蝉の鳴き声があまり聞こえなくなり始めた初秋の頃,現在建設中の日本初の天人向け福祉
施設を将軍様が直々に御視察なさることになった。
幸いなことに天気は晴れ,視界の見渡しも良く,護衛する布陣を整えやすい日和となった。

「いやー晴れて良かったですねィ。ピクニックにはうってつけでさァ」
「てめっなに勝手に飯食ってんだ!ピクニックじゃねーし!」

早々におにぎりを食べている一番隊隊長の頭をはたき,さっさとそれをしまえと俺は叫んだ。
総悟は不服そうに眉をしかめて飯をぽいと己の口に放りこんだ…結局食べてんじゃねーか。
なんでそこまで不満気な顔をされにゃならんのだ。
もう一声怒鳴ろうかと思いきや,集まった報道陣がにわかに湧き立ったので『真選組サド王子・
上様の護衛をサボって早弁!』というフレーズが頭をよぎった。が,しかし。

「さすが姐さん。上様も鼻の下伸ばしてデレデレでさァ」

報道陣のカメラはこちらではなく,建設中の施設出入口に立つ上様と,その傍に立つの方を
一斉に向いていた。
…というか,今こいつ何て言った?

「言葉に気を付けろ,総悟。あれをどう見たら上様がデレデレしてるように見えんだよ」
「土方さんの目こそ節穴ですかィ。どう見たってデレデレしてるじゃねーか」

言われてみればたしかに…上様の頬が少し赤く染まっているような。
目がいつもよりカッと見開いているような。
いやいや,総悟に言われるまではそんな風には見えなかったわけだし,やはり気のせいか?
上様がなにやらに言葉をかけ,それに対してはにこやかに応えている。
これが同性同士ならばどうということのない光景だが,いかんせん男と女である。
が隊服ではなく私服であったならば,見ようによっては「仲睦まじい男女」ように見える
かもしれない。

「こうして見ると,なかなか絵になるお二人ですねィ。『征夷大将軍と女武士』ねェ……
 …そういえば万事屋の旦那に貸したAV,まだ返って来てねーや」
「なんで今の話の流れでンなこと思い出すんだよお前は」
「いや,そのAVがまさにそんなんだったな,と思いやして。殿様と女武士」
「お前なあ…」

いい加減その口黙らせるかと拳を握ったところで,報道陣が大きくどよめいた。
そちらへ目を移してみれば,前のめりに態勢を崩してかけている上様と,それを抱え込むように
して支えているの姿が視界に入った。
地面のくぼみに足をとられバランスをなくしかけた上様を,が間一髪助けたらしい。
が女性でなければ何も問題無いのだが……いや今のまま女性でも別に問題は無いのだが,
いかんせん『殿様と女武士』だ。
報道陣は「良い絵をいただきました」とばかりにフラッシュをけたたましく焚いた。
上様がに何か声をかけ(おそらく礼の言葉をかけたのだろう),は右手を額の横に
あてて『敬礼』の姿勢をとった。
それがまた姿勢も美しく様になっているため,これでもかと言わんばかりにカメラのシャッター
音が鳴り響いた。

「ありゃりゃ。こりゃまたテレビで特集組まれるかもしれないねィ。今じゃすっかりお茶の間
 の人気者だもんな。『牡丹の武士』は」
「テレビもそんなにネタに困っちゃいねーだろ」

俺は総悟の軽口に失笑し,煙草に火をつけた。

「土方さん。護衛中に煙草は止めてくだせェ」
「護衛中に弁当食ってたお前にだけは言われたくねェな」


+++++++++++++++++++++++++++


<王を守る女騎士,と聞いて思いつくのは誰ですか?ベル薔薇のオスカル?ここ江戸では,国王
 もとい将軍を守る女騎士もとい女武士!『牡丹の武士』ことさんです!>

…と,ここで転びかけた上様を抱えているがテレビに大写しになり,なぜか2人の周りに
ハートマークがキラキラと点滅した。
さらにが上様に敬礼している場面になり,それに対して上様が微笑んでいる様子も映された。
ここでもなぜか2人の周りにハートマークが大量に煌めいた。スタジオのコメンテーター達が
口々に,

<上様もメロメロですね~>
<そりゃ嬉しいですよ,護衛がこれだけの美人だと>
<もしも,これがきっかけで上様とさんが結婚したら,見事なシンデレラストーリーですよねぇ>

「…ネタに困ってんのか?」
「それだけ平和,ってことでしょうね」

俺の呟きに応じたのは,女隊士達の訓練計画表を提出しに来ていた本人だ。
既に夕飯も終え,夜勤以外の隊士達は各々自由に過ごしている時間帯だった。
は訓練計画表の俺が指摘したところに赤ペンで印を入れつつ,

「ハートマークがつくとアヤしくないものもアヤしく見えますね」
「…だな。アヤしく見えるようにしたいんだろうな,テレビ局は」
「世間はシンデレラストーリーが大好きですよね」
「王道だからな。特に日本人は好きだよな,成り上がりストーリー」

