めしませ,ショコラ


――嬢ちゃんが客間で待ってるぞ。

そう原田隊長に促され,俺は急ぎ部屋へ向かい,その襖を開いた…が。
途端に漂ってきた甘ったるい匂いと,予想外の光景に俺は目を見開いた。

「ちゃん…何やってんの?」
「山崎さん!こんにちは!」

ちゃんは,いつも通りにこにこ笑って俺に挨拶してくる…
…小鍋の中のチョコレートを,くるくるとお玉で回しながら,だ。

「こんにちは。で,何やってんの?」
「何って…チョコレートフォンデュですよ?知らないの??」
「いや,まあ,それは知ってるんだけど…」

一体なぜにここで?
という俺の疑問に,ちゃんは,やはり朗らかな笑顔で(やはり微妙にずれた答えを)口にした。

「今日はバレンタインですから。さっ,座ってください」

ちゃんが隣の座布団をぽんぽんと叩くので,俺はとりあえず大人しくそこに座った。
バレンタイン…そうだ。今日はバレンタインだ,うん。いや気付いてたけどね。
そして,きっと今日このコが屯所に来るであろうってことも予想してたけどね。

(どうせまた旦那には言ってないんだろうなあ…)

彼女が真選組隊士と(というより男と)仲良くなることに難色を示す,あの男のことだ。
ちゃんが俺達にチョコレートを配って歩いたってことを知ったら,憤死するんじゃなかろうか。
そんなことを頭の隅で考えながら,俺はちゃんにお礼を言った。

「ありがとう。でも,なんでチョコレートフォンデュなの?」
「山崎さん甘いもの嫌いでしょ?」
「え?…なんで?」

思ってもみないことを言われ,きょとんとしてしまう。別に俺甘いもの嫌いじゃないし。
けれどもちゃんは,いかにも自信たっぷりといった風に胸をはった。

「だって前に『あんぱんなんて見るのも嫌だ』って言ってたでしょ?あれを聞いて,きっと甘いもの
 嫌いなんだな,って」

ピンときたんですよー,と可愛いドヤ顔で言われてしまい,俺は「違う」とも言えなくなった。
『あんぱんなんて見るのも嫌』…か。うん。言ったかもね。
(けど,それ言ったの多分張り込みの直後だな)
散々あんぱんを食べた後だからこそ,口をついて出てしまっただけであって,普段は甘いものもわりと
食べるし。
ちゃんは内心ちょっと戸惑っている俺には気付かず,ほくほくとした笑顔で説明を続ける。

「でも,甘いもの嫌いな人でもこれなら良いんじゃないかと思って。辛党の人でも果物は好きって人,
 多いし。チョコをつける量を,自分で加減できるし」
「…そっか。うん。ありがとう」

このコの読みは,残念ながら外れちゃっていたわけだけど…
自分のために色々考えてくれたんだなあ…と思うと,心がほっこりと温かくなった。
ホント素直に「嬉しい」と思えた。

「はい,どーぞ」
「…へ?」

じんわり幸せに浸っているところ,突如顔の前に苺(チョコ浸し)を差し出され,俺は我に返った。
ていうか「量を自分で加減できる」って言ってたくせに,結局君がつけてんじゃん(しかも多量に)。
…いや,そういうことじゃなくって。
「はいっ」
「えっ?」
フォークに刺した苺(ものすごくチョコ浸し)を,俺の口のあたりに差し出すちゃん。
(これは…俗に言う「はい,あーんv」なのでは?)
「…」
「…山崎さん?」
いやいやこんなんダメでしょ。
俺はべつにこのコのこと,そういう目で見たことは無いけど。
(俺は旦那と女争うつもり無いし!)
固まっている俺に,ちゃんは不思議そうに小首を傾げた。

「どうしたの?」
「いや『どうしたの』っていうか…いいのかなって」
「なにが?」
「いや『なにが』っていうか…だって,これって,その,」

照れているわけじゃないけど,旦那とか…あと彼女の保護者気取りの土方さんや,彼女をどう思っている
のか明確でない沖田隊長のことを考えると,躊躇せずにはいられなかった。
だって,こんなとこ見られたら俺絶対殺されるよ。
3人の内の誰かから。下手すると全員から。

