天地有用。


『ちょいとお前さん,寿限無寿限無,五劫の擦り切れ,海砂利水魚,水行末,雲来末,風来末 …』

遠くの方から随分とノリの良い会話のようなものが聞こえてくる。
軽い話口調のくせに可笑しなリズムもあって,どことなくクドイ話し方だ。
なんかこう身振り手振りも入っちゃってそうな。
あ,これ会話じゃないな…なんだっけこれ?笑点?いやいや違うな…

『食う寝る所に住む所,薮ら柑子のぶら柑子,パイポ,パイポ,パイポのシューリンガン… 』

どこかで聞いたことがあるんだけどなあ…。
霞がかった頭じゃどうしてもその名称を思い出すことができない。ド忘れしてしまった。
(……ん~?)
瞼の裏にまで沁み込んでくる陽光を認識して「ああ自分は眠っていたんだ」と。
わたしはようやく気が付いた。
それと同時に「起きなくちゃいけないんだ」っていう気持ちが湧いてきて…
ふわふわした心地よさの中に,少し憂鬱な思いが滲む。
毛布をかぶっていない顔を撫でるのは,紛れもなく冬の冷たい冷気だったから。
(…もう少し眠っても良いよね)
朧気な意識の中で,わたしはあっさりとそう決断した。
今日は元からゆっくり過ごすはずだったんだし。
眠気に寒さが加わっちゃってるから,仮に予定があったとしてもすぐには起きなかったと思う。
今日はクリスマスだしね。
ちなみに昨日のクリスマスイブは,かぶき町の面々と『焼肉・揉々苑』で大いに盛り上がった。
パーティーやらなにやらで盛り上がるのはイブ。
んでもってクリスマスはゆっくり過ごすのがセオリーなんだよね~たしか。
当日は静かにキリストの誕生を祝う,とかなんとか。
いくらわたしがクリスチャンじゃなくたってそのくらいは知ってる。

わたしは考えるともなしにそういうことを考えていたんだけれど,
(…寒い)
ぶるっと震えて毛布をかぶり直した。
なんだか今日の毛布は薄くて固いだもん。
いつもより部屋の温度が低いせいかな~こういう風に感じるのは。

(あれ…?なんでわたし焼肉屋に行ったんだっけ?)

ふと,わたしの頭に疑問が浮かんだ。

(だってイブは2人でお祝いしようって前から約束して…)

最後に会った時の彼氏の辛そうな表情が思い出される。
あれれ?
『辛そうな』??


≪ごめん,俺たちもうダメだよ≫


…あ~。そうだった。
わたしフられたんだった。クリスマス一週間前に。
「なんつータイミングでフってんだよ,空気読めよな」てつっこみたかった。
最近ぎくしゃくしてるな~とは思ってたけどね。
でもそこはそれ。
クリスマスというイベントで盛り上がれば帳消しになるかもって思って。
あんまり気にしていなかった。だからクリスマスプレゼントも買っちゃってたし。
しかも一般家庭で庶民的に育ったわたしにとっては高額な腕時計。
悔しいから次の彼氏に使いまわそうって思ったのよ。
…ちょっと気の毒だけど。両方に対して。

わたしはしんみりした気持ちを追い払うつもりで,そのまま寝返りを打った。
するとなんだかとっても温かい物体に肩が触れた。
その物体はものすごく気持ちよくて,わたしは思わず『それ』を抱き寄せた。
抱き枕かな…。
ぎゅ~っとすると,すべすべしていて気持ちが良い。
冷えた頬を『それ』に摺り寄せて温もりを分けてもらう。

んで,だ。
フられたのは良いとして(良くないけど)クリスマスイブをたった一人で過ごすのは味気ないし
ちょっと寂しいから,クリスマスに特に予定の無い独り身のかぶき町メンバーで集まって飲んで…
…
……
………あれれ?
それから…どうしたっけ????

『寿限無寿限無,五劫の擦り切れ,海砂利水魚,水行末,雲来末,風来末,食う寝る所に住む所,
 薮ら柑子のぶら柑子,パイポ,パイポ,パイポのシューリンガン,シューリンガンのグーリンダイ,
 グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助!
 起きやがれ!』

(言われなくても起きるって!)
わたしはそこで初めて『覚醒』した。
いきなりはっきり急速に意識が戻った。
眠りの底からわたしを掬い上げた声が,落語の『寿限無』だってことも認識できるくらいに。
というか…なんでクリスマスの朝を落語で迎えなきゃならないの?
いや別に落語が駄目だって言ってるわけじゃないけど。日本の伝統文化だもん,うん。
でもさ~クリスマスの朝一番に落語ってどうよ?
まぁそれはさておき…ちょっと待って。
さっきから思っていたけど今日の毛布,本当に薄いし…ぺたんこだし。
なんかいつものやつと違くないか??
わたしは特に何の躊躇いもなくパチリと目を開いた。
その瞬間。


眼前ドアップに。
銀色の前髪を額にたらし,
だらしなく口を開いて,
気持ち良さげに眠りこける顔があった。

わたしの友達だ。
ただし頭に『男』のつく。

…
……
………!!!!

「!?」

な,な,なななななななんで!!!???

