便利だってことは,わかる。
今時ソレを持ってねー高校生の方が珍しいっつーのも,認める。
つーか,俺だって持っているし持ってねーと不便だ。
だが正直あまり好きじゃなかった。
『いつでも連絡がつく』ってのは,必ずしも良いことばかりじゃねェ。
でも使いようによっては…
まァ良い…か?
Mobile Phone
「…っ!」
予想外の圧迫に土方は息を詰まらせた。
四方八方をサンドバックで固められているかのように,体中が苦しい。
がたんっと大きな音を立てて,電車は再び動き始めた。
抱えた学生鞄がこれでもかと言う程皮膚に押し付けられているのがわかる。
きっと電車を降りる頃には腕に型がついているだろう。
舌打ちしたい衝動はどうにかこうにか堪えたが,代わりに「不機嫌極まりない」
とでも言いたげな表情を,土方は顔面全体に押し出した。
(ってェな…)
額あたりを鬱陶しくぶらぶら揺れている吊革に,さらに頬をひきつらせる。
こういう時は自分の背の高さが恨めしい。
電車の中は人・人・人で埋め尽くされていて,ほんの少し身動きをとることも
ままならない。
土方は既に3回,そのプラスチックの輪による攻撃を額に喰らっていた。
(ありえねー…)
本日土方は人生初の『通勤ラッシュ』なるものを体験していた。
自分の住んでいる町から4駅先にある高校まで,いつもは自転車で通学している。
それなりに長い道のりではあるが,運動部に所属している自分にとってはそれ程
の距離ではない。
そのため朝のラッシュには無縁の生活を送っていた。
しかし,悲劇は突然訪れるものである。
まさに『ちょっと目を離した隙に』だった。
昨日下校中,ふと思いついてコンビニに立ち寄った…自転車のロックをせずに。
マガジンを手際よく(?)立ち読みし,
マヨポテチと,んまい棒(エビマヨネーズ味)と,かっぱえびせん(マヨ味)を
買い,機嫌よく鼻歌を歌いながら自動ドアをくぐった時…
…既に愛車の姿は無かった。
なんで鍵かけ忘れたんだよ俺って奴は,と土方が頭を抱えたのは言うまでも無い。
(ちきしょー…かなり気に入ってたっつーのに)
安定感が抜群,デザインもなかなか洒落ていて,なによりもその『軽量さ』が気に
入っていた。
動かしやすいことこの上なし。まさに『愛車』だった。
だからそれが突然盗まれた時,まるで長年連れ添ってきた相棒がいなくなったか
のような,そんな寂しさを土方は覚えた。
…が,感傷に浸る間もなく現実的な問題がすぐに湧いて出た。
『明日からの通学はどーすんだよ…!』と。
結局,新しい自転車を買うお金ができるまでは無難に電車通学をすることになった
のだった。
(……にしても,なんなんだこいつは?)
