「そんなに好き?」


日暮れの朱色が窓ガラスの向こうから差し込んで来る時分。
僕はお通ちゃんの新曲を口ずさみつつ,洗面所で雑巾を絞っていた。
今日の夕飯は何にしようかなー姉上が料理し始める前に帰らないと,などと考えていたら,
玄関の扉が開く音と共にただいまー,という可愛らしい声が響いてきた。
ちゃんが買い物から帰って来たみたいだ。ものすごく時間かかったところから察するに,
きっとどこか寄り道していたんだろうなあ,たぶん。
手を拭いて部屋の方へと向かう途中,ちゃんの怪訝そうな声が聞こえて来た。
「銀ちゃん…?」
部屋をのぞき込むと,ソファにはグータラ侍が寝そべっていて,ちゃんはそれを傍で
見下ろしていた。華奢な背中に向かって,僕はすぐに声をかけようとしたけれど,

「銀ちゃんも寝てるの…?」
(銀ちゃん『も』?)

呟いたひとり言がひっかかって,部屋に入る間際で僕の足は止まってしまった。
銀ちゃん『も』って…他の誰が寝ていたんだろう。
「…」
ちゃんはいびきをかいてる銀さんを少しの間見つめていたけれど,じきに動き始めた。
「よいしょ…」
まず,タオル地の布団を銀さんのお腹あたりにかけて。
次に,床に落ちていたジャンプをテーブルの上に置きなおし。
そして,銀さんの額に浮き出た汗をそっとハンカチで拭いて。
さらに,ぱたぱたと団扇で銀さんを扇ぎ始めた。
(なんていうか…かいがいしい)
見てるだけでこっちが照れくさくなってきたよ!
なんとなく部屋に入るタイミングを逃してしまい,僕は壁にひっついて2人を見つめ続けた。
(どうしよう…これじゃデバガメだよ僕)
「…」
ちゃんは小刻みに団扇を扇いでいたけれど,何を思ったのか突如手を止めた。
それから徐に団扇をおろして,床に垂れてる銀さんの手をとった。
手のひらを上に向け,ちゃんは熱心な眼差しでそれを見つめた。
まるで何かを確かめるかのように,慎重な動作で銀さんの手のひらを指でなぞり,そして,
「あっ…」
なにを見つけたのか,目を丸くした。けれど,

「そんなに好き?」
「っひゃあ!」

突如手のひらの主により放たれた声に,ちゃんは飛び上がった。
ホント文字通りに飛び上がって,その拍子に肘を後ろのテーブルにしたたかぶつけた。
「あいたっ」
「はい,慌て過ぎ」
痛そうに肘をさすっているちゃんを,銀さんはクスッと笑ってひとつ欠伸した。
そんな意地悪な侍をちょっと恨めしそうに見上げて,
「…いつから起きてたの?」
「さあ?」
「…」
はっきりしない返事に,ちゃんの頬が膨らんだ。銀さんは宥めるようによしよしとちゃんの
頭を撫でた。
「そんなに俺の手好き?」
「…さあ?」
銀さんとそっくり同じ答え(になってない答え)を返して,ちゃんはぷいっと顔を横に向ける。
赤らんだ自分の顔に向けて団扇を扇ぎながら,
「手相を見てたの」
「てそう?なに,そんなの見れんの?」
「うん。山崎さんに教えてもらったの」
「へえ……って,山崎くん?」
「うん」
「…」
少しの沈黙の後,銀さんはちゃんの額をペシッと軽く打った。
「いたっ」
「~,前に言ったでしょ。『簡単に男に体触らせんな』って」
「さ,触らせてないもん…」
「ウソつくんじゃありません。手を触らせずに手相見てもらうなんて無理でしょーが」
「…」
ぐうの音も出ないのか,ちゃんは黙り込んだ。
うん…ちゃんの嘘ってホントわかりやすいから。

「け,けど…どうしても手相占いしてもらいたかったんだもん!」
「バカですか,お前。世の中にゃーな,『俺手相見れるんだぜ』とかなんとか嘘ぶっこいて
 合コンで女の子の手を握ろうとするいやらしい輩がわんさかいんだよ」
「それ総悟君から聞いた」
「とにかく!占いなんてあてになんねーもんにいちいち振り回されるんじゃありません!」

銀さん…さっきからお母さんみたいですよ。
ちゃんはしょんぼりうなだれていたけれど,顔を上げた時その表情はムスッとしていた。

「…銀ちゃんだって毎日見てるくせに。ニュースの星占い」

たしかに。毎日見てるよね,銀さん。
でも,あれは…

「…あれは占いのために見てる訳じゃねェし」
「そうだよね。結野アナのために見てるんだよね」
「…」
「…」
(やばい)

この流れは,やばい。
また喧嘩をおっ始めるんじゃないだろうか,あの2人。
銀さんとちゃんの喧嘩は毎回理由は些細なことだし,ていうか「好き合ってるからこそ
始まる喧嘩」だし,そういう意味ではむしろ可愛らしいもんなんだけど。
問題は…あの2人の喧嘩って,必ずと言っていいほど周りの人間を巻き込むことで。
(やばいよ,これ)
台風に1番近いとこにいる僕が1番やばいよ!