「はい,あーん」

とうとう言っちゃったよ。
うわーホントこれどうしよう。けど,ここで拒否したら拒否したで,今度はこのコを怒らせそうだな。
このコ怒ると面倒くさいんだよな,頑固で。それにこのコ怒らせたら,結局旦那も怒るし。
あれ…とどのつまりどっちでも旦那は怒るんじゃないか。
(…もういいや)
考えるのが一気に面倒になり,俺はぱかっと口を開けた――
「あー…」
「ん」
「!」
――が,苺(激しくチョコ浸し)が俺の口に入ることは許されなかった。

「あっ美味ェわ,これ」

しれっとした顔で,もぐもぐと苺を食べたのは,

「た,隊長…」
「総悟君!」

いきなり現われた沖田隊長その人だった。
隊長は俺の頬に片手で掌底をくらわせると同時に,フォークを持つちゃんの手をぐいっと自分の方に
向けさせ,チョコたっぷりの苺をぱくりと食べたのだった。

「お行儀が悪いよ,総悟君。めっ!」
「うるせェなあ。俺はな,人助けをしたんだよ」
「え?」

ぷりぷり怒るちゃん(行儀悪いとか良いとかの問題じゃないと思うが)に,隊長は苺を飲み込んで
したり顔をつくった。

「なぜなら,『はい,あーん』をお前が山崎にしていたと旦那にチクったなら,こんなもんじゃすまな
 かったからな。こいつは半殺しどころか全殺しだろうよ」
「??」
「ていうか,俺じゃなくてあんたが『はい,あーん』をしてもらったじゃん,結局」
「そんなことより,嬢。俺の分はどうした」
「『そんなこと』で人に掌底くらわせないでくださいよ,『そんなこと』で!」
「総悟君の分もあるよ,勿論!」

俺のツッコミをさらりと無視し,ちゃんはテーブルの下に置いてある紙袋から,いそいそと箱を
取り出した。可愛らしいラッピングが施されているいかにも「女の子!」って感じのやつだ。
「総悟君は甘いもの好きだよね?前にケーキ買ってたし」
どうだろうか。
たしかに隊長はケーキも買うけど,辛いもの好きでもあるし。
いまひとつわからん味覚の持ち主だよな,この人。
いや…わからんのは味覚だけじゃないか。

「はい,これ。いつもありがとう」
「……おう」

可愛らしいラッピングに負けない,可愛らしい笑顔を浮かべるちゃんに,沖田隊長ははにかんだ。
限りなく無表情に近いはにかみだけど,ほんのり頬が赤い…ような気もする。
照れている…のか?これ?
でも今ラッピングをビリビリに破いたよ,この人(ちゃんは気にしてないようだけど)。
いや,でも受け取ってすぐさまチョコを食べてるあたり,やっぱり喜んでるのか?
…ホントこの人よくわからん。

「山崎さんも,もっと食べて。チョコレートフォンデュ」
「うん。ありがとう。でも,自分で食べるからね」
「…そう?」

ちゃんは再び果物をチョコに浸そうとフォークをとってくれたけど,俺はやんわりそれを制した。
沖田隊長もいる以上「はい,あーんv」をしてもらうわけにはいけない。マジで命がけになる。

「せっかくだから,ちゃんも食べな?甘いもの好きでしょ?」
「いいの?」
「もちろん」
「やった!ありがとう!」

お礼を言ってすぐさまちゃんはフォークにバナナを刺した。
…これは最初から食べるつもりだったな,さては。
なんと言うか――ホントわかりやすいコだなあ。

「いえいえ,こちらこそ御馳走さま。いつも」
「?」

楽しませてもらってるよ,いつも。

幸せそうにバナナ(チョコ浸し)を頬張るちゃんに,俺は笑いかけた。
その隣で,沖田隊長も笑った。
珍しく何の含みもない,本当の笑顔で。


いつも ごちそうさま。