牡丹の武士
「セクハラよ!」
耳を塞ぎたくなる程のキンキン声を,目の前の女は発した。
それほど大きな声量だったし,声質も甲高いものだった。
まさに『警戒音』であり『警告音』といったところか。
ここ最近で勢力を拡大し始めている過激派攘夷浪士の一党―――『東雲党』から商業施設の
爆破予告があったのは,夕刻のことだ。
もっとも,東雲党は「攘夷」とは名ばかりのチンピラ集団というのが実際のところのようだ。
晩飯前の時間帯に爆破を予告するたぁ俺たちの空っぽの胃袋にケンカ売ってんのかこちとら
1日汗水流して働いて空腹なんだよドタマかち割るぞコラ,とそれこそチンピラ並に凄みたい
衝動に駆られたとしても,仕方ないだろう。
爆弾処理班を引きつれて施設内のめぼしき所を探したが,特に怪しいものは見つからなかった。
いよいよ辺りも暗くなって警備をより強めていたところ,商業施設内のエレベーターホールを
不自然にうろつく女がいたので職質をかけてみれば……これだ。
「身体検査と称して体触る気!?公権力をかさにきて!税金泥棒なうえに変態男の集団ね!」
「…」
俺は顔をしかめるのを寸前で堪えたが,隣りの一番隊隊長は至極無遠慮に顔を歪めた。
それどころか,
「誰がお前みてぇな猪八戒にセクハラするんでさァ。金積まれてもお断りでィ」
「な,なんですってぇ!!」
おそらく平均より大分ふくよかだろうその女は,鼻の穴を膨らませて憤怒した。
そうしていると余計に豚に見えるぞ,と内心で俺は思っていたが,
「おい,やめとけ総悟。女をブタに喩える奴があるか」
「土方さん,それは違います。俺は豚に喩えちゃいねーや。『豚の化け物』に喩えたんでさァ。
猪八戒は『豚の化け物』であって,断じて豚じゃねェ」
「ひどいわ!名誉毀損よ!!」
「ブーブーうるせェんだよ,猪八戒。毀損されるような名誉も無ェくせに,名誉毀損とか言ってん
じゃねーよ,猪八戒。名誉毀損なんて言葉は名誉を手に入れてから言え,名誉を」
「なんなのこの人本当に警官!?」
総悟は腕っぷしの喧嘩がすこぶる強いが,口喧嘩もまた同様だ。的確に相手の心を折りに行く。
それはそれで後が面倒だ。
そのへんにしとけと口を開きかけたところで……視界の端に某人物の姿がうつり,俺は我知らず
にやりと笑った。
「おい。総悟,もう良い。あいつが来た」
真選組の隊服を身に纏った長身の女が,黒鳥のように颯爽と現れた。
そこらの男よりも足が長く,背筋を美しく伸ばして歩く様は,まるで某歌劇団の男役のようだ。
突然現れた女隊士を見て,猪八戒…じゃなくて身体検査の拒否をしていた女は,目を見開いた。
「真選組のです。これからあなたに身体検査を実施します。なお,これを拒否して
逃亡をはかった場合,公務執行妨害罪になる可能性がありますので」
「!」
『男装の麗人』という言葉がよく似合う女隊士の右頬には,大きく刀傷が入っていた。
白い頬の上をまるで赤い百足が這っているかのようで,美形に分類される顔にはおよそ似つかわ
しくない傷跡だ。
女隊士の登場に,ふくよかな女の顔が明らかに引きつった。
自分が言った「変態男」という括りに,目前に立つ「女隊士」は該当しない…その事実に,女の
顔色がサッと変わった。それを見た女隊士―――は,
「同じ女性の私なら,問題ありませんね。身体検査」
『麗しい笑み』とはこのことか。
輝かんばかりの華やかな笑みを浮かべた。
「女を武器にしたからには,女と戦う覚悟はありますよね?」
女は呻き声のようなものを吐き出し,後じさる気配を見せたが,はそれに対しても先程と
同じように鮮やかに笑った。
先程と違ったのは,その笑みを「挑発」と受け取ったらしい女の反応だった。
顔をカッと赤らめて,よく聞き取れなかったがおそらく悪態の台詞を小声で吐いた。
そして,ふくよかな見た目よりは存外素早い動きで,胸元から何やら武器を出そうとしたが,
「動かないでね。あなたの体型では,私より素早く動くのは無理よ?」
「…」
それよりも遥かに素早く動いたに,首元にクナイを突きつけられた。
しかも,美麗な笑顔と反論困難の侮言のオプション付きで。
格が違った―――いろいろな面で,完璧に。
「爆弾は?」
「…」
「黙ってても,良いことないわ。女は女に対して,どこまでも残酷になれるんだもの。男よりも
よっぽどね。あなたも女なら,意味はわかるでしょう?」
「…!」
「私は女だから。どうすれば女が1番屈辱を感じるか,女が1番心を抉られるか知っているわ。
