『手負いの獣は群から離れてひとりになりたがる』って言うけれど。
わたしは君を ひとりになんかさせたくない。
わたしは君を ひとりになんかさせてやらない。
だって君は 本当は
誰よりも『独り』になることを嫌ってるから。
とまり木
…トントン
左手に1人分のミニ鍋を乗せたお盆を持って,わたしは右手で襖を叩いた。
襖の向こうで寝ているはずの人物――沖田隊長の反応を待つけれど,中からは何も聞こえてこない。
「沖田隊長?わたしです。ですけど」
しばらくしてもやっぱり返事はなくて,わたしは心配になって取っ手に手をかけた。
(まさか…熱が上がりすぎて気絶していたりして!?)
襖はあっさりと横に開き,急いで中に入った瞬間――目に飛び込んできたのは,布団に横になって
こちらをじっと見つめる沖田隊長だった。
「…返事もしていねェのに勝手に入ってくるなんざ非常識でさァ」
大儀そうにゆっくり寝返りを打ち,彼はそんなことをぼやいた。
病人だというのに全然可愛くない。でも危惧したようなことになっていなくて,わたしはホッとする。
「起きているなら返事して下さいよ…心配しちゃいました」
「心配される筋合いねェよ」
鼻声でいつもの憎まれ口をたたく沖田隊長に,わたしは溜息をついて部屋に足を踏み入れた。
昼間だけれど電気をつけていない分,部屋の中は少しだけ薄暗い。
布団の横に座りながら隊長に声をかける。
「副長に聞きましたよ。風邪をひいて寝込んでいるって」
「余計な真似を…」
「副長は心配してるんですよ,沖田隊長のこと」
「…そーゆーの気持ち悪ィや」
ぐずぐずと文句を言う隊長の顔は全体的に赤らんでいる。
熱のせいか少し目が潤んでいて,どこか焦点も定まらない。
本当に調子が悪そうだ。
わたしは沖田隊長から目を外して,文机の上に放置されているあの変なアイピローを見た。
今日は額に水タオルをのせているから,アイピローを使えないんだろう。
(あ…そういえば沖田隊長の部屋に入るの初めてだ)
こういう時に不謹慎だけれど,ちょっと好奇心がうずいてわたしはあたりを見回した。
床の間には掛け軸,花瓶,装飾皿。どれも他の部屋に置いてあるのとあまり変わらないから,きっと
元々置いてあった物だろう。沖田隊長の私物はアイピローと刀,壁にかかった隊服,それに文机の
上にあるCD数枚と携帯電話くらいだ。
余計な物は何もない――いかにも沖田隊長らしい部屋だ。
もう1度沖田隊長に目を戻すと,彼はぼんやりとした眼差しで天井を見上げていた。
わたしは額のタオルをそっと取って,枕元のたらいの中に浸した。
冷水の中でぴちゃぴちゃとタオルを泳がせ,ぎゅっと絞る。
「タオルのせますね」
一言声をかけて額にそれをのせると,沖田隊長は気持ち良さそうに目を細めた。
あ,今の表情ちょっと可愛いな。
隊長は「可愛い」って言われるのをすごく嫌がるから,口が裂けても言えないけど。
「熱はどれくらいあるんですか?」
「50度」
「…人間って,42度を超えると酵素系の障害が出るんですけど」
「マイナス12度」
「…38度ですか。結構高いですね」
わたしはそっと沖田隊長の髪を梳いてみた。栗色の髪はじわりと汗ばんでいて,たしかに熱い。
(代わってあげたいな)
そんなことを思いながら頭を撫で続けていると,隊長のうつろな目がわたしの方に向いた。
「…」
「ん?なんですか?」
「…あんた手が冷てェな」
「そうですか?沖田隊長が熱いんですよ」
「…手が冷てェ人は心が温かいんでさァ」
「あーたしかにそう言いますね」
「姉上も…」
「え?」
「姉上の手も…冷たかった」
ふっと瞼を閉じた沖田隊長がいつもより幼く見えて,わたしの目頭はほのかに熱くなった。
もうここにはいない隊長の姉上様――ミツバさん。
わたしも1度だけ会ったことがある。
隊士の皆さんは「似ていない姉弟だ」って言っていたけど,わたしは「すごく似ている」って思った。
それで「お2人共優しい目をしてますね。そっくり」と言ったら,沖田隊長はこれ以上ないってくらい