俺がそう言うと,は赤ペンを唇の下あたりにあてて少し考え込むような仕草をして,

「たしかに,元・吉原の遊女が将軍の正室になれば,まごうことなきシンデレラストーリーもとい
 武勇伝ね」
「…おい」
「吉原ジョークです」

くすくすと小鳥の囀りのように笑い,肩をすくめた。

「あり得ません。生まれ育ちが違い過ぎます」

は1ミリの隙間も無い口調でさらりと言い切った。
声自体は柔らかいままなので聞き流しそうになったが,俺は違和感を覚えてを見た。
はテレビの方を見たままだったので,俺はその横顔をみつめることになった。
伏目がちの目を縁取る睫毛はとても長く,目元を美しく翳らせていた。
右頬の刀傷から声を発するかのごとく,

「『牡丹の花言葉は風格や富貴』と以前テレビで言っていましたが…私にそんな高貴なものは
 ありません。無縁どころか,対極です」

いつになくは頑なな雰囲気を滲ませていた。
もっとも,テレビを見る横顔からはあまり多くの感情を読み取ることは出来なかったが。
俺は何と応えて良いかが分からず,

「吉原は…『桃源郷』と呼ばれている。楽園と称されるのは,美しいからだろう」
「どれほど華やかに見えても,とどのつまりは苦界です。吉原は美しくもなければ清くもない…
 …そこに住む人間も。環境が人間をつくるんですから」

全く所縁の無い赤の他人の日記を読み上げるかのような淡々とした声音だった。
そこには,悲しさも怒りも憤りも何も無い。
は俺の方を見た。
それは,しっとりとした静かな眼差しだった。

「『下賎の者』と言われても,私は反論できません」

―――とっさに否定の言葉が出なかった。
それは,決して肯定のつもりではなかった。
俺が否定したとしても,それが薄っぺらい言葉になってしまうのではないかと思ったからだ。

牡丹の武士が―――遊女だった頃。
女であることを呪った時もあっただろう。
女であることを憎んだ時もあっただろう。
女であるがゆえに与えられる恥辱に死にたくなった時もあったかもしれない。
それを―――男である俺が,どうすれば理解できる?
「お前は下賤の者ではない」という慰めの言葉も,「そんなこと言うな」という叱咤の言葉も,
何の重みを持たせることもできない気がした。
当たり障りの無い共感の言葉を言いたくなかったがゆえに,俺は黙ることになった。
そんな俺の前で,はふっと頬を緩めるように笑った。
その瞬間,張り詰めていた空気も和らいだ。

「なんにしろ今回の報道は,シンデレラストーリーを夢見る多くの女性達にとても好意的に受け
 止められると思います」
「それは…そうかもしれねェ。けど,それは…」
「たとえ虚飾であったとしても,夢を他人へ与えることには慣れています。私は」

先程とは違った軽い口調ではそう言うが,俺の気持ちは重苦しいままだった。
その重さに耐えかねて,気がついたら問いかけていた。

「お前に夢を与えてくれる人間はいないのか」
「…え?」
「夢とか,望みとか…お前に」
「…」

今度はが黙り込んだ。
秋夜の虫達の声が,窓の外から部屋の中へさざ波のように響いてきていた。
真剣な眼で押し黙っている表情から,が頭の中で必死に言葉を探しているのがわかった。
わかるからこそ,この沈黙が哀れで仕方がなかった。
咄嗟に答えることができない程,彼女は自分の夢や望みを考えたことが無いのだ。
優しく撫でてやりたくなった―――右頬の傷痕を。


「お前はお前の夢を持って良い。それがフェアってもんだ」


の双眸が困惑の色で揺らめいていた。
こういう目をした彼女を,俺はついぞ見たことがなかった。
まるで理不尽な理由で大人から説教された幼子のような表情をしたに,俺は怒っている
わけではないことを強く伝えたくなった。
俺は怒っていない。
ただ―――憤りを覚えているだけだ。
に夢や望みを与えてやらなかった吉原という場所に。
そして,そこに己の欲や利益のために群がるあらゆる人間達に。
まるで潔癖な思春期の若造のような,青臭過ぎる憤りを覚えた。

「この世はフェアじゃねェ。けど,フェアであるべきだと思うし,フェアじゃないことに慣れる
 必要も無ェ」
「…」
「お前はお前の望みを持って良い」

演説か宣言でもするかの勢いで,俺はに強く言い切った。
あまりに一語一句に力をこめて言ったせいか,息切れしそうになったくらいだ。
どうしてこんなにも熱くなっているのか,自分でも滑稽であり,不思議でもあった。
むきになっている俺を,はしばらくじっと静かな眼差しで見つめていたが,やがてクスッと
笑った。

「土方副長って優しいですよね。好きになっちゃうかも」
「…おい」
「吉原ジョークです」
「…」
「土方副長は強くて優しいですし,優しくて強いです。だから,皆ついてゆこうと思うんですね。
 あなたに」

