突風ランデブー
よく晴れた風の強い日だった。
吹く勢いが凄いというのもあるが,方向がてんで読めないのがより面倒だった。
向かい風だったかと思えば追い風になり,かと思えば次の瞬間には横風に変わる。
ぴたりと数分止んだかと思えば,突然思い出したかのように再び吹き始める。
まるで好き勝手に遊び回っているどこぞの放蕩息子のように奔放で,至極傍迷惑な
風だった。
「あ~…髪の毛が乱れるじゃねェか」
それは元々だろいい加減諦めろ天パ,とツッコミを入れてくる知人は今この場には
いない。
俺は懐の風呂敷包みを抱え直しながら,1人でブツブツぼやいた。
「こんな日にデカい写真受け取りに行かせるなよなぁ…あのクソババァ」
風呂敷の中に入っているのは,スナックお登勢の前で撮った集合写真だ。
店の壁に飾るのだとかで,なぜかお登勢達3人だけでなく万事屋メンバーも一緒に
写ったのだった(定春も含む)。
額縁に入れられたご立派な写真は,結婚式のウェルカムボードか何かかと言いたく
なる大きさだ。
特別重くは無いが,いかんせん持ちにくい。
「あ~……くそっ」
いっそのことある程度重量があったならば,こうして風に煽られることもなかった
だろうよ,と思う。
軽さがもろに仇になり,ただ手に持っているだけでは強風に煽られあっちに行って
こっちに行って…と揺れるので,懐か脇に抱え込むしかなくなっている。
「…なんか飲み物でも買うか」
くたびれて来たところで,自動販売機が目に入った。なんとも良いタイミングだ。
ちょうどお登勢から貰ったお駄賃(300円)(マジで『お駄賃』だ)もある。
俺は財布の中から100円玉を2枚取り出し,自動販売機に近付いた―――が。
「…!?うおっと!」
突風が横から吹いてきて,脇に抱えた風呂敷包みは煽られ,額縁が手に直撃した。
その拍子に100円玉が1枚,手から零れ落ちてころころ転がって―――
「ああああああ!!??」
無慈悲にも自動販売機の下の闇へと消えていった。
「さよなら」を言う間もなかった。
いや,こんな形の別れは望んでいなかった……いやいやそういうことでなく!
「お,俺の100円!!」
万年金欠の身には,100円玉も貴重だ。
安売りスーパーに行けば,100円で掴み取りだって出来る。
いや,それを言うなら10円玉も5円玉も1円玉も大事だ。
1円玉を笑う者は,1円玉に泣く運命だ。
お金は全部大事だ。
俺は土下座に近い体勢になって,自動販売機の底を覗き込んだ。
しかし,自販機のすぐ真下からして既に黒々とした影で塗り潰されて何も見えず,
「一寸先は闇」とはこのことか,と思うくらいだった。
手を捻じり入れてみようと試みたが,肘よりも10㎝程前のところまでしか入らない。
「くっ……これ以上入りそうにねぇな」
動かせる限り左右に手をずらしてみるが,砂埃や小石に当たるだけで何も成果は無い。
ありそうにない。手が汚れただけだ。
手にした風呂敷包みを差し込んでみようかとも考えたが,こんな汚いところに写真を
突っ込んだことがお登勢にバレた日には,しこたまぶっ飛ばされそうなので止めた。
俺はこめかみをびたっと地面にくっつけて,自販機の底に向かって呼びかけてみた。
「おーい……出てこーい」
「もしもし,お侍さん?」
「!」
突如話しかけられて,しかもそれが若い女の声だったもんだから殊更に驚いて,俺は
文字通り肩を跳ねさせた。
四つん這いのまま顔だけ上げると,逆光の中で帽子をかぶった女が立っていた。
彼女は風に煽られる帽子を押さえながら,俺と同じ目線まで屈み込んだ。そして,
「よろしかったら,取りましょうか?」
「…は?」
朗らかな笑顔を浮かべて,彼女は俺の目の前で手をひらひらと振ってみせた。
白く細長い指と厚みの無い手は,マネキンのそれみたいだった。
……というか,今この人何て言った?