目を見開いた。そして「ばーか。そんなこと言うのお前だけでェ」とわたしを小突いた。
その時の隊長の頬は少しだけ赤かった。きっと…照れていたんだと思う。
ミツバさんと一緒にいる時の隊長はすごく活き活きしていて,あどけなかった。
沖田隊長にとってのミツバさんは,近藤さんの言っていたとおり『鎧の紐を解く場所』だったんだと
わたしもそう思う。
(でも今は…もう…)
気付かれないよう静かに鼻をすすって,わたしは隊長から目をそらした。
ふと――棚の上に置いてあるお皿が目に入った。
そこにはラップに包まれた朝食が,お行儀良く置かれていた。
「山崎が持って来たんでさァ」
わたしがそれを気にしているのが分かったのか,沖田隊長は細々とした声で言った。
「食べてないんですか?朝からずっと」
きれいにラップがかけられた食べ物は,一切口にされた様子がない。
「食べたくねー…」
気だるげに閉じかけた目と,時々発せられる苦しそうな咳が,風邪の辛さを物語っていた。
どうにか気持ちだけでも元気になってもらいたくて,わたしはわざと意地悪なことを言ってみた。
「『なんとかは風邪をひかない』って言うのは嘘だったんですね」
くすくす笑ってみせると,沖田隊長は丸い目を三角形にしてこっちを睨み上げた。
「『なんとか』って何でさァ?」
「え…?あー…『なんとか』……なんとかなるサンサルバドル」
「お通語でごまかすなっつーの」
声を絞り出すようにしてつっこむ沖田隊長に,わたしは彼の鼻をちょんと摘んだ。
「あら~ずいぶん弱々しいですねぇ,沖田隊長」
からかうわたしを力なく睨むと,沖田隊長は力の篭らない手でわたしの手を振り払った。
「用はそれだけですかィ?帰ってくだせェ」
辛辣な隊長の言葉をスルーして,わたしは横に置いていたお盆を掲げてみせた。
「じゃーん!特製の卵雑炊です。野菜もお肉もたくさん入ってますよ。ありがたく
召し上がってください」
「,確かあんた食堂勤務のくせに料理が…」
「めちゃくちゃ下手ですけどそれが何か?」
沖田隊長は眉を潜めると,わたしの持つお盆を押し返した。
「今,食欲が更に減りやした。持って帰って下せェ」
「うっ…」
「……ありっ?」
ふいに沖田隊長は何かに気付いたような声を出し,布団をどけてゆっくり体を起こした。
起きあがった拍子に額のタオルが布団に落ちたけれど,隊長はそれを全く気に留めない。
緩慢な動作でわたしの手をとって,まじまじと見つめる。
(あっやばい)
「これ,どうしたんですかィ?」
沖田隊長が驚くのも無理はなかった。
わたしの指は10本全てにきっちり絆創膏が貼ってある。自分で見ても相当に痛々しい状態だ。
慌ててわたしは手をサッと背中に隠して,ごまかし笑いを浮かべた。
「いや…これは…その…いいんです。何か精がつくもの食べたらいいんじゃないかと思って
作ったんですけど。でもやっぱりいいです。無理して食べていただかなくても」
手にしたお盆をさげようとした時――彼はそれを止めた。
「…隊長?」
「食材の無駄遣いはいけねーからな…食いまさァ」
「いいですよ,そんな無理しなくて。わたしが後で食べますから」
「俺が食べるって言ってんだろィ」
「…ハイ」
沖田隊長は鼻水をグスッとすすり上げて「さっさとよこせ」という顔でわたしを睨む。
お盆がぐらつかないよう注意しつつ,布団の上にそれを置くと,隊長は火照った手でレンゲをとった。
黙々と雑炊を口に運んでいく隊長を凝視して,わたしはおそるおそる尋ねた。
「ど,どうですか?」
「不味ィ……ってのは冗談で,朝から何も食べてねェからな。それなりに美味しいでさァ」
声に力が入っていないのに,よくもここまで沖田節が出てくるなあと感心しつつ,わたしは笑った。
だってそれでこそ――沖田隊長だから。
「ごちそーさんでした」
「いえいえ,お粗末さまでした。次はもっと料理を練習して――」
「是非そうして下せェ」