想像していたより遙かに凄まじい通勤電車の惨状に,土方は顔を盛大にしかめた。
毎朝こんなものに年がら年中乗っている奴らに尊敬の念を抱かずにはいられない。
どうりで電車通いの友人達が自転車通学の自分を羨ましがっていたはずだ。
「土方さんは良いですねィ…朝のラッシュに無縁だなんて。
マジムカつきまさァ…土方コノクソヤロー」
降車直後だったらしい同級生に駅で出くわした時,そいつは心底疲れたように
そう呟いていたが…
今なら奴の気持ちもわからないでもない(クソ呼ばわりされる云われはねーが)。
完全に動きが制限され,滲み出てくる汗を拭うこともできず,土方は眉間に皺を
寄せた。
(人間ってやつは暑苦しい生き物だな…)
人と人との間にギュウギュウに挟まれて,ある意味感心した。
物凄い圧迫感にも閉口したが,それと同じくらい『におい』にも不快感を抱かず
にはいられない。
人間がいっぱいいるということは,いろんな『におい』があるということだ。
電車の中は様々な『におい』で満ちていた。
「歯ァ磨けよ」と忠告してやりたいくらい口臭の強いおっさんに,
「それは男避けか?」と言いたくなるくらいキツイ香水の女に,
「ちゃんと風呂に入ってんのかよ」と突っ込みたくなるくらい汗臭い男。
息を止めたくなるくらいだった。
がったん、ぷしゅーっ…
これがもし人間なら「よっこらしょっ…」とでも言ったかのような,そんな音が
した。
それと共に,また新たな『におい』が押し寄せてくる。
信じられないことに,開いた扉から再び人がなだれ込んでくるのだった。
これ以上猫一匹入ることはできないと思っていた車内に,どんどん人の波が流れ
てくるのを,土方は呆れなのか諦めなのか,口を半開きにして見ていた。
人間の体って意外と『縮める』ものなんだな,と本日2回目の感心の念を土方は
抱いた。
自分の周囲の人間が,奥の方へ奥の方へと押し込められる。
例外なく土方もさらに奥へと押し込められ,開いている扉とは逆側の扉へと移動
を強いられた。
…と。
移動した先に,土方と同じ高校の制服をまとった少女がいた。
(へえ,偶然だな)
土方は一瞬そう思ったが,考えてみれば電車の行き先が行き先であるし,時間帯も
まさに通学時間であるからそれほど珍しくもないのかもしれない。
そう思いなおして土方は少女から目を離そうとした。
が,ふと目に入った彼女の『ある物』に既視感を感じ,再び彼女を凝視した。
少女の胸ポケットから僅かに覗いている,黄色いヒヨコの付いた携帯ストラップ。
そのヒヨコには,確かに見覚えがあった。
土方はセミロングの前髪に隠れている少女の顔を確認した。
「…じゃねーか」
少し驚きながら名前を口にすると,彼女は勢いよく顔をあげた。
「…えっ,土方?」
予想外なことに,目の前にいるセーラー服の少女は同級生のだった。
土方とは1年生の時から同じクラスで,現在は隣りの席同士でもある。
「あんた,なんでここにいんの?」
彼女がそう言った途端,電車が動き出した。
当然,人の波も揺れ動く。
再び湧いた自転車への感傷と,身体への圧迫感に対する苛立ちも手伝って土方は
ぶっきらぼうに,
「いちゃ悪ィかよ」
そう答えて嘆息した。
の方はというと,通勤電車に土方より慣れているせいか,そこまで不機嫌
な様子はなく,
「そうは言ってないけど。たしか土方って自転車じゃなかったっけ?」
土方が今1番訊かれたくないことを悪気無く口にした。
「…パクられたんだよ」
ぼそっと呟く土方に,は一瞬目を丸くして,からかうように笑った。
「だっさいの」
「るっせーな」
これが例えば教室であったなら,の頭を小突いていただろう。
しかしこの混雑の中,それは無理だった。
代わりに目を半眼にして彼女を睨む。
土方は生来,目つきが鋭い(しかも瞳孔ガン開き)。
鋭い以上に『険しい』といっても良いくらい吊り上がっているので,少し睨むだけ
で大抵の人間が怖気づく…が,
「そんな顔したって怖くないよ」
は,べ~と舌を出した。
「ほんっとに可愛くねー女だなァ,おまえはよォ」
「土方に可愛気出して何か得あんの?」
「……」
からからとは笑う。
(マジでクソムカつく女…)
おそらく今土方の額には青筋が2・3本は浮き出ているだろう。
とはいっても,どうしたって身動きは取れないわけで。
今この状況で出来る反撃と言えば『睨む』か『罵る』かのどちらかで。
…今度は後者を試みることにした。
土方は明らかにバカにした目でヒヨコを見て,鼻で笑った。
「なんなんだよ,そのストラップは。マヌケな面しやがって」
するとは少しだけムッとしたような表情になった。
「ヒヨコも知らないの?バーカ」