よくわかるという風に深く頷くに,俺はなぜだか泣きたい気持ちになってしまった。
結局俺は……何の実になる言葉もかけてやれなかった。
わかったような同情の言葉など,きっとは言われ慣れているだろう。
だからこそ偽善的な科白など,俺は絶対に言いたくなかったのに……結果的には,似たり寄ったり
のことしか言えなかった。
あまりの無力さと情けなさに敗北感すら込み上げてきて,瞼が震えた。
俺は額に手をあて,泣き言をこぼすかのような心境で,

「…俺はそもそも女性隊士には反対だった。男女差別ってつもりはねェ。ただ…男は女を守る
 もんだと思ってきた。今時,古いんだろうけどな」
「世の中の男性が副長のような方ばかりなら,女も弱く生きることが出来ますね,きっと。でも…
 …弱くても生きてゆけるのは,守ってくれる確かな存在がある人だけ」

はかなげに笑い,は右手で頬杖をついた。
右頬に刻まれた傷跡をさするかのように指を這わせて,

「私にはそういう存在はいませんでした。吉原桃源郷の女は,皆そうです。皆……弱いままじゃ
 生きてゆけない。むしろ普通の女より,強くならないと生きてゆけない。そんな世界でした。
 地下の女達にとって,地上の女性達が,どれほど羨ましかったか…」

まとわりつく霧を振り切るかのように軽く頭を振って,は姿勢を正した。


「でも,人生はフェアじゃありませんから。仕方ないです」


 フェアじゃないことに慣れなければ 生きてこられなかった。


の言う「仕方ない」には悲壮感が無く,むしろある種の強い熱が感じられた。
「仕方ない」と口にしたは,竹のように真っ直ぐで堂々としていた。
厭世や絶望などではなく「不条理を受け入れる潔さ」がそこにはあった。

俺の―――浅はかな同情など不要なのだろう。

「…俺はを尊敬するよ。お前の『仕方ない』は凛としている」
「…もったいないです」

は白い頬に朱を灯して,淡くはにかんだ。
咲き崩れる牡丹の花のような微笑で。
その途端に―――俺はそれをどうしても欲しくて堪らなくなった。
自分のものにしてしまいたくなった。
花も,その葉も,茎も,根も。
牡丹の すべてを。


「抱きしめてェな…」
「え?」
「…!なんでもねェ!」


意図せずして口走った一言を無理やり戻すかのごとく,俺は右手で口を抑え込んだ。
いくらそんなことをしたところで,自分の小っ恥ずかしい台詞が無かったことになるわけでは
ないが……おそるおそるを見ると,目をぱちぱちと瞬かせて首を傾げている。
幸いにもよく聞こえていなかったようだ。
それにホッとしつつも,急に体の芯に湧いた熱情がさめる気配はなかった。
熱をもった紅色の花弁が,心に張り付いたまま離れようとしない。
この心情をなんらかの形で発散せずにはいられず,

「頭撫でてもいいか?」
「…どうぞ?」

にしてみれば脈略の無い唐突な依頼だっただろうが,彼女は少なくとも表面的には動じず
了承してくれた。
俺は,一本一本の髪の毛を慈しむかのような心境で,の頭を撫でた。
江戸の女にしては短く切られたの髪は,まるで小鳥の羽毛のように柔らかい。
(…参ったな)
熱情を発散するために撫でたにも関わらず,撫でれば撫でるほどに,俺の熱情は余計に高まって
ゆくような気がした。
ふいに,ぽつりとは呟いた。


「副長って罪なひとですね」
「は?」
「…なんでもないです」


思わず動きの止まった俺の手をすり抜けて,はすくっと立ち上がった。
座ったままの俺を見下ろすの瞳は,何かを切なく訴えかけているかのような哀切の色調に
染まっていた。

それは優しくせずにはいられない眼差しだった。
たとえ「いらない」と言われても,どうしても優しさを与えてやりたくなる。
男の心に潜む庇護欲を強烈にかき立てる視線だった。
その甘い憂いを帯びた目のまま,は肩をすくめて微笑んだ。

「ちょっと吉原ジョークを言っただけ。おやすみなさい,土方副長」

踵を返し,襖を開けて出て行った。
俺は彼女の背に思わず手を伸ばしかけたが……ただ空気だけを掴むことになった。
舞台中央でライトを一身に浴びていた踊り子が,舞台袖へと去ってしまったかのような喪失感を
覚えた。
そうして,舞台には俺だけが残された。
秋夜の虫たちの声を遮って,俺の頭のなかには同じ言葉が繰り返し何度も響いていた。



  『下賤の者』と言われても,私は反論できません。



(……俺は馬鹿だ)

あの時,どうしてちゃんと否定してやらなかったのか。
ぐだぐだ余計なことを考えず,即座に否定してやるべきだったのに。
行き場のない強い後悔の念が,心臓を食い破らんばかりに突き上げてきた。
彼女が何度も見せた儚い微笑を思い出し,俺は一晩中ずっと後悔した。




2016/10/21 up...