「わたし,指が長いし腕もわりかし細いんで」
「へ?」
いやいや。
自分で言うのもなんだけど,自販機の下を未練がましく探ってるマダオに,若い女が
優しく声をかけるだなんて,正気の沙汰じゃないよ。
どっちかというと「ママ,あれは何?」「しっ!見ちゃいけません!」な存在だよ。
自分で言うのもなんだけど。
「帽子だけ持っておいてもらえますか?」
そんな俺の心のツッコミなど何処吹く風で,彼女は帽子を取って俺に渡してきた。
反射的にそれを受け取って……帽子についている金色の燕に目を奪われた。
綺麗な飾りだな,という呑気な感想が浮かぶが,彼女が服の袖を腕まくりし始めた
ので,そんなのんびりした考えは吹っ飛んだ。
「あああ!取らなくて良いですよ!お気持ちだけありがたく頂戴致しますから!!」
慌てるあまり妙に丁寧過ぎる敬語になってしまった。
しかし,彼女は意に介せず,さっさと手を自販機の下に突っ込んだ。
あ……本当に腕細い。
余裕で二の腕まで入ってる。
……いやいや,そうじゃなくて!!!
「ちょっ,待って!取らなくて良いって!!あなた様のお召し物が汚れますし!!」
「『お召し物』って言葉,いいですね~美しい日本語の響きを感じて……取れた!」
彼女は歓声を上げて体を起こし,俺の方を見て得意気ににっこり笑った。
そして捕まえた蛍でも解き放つかのように,握り締めていた拳をパッと開いてみせた。
「はい,どうぞ」
「…げっ」
しかし,俺の口から漏れたのは,潰れたカエルのような声だった。
なぜかと言うと―――
「どうしました?」
「いや…俺が落としたの,100円玉」
―――彼女の手できらめくのは500円玉だったのだ。
いや……儲けたっちゃ~儲けたんだけど。間違いなく。
ラッキーと言えばラッキーなんだけど。紛れもなく。
俺が自分で取ったんだったら喜ぶんだけど。
「ありゃ……もう一度取り直します?」
「いやいや!それは結構!ありがとうございます,取ってくださって!!」
俺が取ったのならともかく,
『善良な若い女(初対面)に服汚させて取らせた上に,俺だけ儲けた』
という図がなんとも……罪悪感が湧く。非常に。
どうしたもんかと頭を悩ませ,俺はダメ元で1つ彼女に提案をしてみた。
「なァ…ナンパとかじゃなくてよ?あんた,俺にジュース奢られてくれない?
そうでもしないと心が痛むんだよ」
俺が「このとーり!」と両手を合わせると,彼女は少し驚いたように目を瞬かせた。
「つまり…遺失物横領の共犯者になって,と言うことですね」
「…そう堅い言葉で言われると,気がひけてきたわ。軽々しく言ってゴメンナサイ
って気持ちになってきた」
「あはは…冗談ですよ,冗談。お受けしましょう」
ちょうど喉が乾いていたんですよ,と白い歯をみせて笑う彼女を見て。
(あ。この人はマジで良い人だ)
と,しみじみ思った。
+++++++++++++
自己紹介として,俺は常時持ち歩いている万事屋名刺を渡し,彼女は「です」と
にこやかに名乗った。
自動販売機の向かい側にベンチが設置されていたので,そこに2人並んで座りしばし
お茶を楽しむことにした(もっとも,俺はお茶でなく桃ジュースだ)。
奢るだけで帰る,奢られるだけで立ち去るという選択肢もお互いにあったけれど,俺も
もそうしなかった。
こういう機会はあまりない。
たぶん2人とも新鮮で愉快な気持ちになっていたのだろうと思う。
「では,銀さんは甘党なんですね」
「完全に甘党だな。いや~ウチの者と毎食の折り合いつけるのも一苦労よ」
気まぐれで威勢のいい風と,心地よい五月の陽射しの中,とりとめもない会話をかわす。
は風に飛ばされないよう帽子を押さえながら,
「ご家族は甘党ではないんですか?」
「『家族』っつーか,正確には家族みてェな『従業員』。俺の他に2人と1匹」
「あっ。犬か猫を?」
「犬。でっけー犬だから,食費がかさみまくってて」
俺も写真の入った風呂敷包みを,膝の上に抱え直した。
少しでも油断すると,風に揺さぶられてエラいことになる。
「しかも2人の内の1人はいつでも食べ盛りの大食い娘だし」
「大変ですねぇ…女の子の『食べ盛り』って中学生くらいですか?」
「そうそう。見た目痩せてるくせに大食いで……あ。写真あるわ」
「見たいです!」
は両手を合わせて,ぱっと顔を輝かせた。
顔立ちは平凡だけど笑顔とか仕草が可愛いなこの人……と,そんなことを思った。
俺の周りには『顔は美人だけど中身が極めて剛の者』が多いので,余計に癒される。
…いや,自販機の下に手を突っ込んで名も知らぬ他人のお金を取ってあげるも
十分『剛の者』か?