「本当に知らねーわけじゃねェよ。『そんなもんよく付けていられるな』って
意味だ」
「付けられるよ!だって可愛いじゃん,このヒヨコくん」
はニコニコと笑いながらヒヨコの頭を指先で撫でる。
…何を言っても彼女には効かない気がした。
「もーいい」
諦めたように溜息をついて彼女から目を離そうとした瞬間。
電車が大きく揺れた。
咄嗟に,手を向い側についた。
…正確に言うなら,の頭上の壁。
必然的に土方との距離が必要以上に近づいた。
『くっついた』と言った方が的確かもしれない。
(細いな、こいつ…)
土方は思わず息を呑んだ。
の頭が,肩が,腕が…土方の胸あたりにあたっている。
視界にはクリーム色の列車の壁と,デジタルカメラの広告。
そっと下を向くと…
…いつもは強気な少女が,苦しそうに顔を歪めている。
(…こいつも女なんだな)
自分とは全く違うつくりの体だ。
華奢で,柔らかくて,細くて――女の体,だ。
このままでは押しつぶしてしまう。
土方は壁についている手に力を込めて,が普通に立てるくらいの空間を自分と
壁との間につくった。
正直言って,寄りかかってくる人波の盾となるのはかなり辛いし,疲れる。
「…?」
は急に自分の身が楽になったことに,そしてそれは目の前の同級生が
踏ん張ってくれているからだということに気付き,目を丸くして土方を見上げた。
が,土方は男の沽券にかけて「実は辛いし疲れている」という事実を悟られたく
なかった。
努めて平静な表情を保ち,の視線には知らぬふりをして,黙って人波に耐えた。
「自転車さあ…」
ちょっと間を置いて,が口を開いた。
「日頃の行いが悪いからだよ,きっと」
「…ああ?いつ俺の『行い』が悪かったんだよ?」
(つーか今お前のために踏ん張ってるのはどこのどいつだと思ってやがる!?)
内心ムカッ腹を立てていたが,土方はなんとか押し留まった。
…駅に着いたらこいつシメよう,と固く決意しながら。
「なにかと風紀委員の職権を乱用するしさ。真面目ぶってるわりに実は居眠り
大魔神だしさ」
「…別に権限なんて利用してねーだろうが。大体なんだその『大魔神』って?」
「『大魔王』の方がいい?」
「そういう問題じゃねーよ」
土方は嘆息で答えながら,彼の元から消えた自転車を再び思った。
高校に入学した時に買い換えたばかりで,アルミフレームだから非常に軽かった。
オレンジ色の車体で,乗り心地も良かった。
自分の管理が悪かったのは,まァ認める。
今時本気で盗もうとする泥棒ならば,たとえ鍵がかけられていても壊すのだ。
それなのに鍵すらかけていなかった自分は,確かに危機管理がなっていなかった。
鍵をかけるくらい,ほぼワンタッチでできる仕組みの自転車だというのに。
…だが,だ。
いくら無用心だったとしても,盗む方が悪いに決まっている。
とにかくあの自転車との2年間の付き合いは,儚くも終わりを迎えたのだった。
「あー…ちきしょー」
再び自転車への未練やら感傷やら,自分への後悔やら憤怒やらが湧いてきて,土方
は深く溜息をついた。
するとは,とんとんと土方の胸あたりを叩いた。
「ね,長い人生そういうこともあるって。ファイト。」
はそう言うと,胸ポケットから例のストラップをちょっと摘まんで,
「トシ,頑張れぴよ。ドンマイぴよ。」
裏声で喋りながら,ちらちらとヒヨコを振ってみせた。
能天気そうな表情でヒヨコは笑っている。
「ボクだって辛いことあるけど頑張ってるぴよ!元気出せぴよ!」
いつもより高めのおどけた声が,あまりにもヒヨコとマッチしていたので.土方は
思わず破顔していた。
「くくっ…お前それ…桂の真似かよ?つーか何歳だよ?」
「ヅラより裏声上手いでしょ。それに,あんたと同い年に決まってます~あんたが
留年してなければね」
「してねーよ!!」
思わず大声で言い返す。
「あははは,冗談だって!ね,少しは元気出た?」
はちょっとだけ首を傾げてきた。
なんだかヒヨコに似ている気がして面白かったが,土方はわざとブスッとして,
「…まあな」
ひねくれた答えをした。
「なんか言うことは?」
「……」
「なんか言うことあるだろ!ぴよぴよ!」
「くくっ……わかったわかった……ありがとよ」
甲高い声に,土方は再び笑っていた。
少しだけ気持ちが軽くなった気がした。
背中にかかる人の重みが軽くなることはなかったけれども。
なんとなく「まァいいか」と思える心境になっていた。
言葉は軽い調子だったが,普段不遜な彼にしては珍しく内心本気でに感謝
した。
だが,ここでずっと微笑し続けるのは自分のキャラではない。
土方はいつもの無愛想な表情へと無理に面の皮を引き締めた。
と,
カチカチカチ……
(……???)