試してみる?」
「…ひっ」
は舌の上で科白を遊ばせるかのように詰問し,脅した。
『脅す』という言葉があまりにも似合わない,優しい声音で。
しかし,それが余計に恐ろしくもあった。
女は幽鬼でも見たかのような表情になり,震える声で叫んだ。
「爆弾は…仕掛けていない!仕掛けようと思ったけど…警備が固くて…」
「そう。お仲間は他に何人来ているの?」
「だ,誰も来ていない…」
「嘘ね。誰もいないってことはないでしょう」
「嘘じゃない…!」
「嘘じゃないなら,爆弾仕掛けようとしたのはあなたってことよね。どこに持っているの」
「ひ,左袖の中…」
聞くが早いかは素早く女の袖から箱のようなものを取り出した。
その間も,女の喉に突きつけたクナイの切っ先は1ミリもぶれなかった。
「これね。他に隠し持っていない?」
「ない…」
「本当に?私達真選組は嘘をつく人間に厳しいわよ。地獄の閻魔様みたいに」
「ほ,本当に…!」
「そう。ねぇ……これはただの年増女のお小言なんだけど,いくら『女性の方が爆弾犯としては
疑われにくい』と思っているからって,女性1人に爆弾仕掛けを任せるなんて,それって組織
としてどうなの?それに,身のこなしからして,あなたろくに訓練も受けさせてもらってない
でしょ?あなたに命令した人は,どうせろくに下調べもせずに,『見つかりにくい所に爆弾を
仕掛けて来い』って漠然とした指示であなたを送り出したんでしょ?止めた方が良いわよ,
そんな組織。ろくでもないわ」
「…」
全て図星だったのか,女は黙り込んで俯いた。
ぐうの音も出ないとはこのことだろう。
他の隊士達が駆け寄って来て,女を連行してゆくと,はクナイをさっとしまって小さく息を
ついた。
そんな女達のやりとりを間近で観戦していた客―――総悟はパチパチと拍手をし始めた。
「いや~姐さん,鮮やかでさァ。しかも,えげつねーや。鮮やかでえげつないって,ホント
すげーよ。普通は絶対両立しねェのに」
「褒めるかけなすかどっちかにしろ,お前は」
「あら,今のは沖田隊長の最大の賛辞ですよ,副長。私,嬉しいです」
俺のツッコミにさらにツッコミを入れて,は晴れやかに破顔した。
少しの曇りもなく笑っているので,おそらく本心から喜んでいるのだろう。
横で「当然褒め言葉でさァ。そんなこともわかんねーのか土方」などとほざく総悟の頭を拳で
どつきながら俺は,
「…よくやった」
「もったいないです」
俺の労いにもは嬉しそうに笑った。
目の奥に灯火が点いたかのような温かな笑顔に,こちらもなにやら明るい気持ちになる。
(いい新人が入ったな)
今そう思っている俺は,女隊士の募集には最後まで反対していたわけだが…
…それはともかく,性別に関係無く「いい新人が入った」ということは,一組織をまとめる側に
とって喜ばしいことに違いはなかった。
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<つづいては,真選組初の女性隊士についての特集です>
自室でテレビを見ながら休憩していたら,突然屯所が大写しになったので煙草の煙を咳き込んで
しまった。
(そういや,大部屋のテレビに隊士がやたらと集まっていやがったな…)
幹部の部屋にはそれぞれテレビが設置されているが,一般隊士の部屋には置かれていないため,
会議の行われる大部屋や食堂にてテレビ視聴するのが常となっている。
大部屋の混雑の原因はこれか。
この番組が目当てなのか。
画面は屯所から変わって,半年前の入隊式の映像が流れた。
<今年の4月,初めて真選組に女性隊士が誕生しました。栄えある初代女性隊士達は総勢6名。
女性隊士の制服は,基本的には男性隊士のものとデザインは同じです。でも,背中と胸元に
このように牡丹の花が刺繍されています。キレイですね~>
明るく間伸びした声と共に,牡丹の刺繍が画面いっぱいに大映しになる。
女性隊士とはいえ男と同じように戦場に立つことにもなるわけだから,性差で制服デザインを
変えることはあるまい(某男女同権団体も煩いし)。
しかし,それはそれとしてせっかくの「初」女性隊士なわけだから。
なにかしらそれっぽいデザインにもしたいよね,やっぱり。
…という松平のとっつぁんや近藤さんの意見が反映された結果,『背中と胸元に紅牡丹の刺繍を
ほどこす』というデザインに落ち着いた。
俺としては「そんなもんどうでもよくね?」と思っていたのだが,このデザインは世間一般には