まァ……とにかく「わりと可愛いな」と思ったわけです。うん。
「ちょっと待ってな…」
「ずいぶん大きな写真ですね」
「俺の家の1階が飲み屋で。そこの婆さんが店の壁に飾る用の写真を撮ったんだよ。
それが,これ。なぜか万事屋一家も一緒に撮らされて」
「仲が良いんですねぇ」
俺が風呂敷を解くのを,もせっせと手伝ってくれた。
今もなお風がかなり強く吹いているので,とても助かった。
額縁の中の写真を一目見て,は目を大きく見開いた。
「この大きな白いコは……熊さんですか?」
「いや,これがさっき話した犬。定春っていうんだ」
「犬さんですか!?大きいですねぇ!」
「そ。んで,こいつが大食い娘」
「ええっ!この可愛いコが!?…にわかには信じ難いです」
「信じ難い程に食うんだよ,マジで」
「全然太っていないのに!痩せているのに!」
すごい,と言いながらは身を乗り出したので,その拍子に細っこい二の腕が
俺の肘に触れた。
(あ…なんかうっかりドキッとしたかも)
いやいや,銀さんはこれくらいで動じるような青少年じゃないけど。
こんなことくらいで緊張なんてしませんけど。
頭の中で誰かに言い訳しつつ,俺は咳払いをして,
「こいつ,量は食うけど甘党ではないんだよなぁ。どっちかっつーと,薄味好きの
渋好み」
「でも,そんなにすごく沢山食べる上に甘党だったら,確実に太りますよ?」
「まぁな……さんは甘党?」
「わたしは甘党という程ではないですが,和菓子は好きですよ。『魂平糖』という
お団子屋さんを,銀さん知ってますか?」
「知ってる。美味いよな,あそこ……うお!」
「わっ!」
荒々しく風が舞い上がり,俺の髪を強烈に吹き上げた。
写真を飛ばされないようガードしなくちゃならないせいで,不本意だが髪は風に
乱されるがままだ。
も帽子をぎゅっと押さえて身を縮めた。
帽子についた金色の燕飾りが,パタパタと激しく羽ばたくように揺れている。
「あーーークソッ。髪の毛がグシャグシャだわ。元々天パだけど」
風が少しおさまったところで,俺はがしがしと頭を掻いた。
すると,が意外なことを言い始めた。
「天然パーマって素敵ですよね。天使みたいで」
「へ?」
あまりにも予想外過ぎて俺は目が点になった。
はそんな俺の表情に頓着することなく,むしろ目をキラキラさせて俺の頭を
見つめてくる。
「昔から憧れだったんです。西洋絵画に描かれる天使達の髪って,大半がウェーブが
かかっているから。髪の毛がくりくりな子供の天使は可愛いし,髪の毛フワフワな
大人の天使は美しいし。『ウェーブの髪』って,ものすごくロマンチックというか
メルヘンというか……本当に憧れなんです。髪がストレートな天使も勿論描かれて
いますけど,わたしは断然天然パーマ派です。心ときめきます」
「……」
「…そういえば,あれって『天然パーマ』ですよね?まさか天使達が自分でパーマを
かけるわけないですよね?それはそれで可愛い光景な気もするけど…そんなこと
ないですよね?」
「…ぶっ」
素で訊かれて思わず噴き出してしまった。
天使がせっせと自分の髪にコテを当てているところを想像してしまった。
たしかに,それはそれで愉しげだ。
いやはや,それにしても……は本当に面白い。思考がメルヘンだし。
それに 可愛い。
なんか可愛い。
「俺,自分の天パはどっちかっつーとコンプレックスなんだけど。でも,今の聞いて
ちょっと好きになったわ。ありがと」
「えっそうだったんですか?素敵ですよ,銀さんの髪」
心底意外そうな顔をしてくれるのがまた嬉しい。
俺がにやけるのを堪えていると,はふと深刻な表情になった。
「でも,他の人からは『全然気にする必要ないよ』って言われるのに,自分としては
コンプレックス……ってこと,ありますよね。わたし,実をいうと自分の手の指が
ものすごくコンプレックスなんですよ」
「え!?そうなの?」
は俺の目の前で,右手をぱっと広げてみせた。
こうしてまじまじと見ると,本当に指が細くて長い。とても。
「『細長いの,良いじゃん』って皆言いますけど……自分としては,嫌なんですよ。
なんか気持ち悪いな,って。魔女っぽくて」