普段よく聞いている音がして下を向く。
(って,お前人が苦労して踏ん張ってんのに携帯いじってんじゃねーよ!!)
は微笑を浮かべてメールを打ち始めていた。
さっきまで「喋っていた」黄色のヒヨコがぷらぷらと揺れている。
「…お前,よくこの状況でメール打てるなァ?」
「ん。ちょっとね」
メールを打つ手を止めずに,ついでに顔も上げずには全然答えになって
いない返事をした。
(女ってやつはよォ…)
呆れたものの,土方はもう文句を言わなかった。
もうすぐ目的の駅に着こうとしているところだった。
「ぷっは~!無事到着!」
扉から出て人の流れからも外れたところで,は大きく伸びをしながら
大声でそう叫んだ。
「オッサンかお前は」
土方が半眼でそう突っ込みをいれると,
「っさいな~。」
と,も同じように目を細くして睨んできた。
そして,
「んじゃ,また教室でね!あんたと一緒に歩いてて誤解されるの嫌だし!!」
べーッと舌を出して,はくるりと身体を反転させると足早に歩き出した。
…
……
………
…………か,かわいくねーーー!!!!
(なんであんな奴を一瞬でも女扱いしたんだ,俺…)
半ばげんなりして,土方は歩きだした。
もちろん,に追いつかないようにゆっくりした速度で。
~♪♪♪
そこで,メールの受信音が鳴った。
(んな朝っぱらから誰だよ?)
不思議に思いながら画面を開くと,
『差出人;』
「……ああ?」
数メートル先を歩く細い背中を見る。
なにがなにやら分からずに,とりあえず開いてみた。
そこには実に彼女らしい文面が並んでいる。
『今日はケータイ打てるくらい楽だったよ♪
それもこれも土方がふんばってくれてたからだね。
さすがわたしの忠実なる舎弟☆
誉めてつかわす(笑)!
くるしゅうない(`▼´)』
(……にゃろう)
思わず笑みが零れた。
が,しかし。
『そうそう!
土方が踏ん張ってる時の顔,超面白かった~!
思わず写メ撮っちゃった。
たぶん気付いてないよね??
えっへ~(ノ ̄▽ ̄)ノ♪』
「まじかよ!?」
周りも憚らず,土方は大声で叫んでいた。
その声が聞えたのか,がダッと走り出すのが見えた。
「おいコラ!!テメッ…待ちやがれ!!」
「やだ!!急いでクラスのみんなにメールしなきゃ♪もちろん写真添付して…
とりあえず沖田君に!」
「テメー……っざけんな!!!」
かなり本気で慌てて土方はを追いかけた。
朝早くのごったがえす駅の中,人一人追うのは非常に労力を要した。
しかも走り抜ける際に「何事か」と人々がこちらを振り返るのが雰囲気でわかり,
かなり精神的に痛かった。
数秒後,土方はに追いついた。
そして教室でやっているのと同じくヘッドロックをしたのだが。
きゃーきゃー騒ぐ彼女の胸ポケットにいるヒヨコを見て…
…なぜか手加減してしまった。
もちろん彼女の撮った写真は消去させた。
…なぜかアイスクリームで手をうつことになってしまったのだが。
まァ,なんにしろだ。
電車通学も,
携帯電話も,
そして,ついでにヒヨコも。
そんなに悪くねェな,と。
そういう考えに至り,彼は思わずにやりと笑った。
2008/11/04 up...
わたしは自転車に乗ることができません…補助輪つけたら乗れます。