小憎らしいことを言う沖田隊長に苦笑して,わたしはお盆を持って立ち上がった。
「…,どこ行くんでさァ?」
「いえ…眠るのに邪魔でしょう?わたしがいると」
本当は,もっと傍にいたいけれど。
ずっと傍にいたいけれど。
でもそれはわたし1人のエゴだと思った。
むしろわたしがいない方が隊長はよく眠れるんじゃないか,って。
「…」
黙ったまま沖田隊長は体を横にし,布団をかぶってわたしに背を向けた。
「…隊長?」
「病人放っといて行っちまうたぁ,とんだ薄情モンだなァ」
「…」
へそを曲げた態度に,拗ねたような口調。
わたしは柔らかく笑いかけて,再度布団の横に座った。そっと彼に顔を近づけて訊いてみる。
「寂しいんですか?」
「寂しくないでさァ」
「じゃあ,わたしいなくてもいいでしょう?」
「…」
いたずらっぽく言うと,途端にむっすりと沖田隊長は黙り込んだ。
きっとこの人は「寂しい」なんて絶対に言わないだろう。
「冗談ですよ。わたしはここにいたいです」と言おうと口を開きかけたその時,
「…に…て…せェ」
「え?」
もぞもぞと布団が動いて,沖田隊長がわたしの方を向いた。
いつもの生意気な瞳はどこに行ってしまったのか,頼りなげな眼差しでわたしを見上げている。
熱に浮かされた双眸は,涙で潤んで光っている。
「―――――」
乾いた唇が小さく動いて,ひどく素直な言葉が溢れる。
障子の向こうから滲む日の光が,穏やかに部屋の中を照らし出した。
隊士の皆さんの笑い声が,遠くの方から聞こえてきた。
「仕方ないですね~…」
わたしは溜息と同時に笑った。
布団の上に落ちたままのタオルを取って,再びたらいの水に浸す。
それを額にのせると,沖田隊長は腫れぼったい瞼をゆっくり閉じた。
「,わかってますかィ」
「ハイハイ。わかってますよ。ちゃーんといますから」
“傍にいて下せェ”
鼻声で呟くようにそう言った沖田隊長の手を,わたしはギュッと握った。
絆創膏だらけの指が少しだけ痛むけれど,そんなこと気にしない。
隊長の熱い手がわたしのそれを握り返すと,熱と一緒に彼の気持ちも流れてくる気がした。
「ねえ…沖田隊長」
「なんでィ」
「あの…辛い時は『辛い』って言ってくださいね」
「…」
わたしはあなたの姉上様にはなれないけれど。
まだ『鎧を紐解く場所』にはなれていないだろうけれど。
せめて…『一時羽を休められる枝』でありたいから。
だから無理はしないで。
辛い時は「辛い」って言って。
寂しい時は「寂しい」って言って。
苦しい時は「苦しい」って言って。
わたしは――
「わたしは――弱い沖田隊長も好きですから」
「…」
この熱い手のひらが――すごく愛しいから。
わたしは隊長の手に,そっと自分の唇を押し当てた。
彼の体温が唇から伝わってきて,どうしようもない程の切なさが込み上げてきた。
なぜか涙ぐみそうになって,わたしは沖田隊長にもう1度話しかけた。
「聞いてます?」
「聞いてまさァ…」
沖田隊長は瞼を開けなかったけれど,そのかわりわたしの手を強く強く握り締めてくれた。
彼のその優しさに,ふっとわたしは笑う。
隊長の手から唇を離して,かわりに頬をぴたっとくっつけた。
「早く元気になって下さいね。沖田隊長」
「わかってまさァ…」
呟くように答えて,沖田隊長は口の端を小さく上げて微笑んだ。
部屋を漂う温かな空気が,わたし達を柔らかく包み込む。
彼が眠りにつくまで,わたしはずっとその手を握り続けていた。
翌日。
沖田隊長は驚異的な速さで回復し,現場復帰した。
しかし――
…トントン
「『なんとかは風邪をひかない』っつーのは嘘だったんですねィ?」
お手製の雑炊を片手に,なんとも楽しげに笑う一番隊隊長の姿が,某女中の部屋の前で目撃されました。
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2008/11/09 up...
病気になると心が弱くなりますよね~。体と心は繋がってますね。