跳び起きたい衝動をなんとか堪えた。
「彼を起こしたくない」という気持ちがわたしの身体を麻痺させたのだ。
いやでも彼を労わる優しい気持ちから「起こしたくない」と思ったわけじゃない。
起こしたら色々と…だって…ほら…ねえ?

極力布団を動かさないように首だけを回して部屋を見渡す。
ここはわたしの部屋ではない。
わたしの部屋よりも物が少ないし,襖とか畳とか障子が日に焼けてくすんでいる。
何回か足を踏み入れたことのある部屋だ。
もっとも,前に来た時は他にも人(とか犬)がいたわけだけれど。
とにかくここは,目の前で平和に寝息をたてているこの男…
…坂田銀時の部屋だ。
ちなみに決して『朝を二人で迎える仲』ではない。

そして気付いた。
わたしが『抱き枕』だと思って抱き寄せたのは,なんのことはない。
銀さんだったのだ。
それも裸の。
…え!?いやちょっと待って!
わたし…服,着てるよね??

毛布に包まれている自分の体をおそるおそる見て,失神しそうになった。
いっそ失神したかったし!!!!
ええ
もう
そりゃ見事に
いわゆる『生まれたまんまの格好』なのよ!!!
すっかり動転した頭で布団の横を見ると,そこにあったのは…


わたしのお気に入りNO.2のピンクのブラ&ショーツセット…。
…だけじゃなくて,青いチェック柄のボクサーパンツ。


「血の気がひく」っていう感覚をわたしは生まれて初めて味わった。
体温も一気に3度は下がったような気がする。
事情が飲み込めると今度は心臓が早鐘のように鳴り出し,喉も乾いてきて何度も唾を飲み込んだ。
頭がありえないくらいズキズキ痛むし…。
それに………なんだか腰も痛いし。
って,銀さん!?なに酷使させてんのよ~人の身体を!!!
それもこっちの意識がない間に!!!
そのうえ彼氏でもないくせに!!!

後になって思えば彼が寝てる間に一発殴ってやっても良かったのかもしれない。
でもこの時のわたしの頭に思い浮かんだのは,怒りよりもなによりも,
『逃げなきゃ』ってことだった。
わたしが逃げる必要なんてどこにもないんだけど,なぜかそう思ってしまったのだ。
人って混乱すると,とりあえずその場から離れたくなるものなのかもしれない。

逃げなくちゃいけない,
でも逃げるには起き上がらないといけない,
起き上がったら銀さんが目を覚ますかもしれない,
そうすると自分の裸を見られてしまう,
いやきっと状況からして夜の間に散々見られてるんだろうけど,
それとこれとは話が別であって,
ああそうか静かに起き上がれば良いんだ…
…とかなんとか,ぶつぶつ考えている間に,

「う~ん…」

銀さんの目がうっすらと開いた。

わたしのジタバタと慌しい気配に気付いたのか,
それともさっきから鳴り響いている落語が耳についたのか,
そんなことはこの際どっちでも良い。

「…ん?」

わたしはどうすることもできずに銅像よろしく硬直したまま,彼の目が開かれるのをじっと見ていた。

「……………?」
「はい…」

ぼんやりとした彼の声に律儀に返事をしてしまうわたし。
障子の隙間から差し込む陽光が,男にしては色白な銀さんの肌に当たっている。
綿菓子みたいにふわふわした彼の髪の毛が,銀色に光っていてえらくきれいだった。
いつも億劫そうな目が,寝起きでさらにダルそうだったんだけど,わたしの姿を目に映した途端,
みるみる内にいつもの倍くらいは大きくなった。

「…………うええええ!!!????」

きーーーーん………

嗚呼。
できればその叫びはわたしが先に言いたかった。
まさにわたしの今の心境にぴったりよ。
そうだ。
こういう時には下手に冷静にならずに素直にパニくればよかったんだわ…。

「って,頭に響く!!大声出さないでよ!!!」

怒りやら情けなさやらが手伝って,わたしは思わず叫び返した。
と同時にまたもや頭に痛みが走る。
完全に二日酔いだ。
銀さんも同じように頭をおさえているところを見ると,たぶん彼も二日酔いなんだろうけど…
つまり二人して二日酔いになるほど飲んで…そ,それで…その…
…あれそれドレミってやつ?

銀さんは自分の姿とわたしを交互に見て青くなった…いや赤くなった。
いややっぱり青く…いや赤?青?もうどっちでもいいや。とにかく顔色を変えた。
だらだらと冷や汗を流しつつ,銀さんは頭をがしがしと掻いた。

「…えっと…アレ?その…アレですか?」

うん…『アレ』だね。
って『アレ』ってなんだよ。

「……嘘ォォォォォ!!!???」

いやその台詞もわたしが先に言いたかったやつだから!!
なんなのよ,一体。
なんなのよ!!!!!
嘘だと思いたいのはこっちだっつの!!!!

「嘘でも夢でもないわよ,このクソ天パァァァ!!」

わたしはなんだか泣き出したいような気持ちになって,
頭痛にも構わずそう怒鳴ると,銀さんの頭を思い切り拳で殴った。



こうしてクリスマスは始まった。

ホワイトクリスマスでもなければ,
ロマンチックなクリスマスでもない。
神聖な日どころか汚れまくった日になってしまった。

嗚呼,神様。
わたしは地獄に堕ちるのでしょうか…?