なかなか好評なようで,テレビや雑誌にもよく取り上げられている。
つくづく自分は広報・宣伝系には向かねェ頭をしてんだな,と思い知らされた(デザイン系も)。
<さて,その6人の女性隊士の中でも,早々に前線で戦っているのがさんです。
さんは1年前までは吉原の自警団・百華で働いていたそうです>
その言葉と共に,百華にいた頃のの写真が映し出された。
薙刀を構えている彼女は今よりも少し若いので,おそらく何年か前の写真だろう。
隊内のファンはきっとテレビの前で狂喜乱舞しているだろう(バカか)(バカだな)。
<1年前,吉原の天井が開放され,地下と地上の行き来が実質自由となって,さんは百華を
退団なさいました>
昔の写真がフェードアウトし,現在のがインタビュアーにマイクを向けられている映像に
切り替わった。
……カメラの前でも,は顔の刀傷を隠さない。
入隊前に,近藤さんが彼女の傷について,
「その傷はもう痛くないの?勤務中隠したければ,何かしら隠せるものを用意するよ?」
と至極心配そうに本人に直接聞いていたが(あの人はそのへん本当に嫌味がない),
「もう痛くないですし,隠したいとは思っていません。百華の女達は皆そうです。それに,今は
『スカーフェイスキャラ』という便利なジャンルもあるんですよ」
などと本気か冗談なのかわからないことを言っては笑っていた。
ポジティブな女だなと―――その時は,単純にそう思った。
<吉原を出て故郷にお帰りになるという選択肢もあったかと思うのですが?>
<そうですね。私は7歳の時に吉原へ下りて以来,ずっと地下にいましたし,郷愁も勿論ありま
した。でも,親も既に死んでいますし,親しくしていた人々も故郷を出て行っていますし。
親の墓参りのために一度帰省しましたが,故郷で暮らしていこうとは思いませんでした。
とりあえずは江戸で働こうかと>
<そこで,真選組の女性隊士募集の広告を見たんですね>
<はい。『女性の攘夷浪士が増えて来ている昨今,それを取り締まる側にも女性の力が必要で
ある。女性ならではの視点や能力がもはや必須である』という松平長官のお言葉に,感銘を
受けました。それに,百華で培った自分の剣技を活かせるのではないかと思い,入隊試験を
受けようと決めました>
にこやかに受け答えをするは,随分テレビ慣れしているように見えるが,ずっと地下にいた
のだから当然テレビに出たことなど入隊前は皆無だった。
それならばなぜ慣れているのか,という話に以前なった時,
「百華に入る前は客をとっていました。その時は毎日自分をキレイに見せようとしていたから
そのせいかもしれませんね」
と,は事もなげに言っていた。
「客をとっていた」とは,もちろん『そういうこと』だ。
は最初から百華に入っていたのではなく,一度遊女の道を経ていたらしい。
13歳で遊女になり,17歳で客同士の刃傷沙汰に巻き込まれて顔に傷を負い,その後百華に入った
という。
青春を吉原に捧げた女―――それに間違い無いが,はその憐れさを周りに感じさせること
はなかった。
俺は……それを心中で密かに賞賛し,尊敬してもいた。
<今ではすっかり江戸の人気者ですね。そういえば,さんは『リボンの騎士』に擬えて
『牡丹の武士』と町の人々から呼ばれているそうですね>
<光栄です…少し恥ずかしいですが>
<牡丹の花言葉には,「風格」や「富貴」などといった気高さを表す言葉と,「恥じらい」や
「人見知り」と言った控えめな意味を持つ言葉の両方があるんですよね。まさに牡丹の花は,
さんにぴったりですね>
「こんなに褒めてくれるなんて,素直に嬉しいです」
「ぅお!!」
急に背後から声がして,俺は思わず煙草の灰を畳の上に落とした。
俺の失態に,はすまなそうに眉を寄せて,
「驚かせて申し訳ありません,何度かノックはしたんですけれど…」
「いや,こっちこそ悪ィな。返事もしねェで」
「いえ…ご休憩中にすみません。これ,先日の東雲党の女性についての報告書です」
「ああ…早いな。助かる」
ファイルを受け取りながら,テレビを消した方が良いのか,消さない方が良いのか一瞬迷ったが,
「喩えられるならリボンの騎士より,ベル薔薇のオスカルの方が良かった~なんて思っていたん
ですけど」
髪が短いから無理かなあ,とが微笑んで座ったので,そのまま点けておくことにした。
の入隊以降,真選組がテレビで取り上げられる機会は格段に増えた。
しかも,かなり好意的な取り上げられ方で。
