「手,見せて」
「真ん中のが運命線。んで,これが感情線」
「うんうん」
「こっちのが結婚線。へえ…あと2・3年だね。この線を見る限りだと」
「え,ホント!?」
屯所の応接間を通り過ぎようとした時,聞き慣れた娘っ子の声が耳に入り俺は足を止めた。
ひょいとその部屋を覗き込むと――はい,予想通り。
嬢と山崎が向かい合って畳に座り,きゃっきゃと楽しげに騒いでいた。
それはいい,けど――予想外なことに。
なぜか山崎は嬢の左手を握り,その手のひらをしげしげと見下ろしていた。
「なにやってんでィ」
「あ,総悟君!」
声をかけると嬢はパッと顔を上げてこっちを見上げてきた。
ただし,手のひらは相変わらず山崎に握らせたまま。
(もし旦那がこれを見たら…さぞ面白いことになるだろうねィ)
嬢のこととなると余裕を無くす某万事屋の顔を思い浮かべ,俺は小さく笑った。
すると,俺の笑みをどう解釈したのかは知らないけれど,嬢はにっこり笑い返してきた。
「山崎さんがね,手相見てくれてるの」
「手相?」
「うん!山崎さんって地味な特技いっぱい持っててすごいんだよ!」
「悪意なく喧嘩売るのやめてくれる?かなり傷つくから」
口の端をひきつらせてぼやく山崎に一瞥をくれてやり,俺はやれやれと溜息をついた。
「おい,気をつけろよ」
「え?なにを?」
きょとんと首をかしげる嬢に,俺はこそこそと耳打ちした。
「世の中にはなァ,『俺は手相を見れるんだぜ』ってホラふいて合コンの席で女の手を握ろうとする
やらしー輩がいっぱいいんだよ」
「誰がですか!誰が!」
やべっ聞こえちまったか。
まあ聞こえるように言ったから当然か。
憤慨する山崎の前で,嬢は驚いたように「え~!」と手を口に当てた。しかし,
「山崎さんはそんな人じゃないよ。ねえ?」
「うんうん,違うよ!」
「チッ」
「いやなんで舌打ちすんですか,隊長!」
そんなに俺を貶めたいんですかアンタは,とかなんとか山崎は叫ぶが…右から左にスルーパス。
嬢はというと,再度自分の手に視線を下ろしてぶつぶつと呟き始めた。
「えっと…これが結婚線で,これが生命線で,こっちのが知能線で,これが…」
「ていうか,全部覚えるつもり?」
「うん!」
山崎の問いかけに,嬢は力強く頷いた。
「銀ちゃんの見たいから!」
だからしっかり覚えて帰る,と。
…ま,そんなこったろうと思ったけど。
こいつの思考回路は旦那を中心に回ってんじゃねーか,て。たまにそう思う。
山崎も俺と似たような表情で(つまりは微妙な苦笑いで)「はいはい,ごちそーさまです」と小声で
呟いている。
「あっ…そうだ。総悟君!」
「なんだよ」
じっと自分の手に見入ってたかと思うと,嬢は突然視線をこっちの方に向けてきた。そして,
「手,見せて」
「!」
胡坐の膝上にのせていた俺の手を,嬢は何のためらいも無く握った。
それからいそいそと俺の手のひらを上に向け,丸っこい指先で手相をなぞり出した。
…くすぐってェな,これ。
「総悟君の結婚線は………あれ?」
「ん?どうしたの?」
嬢が不思議そうな声をあげると,その横から山崎も俺の手をひょいと覗き込んだ。
「これって…」
「あれ…隊長もか」
「…は?なにがでィ?」
なに2人して驚いてんだ。
占いにゃこれっぽっちも興味無ェけど,そういう風に「すっげー変なもん見た」的な態度とられると
なんか気になるだろ。
思わず眉間に皺を寄せた俺に,山崎が端的に解説した。
「いや…隊長も2・3年なんですよ,これだと」
「なにが」
「結婚が」
「…ふーん」
なるほどな。
それで2人共びっくりしてたってわけか。ふーん。
「…」
ふと俺はある事を思いついて,嬢に顔を向けた。
嬢は「ん?」と小首を傾げて俺を見つめ返して来る。
邪気の無い目に向かって,俺はニヤッと笑ってみせた。
「お前と,かもな」
俺の手のひらに乗ったままの,その小さな人差し指を握る――あくまで,ちょっとだけ。
「た,隊長?!」
「…え?なんのこと?」
うろたえた声をあげたのは嬢ではなく,山崎だった。
嬢はよく意味がわかっていないのか,ぽかんと口を開けている。
…もう少し説明しねェとダメか(つくづく鈍い犬コロだな)。
「俺も2・3年で,お前も2・3年なんだろ?だから」
「『だから』ってなにが…………え!?」
やっとわかったか。
途端に嬢はカアッと顔を赤らめ,慌てて指を引っ込めた。
軽く握っていた俺の手の中から,するりと指先の感触が消える。
驚きのあまりか,ぱくぱくと口を開いたり閉じたりしている嬢に,俺は肩をすくめてみせた。
「冗談でィ。俺がお前みてェなちんちくりん娶るわけねーだろ」
「ちっ!?」
雀の鳴き声みてェな声をあげて,嬢はキッと目を吊り上げた。
…随分と盛大な百面相だな,オイ。
面白ェ。
「どうしてそんなこと言うの!し,失礼な!」
「事実だろ」
「違うもん!」
「どこが違うんだよ」
「違うったら違うもん!」
「違わねェだろ。違うならその理由を言え」
「そ,それは…!」
「なんだよ。それともなに。お前,自分に色気があるとでも思ってんのかィ?」
「うっ…お,思ってないけど!で,でも!」
「じゃあやっぱり,ちんちくりんだろ。はい,決定」
「…」
きゃんきゃん咆え続ける嬢に,適当にずっと言い返し続けていたら…唐突にぴたりと止まった。
「…?」
あれ,と思い嬢の方を見ると…件のお嬢は口をへの字に曲げ,すっくと立ち上がった。
それからそのままスタスタと襖の方へ足早に近づき,そこで足を止めた。
くるっとこっちを振り返り,「イーッだ」と歯をむき出しにして――ひと声。
「総悟君のバカ!」
がらっ
ぴしゃっ
すたたたたたっ
…擬音語の魔術師か,あいつは。
後には静寂だけが残され,その静かさは山崎がおずおずと口を開くまでの間続いた。
「隊長…」
「なんでィ」
「俺,あんたの考えてることがいまいち理解できません」
「安心しろ。お前に理解されたいだなんて微塵も思ってねーから」
「あー…そうですか」
なぜか脱力している山崎は,とりあえず放っておくことにする。
そんなことよりも――俺はもう1度自分の手を見つめた。
「2・3年,ねえ…」
そんなに遠い未来だとは思わねェけど。
それでも,どうなっているかはわかりゃしねェんだよな。誰にも。
俺の場合は,生きているかどうかさえも――はっきりとはわからねェし。
それはともかく。
(2・3年だといいねィ…旦那の結婚線)
それが当たるか外れるかはともかくとして。
それを目にすることで,あの素直な娘っ子は大喜びをするだろうから。
かの白髪侍の手相もそうであればいいなァ,と。
柄にもなく親切な願いを胸に抱き,俺は手のひらをぎゅっと握り締めた――
――そこに,彼女の指先はもうなかったけれど。