「気持ち悪くねーよ全然。魔女っぽくもねーし。どっちかっつーと,なんかこう……」
俺はじーっとの指を見ていて…『あること』を思い付き,ぽんと手をうった。
「美味しそうだよな…の指」
「……え?」
今度はの目が点になったけど,俺は構わず喋り続けた。
「俺,昔寺子屋にいた時に『青い鳥』を読んでもらったんだけど」
「…チルチルとミチルの?」
「それそれ。話の細部はほとんど忘れちまったんだけど。
砂糖の妖精が,砂糖飴で出来た自分の指を折って2人に与える…ってとこは,
今でもハッキリ憶えてんだよな。『すげー美味そう』って思ったから」
しかも,砂糖の精は撫でるだけで指が再生するのだ。
つまり,いつでも何度でも好きな時に砂糖飴を食べられるということだ。
素晴らしい。
幼心ながらに憧れた魔法の指だ。
あの指は,絶対に細くて長くてキレイに違いない。
のファンタジーな語りに影響されたのか,俺もまた幼い頃のメルヘンな夢を
思い出した。
「の指って,そんな感じ。砂糖の精の指」
「…」
「……あれ?」
気が付くとの顔が真っ赤に煮上がっていたので,俺は首を傾げた。
「えっ…なに。どしたの?」
「いえ…」
は帽子のつばを両手でぐいぐい引っ張って耳を隠そうとしながら,
「…わたしの指,食べられませんよ?」
なんとも恥ずかしそうに小声で呟いた。
あれ?ひょっとして……
「……ひょっとして俺がさんの指を咥えるとこでも想像しちゃった?」
「……」
…あれ?図星?
帽子についた金色の燕が,照れ臭そうにふるふると震えている。
途端にドS精神が気持ち良く刺激されてしまい,俺はにんまりとしてしまった。
「さん…やらしー」
「ごめんなさいごめんなさい!自意識過剰でごめんなさい!というか,ムッツリで
ごめんなさい!」
うわーん,とさんは頭を抱え込んでしまった。
…あ,ダメだ。このコに冗談は通じない。
というか「ムッツリ」なのか,このコ。
良いことを聞いた。
「いやゴメン。ちょっとからかっただけだから。そんな謝んないで。なっ?」
俺の方こそごめんな,と背中をさすると,はおずおずと顔を上げた。
はちょっと涙目になっていて,しかも帽子の下からの上目遣いになっていた。
あまつさえ,頬をほんのり赤らめたまま小首を傾げた。
なんというか,これは―――女子の最終兵器なんじゃないデスか?
合わせ技でもはや反則なんじゃないデスか?
もう4割増しくらいで可愛く見えるんですけど。
「さん………うぉぉ!!!」
「わぁぁ!!」
屋根瓦まで引き剥がしそうな突風が,渦を巻いて駆け抜けた。
道行く人々も,歓声のような悲鳴をあげて立ち止まった。この風では真っ直ぐ進む
のも難しいだろう。
俺は膝の上の写真をガードし,は帽子のつばを再度ぎゅっと握りしめた。
屋根瓦どころかお天道様さえ落としそうな勢いの突風だった。
「すげぇ風…」
波が引くように風が止み,俺は深くため息をついた。自分でも気が付かないうちに
息を止めていたらしい。
隣を窺うと……一体何を思ったのか,は外した帽子を忙しなくクルクルと回し
見ていた。何かを確認しているようだ。
そして,先程とは打ってかわって青ざめた顔色で,
「無い…!あああ,やっぱりさっき飛ばされちゃったんだ…」
「へ?なにを?」
「金の燕……帽子につけていたんです」
「ああ…あのキレイなやつね。そりゃ大変だ 。どこに飛ばされたか,見てた?」
飛んでいっちまったのか。燕なだけに。
…いやいや,ダメだろ。飛んでいっちゃ。
「帽子を押さえるのに夢中で,あまりしっかりは見ていなかったんですけど……
あの自販機の上まで,金色に光るものが飛んでゆくのが見えました」
「…あの自販機,呪われてんじゃね?」
俺の金が下に入り込むわ,の燕が上に乗っかるわ。
はとても悲しそうに声を震わせて言った。
「気に入っている飾りなんです…」
「ひょっとして彼氏からもらったとか?」
かまをかけてみると,はぶんぶんと頭を振った。
「そんなんじゃないです。でも,お気に入りなんです」
「そうか…キレイだもんな,あれ」
「ちなみになんですが,彼氏はいません」
「あ。ご丁寧にありがと」
そこんとこ確認したかったんだよ,うん。