それもこれも全ての容色や人柄によるものだが……
「悪いな…客寄せパンダみてぇな真似させて」
「あら」
俺が謝ると,は意外そうに目を丸くした。そして,可笑しそうにころころと笑った。
「世間は男女平等が謳われて久しいですけど,真選組は男社会なんですから。女の仕事なんて
こんなものでしょう。女隊士の入隊初年度ですし」
「いや…そうは言ってもな」
俺は煙草の火を灰皿に押し付けて消しつつ,
「前にも言ったが,お前を監察方にって話も最後まであったんだ。今回の入隊試験で採用された
女隊士は6人…その中で実戦経験があるのは,元百華のお前だけだった。『潜入捜査の出来る
女隊士』を望む声は大きかった」
潜入捜査はその性質上単独行動が多く,いざという時に己の身ひとつで戦わなければならない。
実戦経験が無い者に任せられる任務ではない。
また,女性でなければ入り込めない場所も多々ある昨今,潜入捜査のできる女性は強く望まれて
いた。
「けど…お前の容姿は監察よりも…その……」
しかし,実戦経験のある女性などそうそういるわけはなく,そもそも真選組の入隊試験を受けた
女性の人数も多いとは言えず…最終的に「実戦経験は無いが武道の心得のある女性」が5人と,
「実戦経験のある容姿の華やかな女性」が1人入隊することになった。
来年度以降も,女性隊士の確保をしていかなければならない。
そのためには今年度採用の女性隊士の中に『花形』をつくり,世間にアピールし,「自分も隊士
になりたい」とより多くの女性に思わせる…そういう立ち位置の人選が必要だった。
強く美しい女隊士が,男達と共に戦場で活躍する―――こちらもまた実戦経験が無いとできない
役割だった。
そして,そういう花形隊士が監察を兼ねることなど当然出来るわけはなく(かたや顔を売り出し,
かたや顔を憶えられないようにする仕事だ),をどちらにすべきかは真剣に議論された。
その結果―――『花形隊士』といえば聞こえは良いが,客寄せパンダのような真似をさせること
になってしまった。
「…すまん」
「あら。褒められたのだと思っていました,私。キレイと言われて嬉しくない女はいませんよ」
は顎を撫でられた猫のように目を細め,テレビの方をボールペンの先でさして,
「副長はこういう広報系,苦手そうですもんね」
「…まァな」
隠すようなことではないので素直に肯定しておく。
はよくわかるという風に2・3度頷いて,
「嘘とか誇張とかお世辞とか苦手そうですね。私,吉原で客をとっていた時は嘘ついてばかり
でしたし,誇張しまくっていましたし,立板に水を流すがごとくお世辞を並べていました。
今更全然平気ですよ」
言葉通り全く気にしていなさそうに表情を緩めた。その微笑に「なら,いいか」と俺は一瞬だけ
ほだされかけたが,いやいやと頭を振った。
「そうは言っても,な。俺はこんな性分だから,上層部の連中から『もっと一般市民に愛想よく
しろ』って,何度も何度も言われてたんだが。お前のおかげで最近じゃ言われねェ」
「それは良かったです」
「良くねーよ。自分が出来ねーことを部下に押し付けたもんだろうが。しかも新人に」
俺がそこまで言うと,は自分の唇の前に人差し指を立ててにっこり笑った。ガキの時以来
久しぶりにされた「しーっ」の仕草に思わず黙ると,は,
「土方副長は本当に有能な方ですが,全てを背負う必要は無いと思います」
爽やかな風のような口調で言った。
「副長は,いつも私達の模範となってくださっているんだもの。時には部下に支えられることが
あっても良いじゃないですか」
の柔らかな言葉の響きは,俺の鼓膜を柔らかく震わせた。そして,
「むしろ,部下にも華をもたせてくれると嬉しいな」
茶目っ気たっぷりに片目を閉じて,は輝くように笑った。
朝露に濡れ光る花のような笑顔に「これが吉原流か」と顔が赤らみそうになった。
敬語が取れているというのに,不思議と生意気さを感じさせない,むしろ馴れ馴れしさに喜びを
抱かせるのは流石というか恐ろしいというか。
「…おい」
「ジョークですよ,ジョーク。吉原ジョーク」
咳払いをして(形ばかりの)説教モードに入ろうとした俺を軽くかわして,牡丹の武士は障子を
開けて出て行った。
なかなかどうして逃げ足が早い。というか,
「…吉原ジョークってなんだよ」
俺の苦笑に応える者は,当然誰もおらず。
つけっぱなしのテレビは,とっくの昔に違う番組に移っていた。
2016/10/04 up...