「いいコだ」
背中に温かな重みを感じ,
夢から現実へと意識が浮上した。
「…」
ぱかりと瞼を開けてみれば,白い紙の山が俺の視界を埋め尽くしていて。
(…寝ちまってたのか)
たしか始末書の整理をしていたはずなのだが,うたた寝をしてしまったらしい。
やれやれと欠伸をしながら首を回そうとして――
「…ん?」
――背中にかかる重みに,俺は再度気が付いた。
そして,その正体にも。
「すーすー…」
俺の背中に自分の背中をあずけ,はなんとも気持ちよさげに寝息を立てていた。
「…ったく」
人の背中を何だと思ってんだ,こいつは。
背もたれか。背もたれなのかオイ。
そういえば…電車で眠ってた時にも寄りかかってきたよな,こいつ。
逆隣にいた万事屋じゃなくて,俺の方に(重要)。
あれは実に「してやったり」だったが。
(つーか,なんで俺も起きないんだかな)
普段なら人の気配ですぐに目が覚めるタチだっつーのに。
…俺もに対しては無防備ってことか。
てことは,あれだ。
(こいつは俺の寝首をかける,てことか)
到底起こり得ない自分の思いつきに苦笑しつつ,何の気無しに手のひらに視線を落とした…が。
そこにある『予想外のもの』に,俺は目を見張った。
「…なんだこれ」
手の中央から下方にかけて,黒い線が走っている。
どうやらマジックで書かれてあるらしい。
しかもその線がやたらと長く,手首の下あたりまで伸びている。
うたた寝をする前までは,こんならくがきはなかった。
つまり犯人は…
「ん…」
犯人は目を覚ましたようだ。
の背中が小さく揺れ,ゆっくり離れた。そして,のそのそと俺の方に体を向けてきた。
その様子をじっと見ていると,目がぱちりと合ってはヘラッと笑った。
「土方さん…おはようございます」
「おう。昼だけどな」
目の下をしきりにこすっているの前に,黒線の引かれた手のひらを俺は広げてみせた。
「なァ。これ,お前のしわざか?」
「あっ…」
「なんだこれ?」
「…」
あまりきつい言い方にならないよう注意して尋ねたつもりだったが,はきゅっと唇を結んで
俯いてしまった。
…怒ってるわけじゃねーんだがな。
理由もなくこういうことをする奴じゃねェって知ってるし。
「…ごめんなさい」
「いや別に謝れって言ってるわけじゃねェよ」
「…」
「あーっと…なんでこんなことした?」
「…」
どういうわけかは頭を垂れたまま,だんまりを決め込んでいる。
ふと「あのコは相当頑固ですよ」と山崎が言っていたのを思い出した。なるほどな。
…どうしたもんかな。
「な,。正直に言ってみろよ。怒らねーから」
雨ん中座り込んでる迷子にでも話しかけるかのように,猫なで声で俺は言った。
…らしくねェけど,猫なで声で喋らにゃならねェ時も人生には確かにある。
すると,それが功を奏したのか,はおずおずと顔を上げた。俺と目が合うと一瞬逸らしかけたが,
すぐにまた視線を合わせた。そして,
「…生命線が,薄かったから」
「!」
小さな,本当にとても小さな声では言った。
「…」
『生命線』って…手相の話,だよな。たぶん。
俺は占いの類は全然信じちゃいねェが。は結構信じるクチなのだろうか。まァ…若い娘だしな。
しかし…こいつ…本当に,なんていうか…
「ばーか」
「!」
俺はの頭をわしわしと乱暴に撫でた。
自分こそ細っこい体してやがるくせに,他人の心配ばっかりしてんじゃねェよ。身がもたねーぞ。
驚いたように目を丸めるを,俺は軽く睨んだ。
「そう簡単にゃくたばらねーよ,俺ァ」
「…でも,」
「大丈夫だって」
「…」
俺は 刀振り回して生きてる人間で。
俺は いつ死ぬともしれねー身で。
だから余計にこいつにはキツかったのかもしれない。
たかが手相とはいえ。たかが占いとはいえ。
「心配するな」
「…」
心配するんなら…あの銀髪バカの心配だけしてろ。
「…」
は苦しげに眉を寄せたが,やがてこっくりと頷いた。
ずっと黙ったままなのが 痛々しかった。
「いいコだ」
頭をぽんぽんと撫でてやった。
今度は,やさしく。
少しでもこいつが楽になればいい,と。
そういう願いも込めて。
「ありがとうな,」
なんとも心配性な妹分のために。
手のひらに書かれた この『生命線』。
しばらくは――このままに しておこう。