思わせぶりな態度を取らずに,こっちの聞きたいことをさくっと教えてくれるコは
いつの時代も貴重だ。
俺は肩を軽く回しながら立ち上がった。
自販機の下には手が届かなくても,上ならばジャンプで届くだろう。
「今度は俺の出番だな」
「お願いします!」
も立ち上がってトコトコとついて来た。自ら進んで「大事なお写真,お持ち
します」と,風呂敷包みを抱えてくれた。
俺は因縁の(?)自販機の前に立って,とりあえず片手を真っ直ぐに伸ばしてみた。
180少し超えるくらいの高さだよな,これ。
俺の跳躍力をもってすれば,難なく取れるな。
「あ。ちなみになんだけど」
「はい?」
「俺も彼女いません」
「そ,そうですか…!」
「そゆこと…よっと…!」
俺の科白にが嬉しそうに目を輝かせてくれたので,俄かにテンションが上がる。
気分が急上昇した勢いでジャンプして,自販機の上を手で素早く探る。
幸いにも燕の飾りはそれほど奥には乗っていなかったらしくすぐに手に触れたので,
そのままそれを掴んで着地した。
「そら,取れた……ぞ?」
「うわ~…ありがとう…ございます?」
2人して語尾が疑問形になったのは―――
―――俺の手の中にある物が『2つ』だったからだ。
掴んだ感触だけでは2つあると気がつかなかったけど。
1つは,金色の燕の飾り。
もう1つは,銀色の花の形をした…なんていうんだっけこういうの?
「…コサージュですね?」
「それだ」
「わたしの前にも飛ばされちゃった人がいたんですかね?」
「そうかもな」
俺は右手に燕,左手に花を持って,に問い掛けた。
「…あなたの飛ばされた飾りは金の燕?それとも銀の花?」
まだ俺の中にメルヘン脳の名残があったので,湖の女神さまのように言ってみた。
はそれを聞いてクスクスと楽しそうに笑った。
それから,なんとも意外なことを言った。
「飛ばされたのは金の燕,です。でも,銀の花をいただきたいです」
「へ?」
はきょとんとなった俺の左手から銀の花をそっと取って,
「金の燕は,たくさん食べるお嬢ちゃんに差し上げます。もし良かったら,ですが」
「…え。いいの?いや,あいつはすげー喜ぶと思うけど…」
神楽は基本的にがさつで腕っ節も気も強い男勝りだが,こういう綺麗な小物を好む
少女らしいとこも実はあって,お妙から時々貰っては大喜びしている。けど,
「さんも気に入ってるんじゃないの?」
「気に入ってますけど,こちらの銀の花をいただきたいのです」
はコサージュを帽子に付けて,それを頭にかぶった。そして,
「銀さんと出会った記念に,銀の花」
「…!」
ちょこんと頭を傾けて,緩やかに口角を上げてはにかんだ。
光る風の中で,帽子の銀色の花が煌めいた。
…あっ これ俺カンペキに撃ち抜かれた。ズキュンって。
「では,そろそろ帰ります。お茶に銀の花に,ありがとうございました」
「…いいえ,どういたしまして……あのさァ」
「はい?」
は空いたお茶の缶をゴミ箱に入れながら,こちらを見上げた。
俺は金の燕をひらひらと小さく振りつつ,言葉を言い列ねた。
「神楽のやつ…あ。大食い娘,神楽って名前なんだけど。神楽にこれあげたら,
物凄く喜ぶと思うんだわ」
「それは良かったです」
「うん。で,だ。あいつに今日のこと話したら『お礼が言いたい!』って言うと
思うんだわ。さんに,直接」
「はい」
「だから…その…直接また会うために,だ」
「…」
「…え~~っと」
「……」
にじっと真っ直ぐに見つめられ,俺は心の中で白旗を上げた。
うだうだと理由を練るのはヤメだ。
正攻法がこのコには1番良い。
「…というのは,まァ全部建前なんだけど。
とりあえず,連絡先を教えてくれませんか」
冷やかす口笛のような音を立てて,再び風が鳴った。
白い煙が幾筋も頭上でたなびいているかのように,空に浮かぶ雲を風が吹き散らし
てゆく。街路樹が豪快な音を立てて揺れ,木漏れ日が色々な形に姿を変えてゆく。
けしかけるかのような風は,彼女の帽子についた銀の花を擽って揺らす。
皐月の突風の中,は頬を真っ赤にして笑った。
--------------------------fin.