海恋
「…あれっ?」
「…ちょりーっす」
只今の時刻は夜11時ちょっと前。
既に床についていても文句は言われまいこの時間帯に,ピンポンピンポンと我が家の玄関ベルを
鳴らしまくる輩がいた。
一体どこの酔っ払いですか水でもぶっかけてやりましょうか,と思ってバケツを抱えて扉を開け
てみたら……あらまあ,びっくり。
「銀さん…たしか『今日は長谷川さんと飲みに行くから会えねェ』て言ってなかった?」
真っ赤な顔をした甘党なお侍さんが,ふらふらと左右に体を揺らしながら立っていた。
構えていたバケツを玄関の隅に置いて,それからもう1度銀さんに話しかける。
「大丈夫?」
「…うん」
こっくりと素直に頷く銀さんはなんだかいつもより可愛らしい…可愛らしいけど,
「…!」
「…」
大きく後ろに背を反らせたかと思うといきなり前のめりになって,まるでしがみつくようにして
こちらに抱きついてきた。
不意打ちの抱擁にびっくりしたけれど,わたしがちゃんと支えていないと銀さんは今にもくずれ
落ちそうだった。
だから「きゃっ♪」とか「どきっ☆」とか。
残念ながらそういう乙女思考にはならなかった。
「…銀さん」
「ん~…」
「『ん~』じゃないよ。ねえ…しっかり」
「うィ~…今日は飲んだ飲んだァ」
「…見ればわかるよ」
(あーあ。こんなに酔っちゃって)
いつもはお菓子の甘い匂いをまとっている彼だけれど,今はアルコールの匂いの方が勝っている。
「ねえ…中に入ろう?」
抱きついている彼の背中をぽんぽんと叩いて促す。
「…今日行った店がさァ」
「(聞いてないし)ん?今日行ったお店がどうしたの?」
「今日行った店の…女将がさァ」
「女将さんが?」
「竜宮城のォ…乙姫様でな」
「…(あ,今日はもうダメだわこの人)」
「乙姫様はな…浦島に会えたんだよ」
「それはよかったね~」
適当に相槌を打ちながら,どうやって彼に水を飲ませるかを頭の中で考える。
「乙姫様はさ~何百何千の時を…1人で待ってたんだよ」
「ふーん」
「女将さんな,ずっとずっと待ってたんだよ。その男のことをよ」
「へーえ」
「いつ会えるかもわかんねェのに…長ェ間ずっと信じて待ってたんだと」
「…そう」
「うん。それで…やっと…会えたんだよ」
「……そう」
「良い笑顔だったなァ…女将」
「……うん」
「長ェ時をこえて…再会して…笑い合って…それを,見たらさァ」
「…」
ゆっくりとした動きで,銀さんは少しだけわたしから体を離した。
彼の顔をそっと見上げてみると,とろんとした眼差しがわたしの瞳を抱いた。
「お前ェが恋しくてたまらなくなった」
大きな手のひらがわたしの頬を撫でる。
ひんやりとしているのに,すごく暖かな想いが伝わってくる。
そして――
「…ひゃっ!」
「……ん~~~」
一気に力尽きたのか,銀さんは再び倒れこんできたので慌てて支える。
「…もう」
わたしは思わず苦笑して,肩に乗っかる彼の頭をわしわしと撫でた。
銀さんはわたしよりずっと背が高いのに,今はなんだか小さな子供みたいに見えた。
「何を言ってるんだか…」
呟きながら彼の銀髪を指で梳く。
――長ェ時をこえて 再会して 笑い合って ――
――それを見たら お前が恋しくてたまらなくなった――
「…」
何を言っているのかはわからない。
でも――何を言いたいのかは,なんとなくわかる気がした。
「ほらしっかり。中に入ろう」
「…ぐぅ」
「って,寝ないでよ~!!!」
わたしの叫びが辺りに響き渡る…ご近所のみなさん,ごめんなさい。
そうしてわたし達は1つの影になって家の中へ入った。
そのまま静かに扉を閉めて,夜の帳から2人して逃げた。
その夜 わたし達は 貝のように 口を閉ざした。
たゆたう沈黙の揺りかごの中,ぴたりと2人寄り添って。
お互いの体温を分け合って眠りについた。
――真珠の輝く海底のような 夜空の下で。
2009/03/20 up...
二代目・拍手お礼夢その1。