雪姫』で有名だもんな」
「晋助君,『白雪姫』見たことあるの?」

再び驚いてしまったけれど,晋助君が今度は頷いたのでますますびっくりしてしまった。

「ん。白雪姫が死んだと思って小人のオッサン達が泣くシーン,あれは泣けたな。特に『おこり
 んぼ』が泣いてるとこなんて,マジでもらい泣きした」
「あ,わたしも好き」

たしかにあれは泣けた。
展開も最終的なオチも知っている『白雪姫』に泣かされるとは思っていなかったけれど。
王子様のキスで白雪姫が生き返ることも勿論知っているのに,小人達が姫の死に嘆くシーンは
すごく泣けた。
でも,晋助君もあれで泣いただなんて……

(もらい泣きする晋助君,ちょっと見てみたいな)

わたしは笑いを押し殺して,少しだけカップに残っている冷めたコーヒーを飲み干した。
今日は晋助君のいろいろな一面を知ることができた気がして,なんだかとても嬉しい。

(来て良かったなあ…)

まだデートもしたことないわたし達だけど,今日だけでとても仲良くなれた気がする。
晋助君達の演奏はとても格好良くて,それを見ることができた,聞くことができただけでも十分
嬉しいのに。ぽかぽかとした温かい幸せに浸っていると,晋助君は,

「他に知ってる曲あったか?」
「うん…えっと…あれ。『わたしのおきにいり』も。『サウンドオブミュージック』で」

たしか映画の中で,家庭教師の主人公が雷を怖がる子供達を元気づけるために歌った曲だ。
悲しい時も怖い時も,自分の大好きなものを思い浮かべると元気になれる…そんな歌だ。

「ああ。俺はあれ観たことねェんだよな。昨日も言ったけど」
「わたしも見たのは随分前だから,ストーリーはあやふやなんだけど。歌はよく憶えてて。不思議」

わたしは映画の中で流れたそれを軽く口ずさんでみて,「あれ?」と首を傾げた。

「映画だとワルツみたいな感じだったけど,今日のは…ちょっと違った」
「ジャズっぽくアレンジしてあるバージョンだからな。原曲とは雰囲気もだいぶ違うだろ」

すらすらと説明した後,晋助君は苦笑を溢して,

「…つっても,俺は映画を観てねェし,原曲も聞いてねェんだけどな。曲を知ったのも『京都へ
 行こう』のCMでだしな」
「ああ。あれね」

メロディと紅葉と宣伝文句を思い出し,「そういえばBGMも映像もキャッチコピーも全部思い
出せるCMってなにげに少ないかも」なんてぼんやり思った。
そんな脇道な思考からすぐに戻って,

「期間限定で上映されてるみたいだったね,学校近くの映画館で。名作リバイバル企画とかなんとか」
「そうだったな」
「うん。あそこの映画館,たまにそういうの上映してくれるんだよね」

昨日2人で下校している時に目に入った映画館のポスターを,わたしは思い出した。
あの映画館はそれほど大きくはないけれどかなり昔からあって,流行最先端のハリウッド映画や
邦画ではなく,ヨーロッパ系とかアジア系の質の高い良作をよく上映しているようだ。
そして時々,昔の名作を数日間限定で披露してくれているらしい。
…もっとも,わたしはまだ入ったことがなく外から見ただけだから,「ようだ」とか「らしい」と
いう言い方になってしまうけれど。

(大きな画面で見たら,もっと良いだろうな…サウンドオブミュージック)

見に行ってみようかな,と思っていると,晋助君も,

「今度見に行ってみるか」

わたしの思考と全く同じことを言い出したので,つい声をたてて笑った。

「うん。行ってみたら?大画面で観るときっと…」
「…いや」
「え?」
「…」

晋助君がちょっと面食らったように目を瞬かせた後,数秒間黙って伏目になった。
ステージから流れてくる次の演奏者のチューイングの音が,わたし達の間をオモチャみたいに
スキップしてゆく。

「…晋助君?」
「…言い方間違えた」

晋助君は一度咳払いをして,顔をあげた。
そして,ちょっと今までお目にかかったことがないくらい生真面目な眼差しで,



「今度一緒に行かねェか?」
「!」



わたしを力強く熱く捕らえた。
あまりの熱量にあてられて,わたしの口からは咄嗟に言葉が出て来ない。
でも,晋助君の言ったことが徐々に脳に伝わってきて,それとともに顔がほてってきた。
わたしの沈黙を否定と受け取ったらしい晋助君は眉を下げて,


「…まァ,見たことあるから気が進まねェっつーんなら別に,」
「そんなことないよ!行きたい!!」


初デート嬉しい,と思わず両手を合わせてしまった。

晋助君とわたしを揶揄するかのように,ステージからギターの音が軽快に鳴り響いた。
わたしのはしゃぎように,晋助君はわたしの大好きな……わたしが愛して止まない,あの笑顔で笑った。

心底嬉しそうな,とても素直で綺麗なかわいい笑顔で。






Maya Vinic Coffee and Strawberry on the Shortcake.
His pretty shyness and clearing his throat.
His beam of delight and holding hands with him.

There are a few of my favorite things.




---------------------------fin.




2016/09/04 up...
50000打記念企画,最終夢はメイ様によるリクエスト「ひたすら青春してる3Z高杉。鬼兵隊っ子も
登場してほしいです!」でした。本当に,本当にお待たせしてしまい,申し訳ありませんでした。
「ひたすら青春」にできたかどうか分かりませんが,鬼兵隊っ子達がバンドやってたらいいな~と
思いまして。ロックでなくジャズだったら,意外性があっていいな~と思いまして。楽しく読んで
いただけたら,幸いです。リクエストありがとうございました!!!