「…俺の手相どうだった?」

話をそらしたよ,あのひと。
いや気持ちはわからなくもないけど。
もし僕にも好きなコができたとして,そのコにお通ちゃんのことでジェラシーを抱かせて
しまったら困ってしまうだろうし。

「…知らないっ」

ちゃんはフンッとそっぽを向いてしまった。
すると,銀さんはちゃんの顎をひょいと持って,ちょっと強引に視線を合わせた。

「こらー言いなさい」
「やだ」
「言いなさい」
「や!」
「言わないとちゅーするぞ」
「!」

あーあ,またバカなこと言って…あのひとは。
ちゃん,顔真っ赤になっちゃったよ(ゆでだこみたく)。
銀さんのセリフを聞くやいなや,ちゃんは自分の口元に団扇をあて,完全な防御態勢をとった。
…と,てっきり僕はそうだと思ったんだけど。

「さ,言いなさい」
「…」
「…?」
「…」
「………あれ?」
(…あれ?)

ちゃん,無言です。
全く言うつもりないようです。
ていうか…え?
『防御態勢』じゃなくて『黙秘態勢』なの,ひょっとして?
え,でも…言わないと…だって…んん?

「あの…ちょっと…ちゃん?話聞いてた?言わないと…」
「…」
「…もしもし?」
「…」
「…」

ちゃんは銀さんから視線を全く外さずに,代わりに口元の団扇を――外した。

(こ,これはひょっとして…!)

思わぬ大胆な展開に,僕はどきまぎしながら見入ってしまった。
固唾を呑んで期待し…じゃなくて緊張した。

「…」

銀さんが囁くような呟くような声で,名前を呼んで。
ほんの少し顎を傾けて。
ぐっと顔を近づけた。
ぐぐっと。
ぐぐ~っと。
ぐぐぐのぐ~~~っと!

「ただいまアルヨー!」
「「「!」」」

元気な帰宅の挨拶と,わんわんって吠える犬の声が高らかに響き渡った。
どたどたと足音騒々しく1人と1匹が室内へと入ってくる。

「神楽ちゃん…」
「そんなとこで何してるネ,新八?ご主人様のお帰りヨ!」

部屋の入口の壁に張り付いている僕を見て,神楽ちゃんはきょとんと首を傾げた。
どうとも返事ができない僕の後ろから,ぱたぱたと小走りの足音が近づいてきて,

「か,神楽ちゃん…おかえりなさい」

ちゃんが真っ赤な顔で部屋から出てきた。

「ただいまアル…って,どこ行くネ?」
「あ,あの…ちょっとそこまで!さ,山菜摘みに!」
「山菜,アルカ?」

クエスチョンマークを頭上に点滅させる神楽ちゃんの横をすり抜けて,ちゃんは下駄を
履く時間も惜しそうな慌しさで,玄関から飛び出して行った。

「何事アルか?」
「えっと……ぐあ!!!」

説明のしようがなく僕は言葉に詰まったけれど,がしぃっと後ろから頭を掴まれて首が
変な方向に曲がった(いだだだだ!)。
僕の頭を掴んだのは,もちろん銀髪の大人げない大人だ。

「…新八くーん」
「なっ…なんですか」
「とりあえず黙って一発殴らせろ」
「なんでですか!嫌ですよ!って,ぐええええ!」
「大丈夫。痛くしないから」
「痛い痛い!痛いですって!!!!」

ぎりぎりと首に締め技を喰らい,僕は悶絶する――ってマジで死ぬ!死ぬからこれ!!

「うるせェェ!なにデバガメしてやがんだこのエロメガネが!」
「ぐうぇええええ!すみませんすみません!!!」

いや…たしかにそれは僕が悪かったですけど!
覗き見しちゃったのは,たしかに僕の落ち度ですけど!
でも――あんなにイチャイチャし始めるだなんて誰も思わないじゃないかあああ!!
つーか,2人きりだと勝手に思い込んだのはアンタじゃん!!
色々と弁解したいことがあるのに,首を絞められていてはそれも叶わない。



とりあえず――本日の収穫。

学んだことは,『人は手相占い含め占い全般に振り回されるべきじゃない』ってこと。
それから,『ちゃんって意外と大胆だ』ってこと。
そして感じたことは――


『もーあんたらさっさとくっつけよ』


――これに尽きる。



--------short story ver. end ♪

2010/07 あたりにUP。