寒ィ朝にありがちなことだけど,俺は眠りから覚めた時すぐには目を開けなかった。
まるで雲ん中浮かんでるみてーに意識がまだぼやけていた。
そんでもって,そんな霞みがかった頭は目覚めることを本能的に拒否っていた。
夢と現実の間でまどろんでんのはすっげー気持ちよかった。

それに今日はなんつーか…いつもより『スッキリ』していた。

布団の肌触りが気持ちよくて,そこから抜け出すことなんて考えたくもねー。
丁度また上手ェ具合に眠気が忍び寄ってきたし,そんまま逆らわずに夢へ沈んじまおーと思った。

――と,その時。

少しだけひんやりとした『何か』が俺の身体を覆った。
その『何か』は俺の体温よりも若干低かったけど,不思議とイヤじゃなかった。
すべすべしていて気持ちいいし,布団とは違う『柔らかさ』がある。
眠気さえなければこっちから抱きつきてェくらいだ。
俺はその『何か』に包まれて幸せな気持ちに浸りながら眠りにつこうとした……

……が。

『寿限無寿限無,五劫の擦り切れ,海砂利水魚,水行末,雲来末,風来末,食う寝る所に住む所,
 薮ら柑子のぶら柑子,パイポ,パイポ,パイポのシューリンガン,シューリンガンのグーリンダイ,
 グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助!
 起きやがれ!』

不意にその『何か』が動いた。
それも「超・危機迫る」って感じで。
別にものすごく慌しく動いたわけじゃねーんだけど。
なのになんでか不穏な空気を俺は感じ取った。
こーいうのを「虫のしらせ」って言うんだろうな。
なんにしろ,俺の本能というか勘が「とっとと目ェ覚ましやがれ」と脳内で叫んでいた。

っんで目ェ覚まさねェといけねーんだよ…
…今日はクリスマスだろうが。

…
……
………。

そういやー昨日は『焼肉・揉々苑』で飲んだんだったな。
イブに予定の無い寂しー奴らによる寂しー集会。
まぁムードは無ェけど結構楽しかったよな,気楽で。
見知った奴らばっかりだったし。
…あーなんでか知らねェけど総一郎君もいたな。
「パトロールでさァ」とかなんとかほざいてたけど…んなこたァない(タモさん調)。
あんな未成年で堂々と飲酒してるドS王子が警察官なんてマジで世も末だな。
そん時に「旦那は音楽聴かねーんだって?なら落語はどーですかィ?」って言われてほぼ無理矢理
借りさせられたんだっけか。
今流れてるやつがまさにその落語だ。
…つーか,なんで朝っぱらから落語が流れてんだ?

もぞもぞもぞ。

またもや『何か』が動いた。
この頃には俺も目を開けようって気になっていた。
若干「心地よい二度寝」に未練あったけどな。

「う~ん…」

起き抜けの乾いた喉を揺らしつつ,俺はうっすらと目を開いた。
そこにあったのは…。

「…ん?」

眼前ドアップに。
色白を通り越しもはや蒼白な色をして,
唇をきゅっと噛んで呼吸をつめて,
銅像よろしく固まっている顔があった。

俺の友達だ。
…ただし頭に『女』のつく。

…
……
………

まさに「息を呑む」って感じの表情で俺をじっと見ているこいつは…!!


「……………?」
「はい…」

いやそこで律儀に返事すんなよお前ェはよ。
…って,俺もツッコミいれてる場合じゃねェ!!
俺はの姿を見て,自分の顔にさっと朱がさすのを感じた。
細っこい首筋に髪一束が悩ましげに絡み付いている。
日差しに照らされた鎖骨の窪みにくっきりと影ができていて,なんっつーか……
……すっげぇ『卑猥』だ。
それだけじゃねー。
つーか,それどころじゃねー!
俺は思わず目ェひん剥いてガン見してしまった。
こいつ……裸だしィィィ!?

「…………うえええええェェェェ!!!????」

叫んだ途端,雷が落ちたみてぇな衝撃が頭に走った。
反射的にこめかみを押さえる。
こ,こんなにひでェ二日酔いになったのは久しぶりだ。

「って,頭に響く!!大声出さないでよ!!!」

そーいうだってものすげェ怒鳴り声じゃねーか。
いや冷静につっこんでるけど,俺全然冷静じゃないからね。
むしろ真逆だからね。
とりあえず落ち着いてタイムマシンを探したい気分だからね。

「…えっと…アレ?その…アレですか?」










―あっ…んっ…!銀さ…っ!
―こういう時は名前で呼ぶのが礼儀だろ…?
―ぁは…ッ…んッッ…銀時っ…








!!!!!!!!!!!!!!!!







今すっげーリアルな映像と音声が俺の頭ん中を駆け巡ったんですけどっ!?

ま,まさか……いやそれしか考えられねーだろこの状況じゃ!!

………俺なにやっちゃってんのォォォォォ!!!???

無意識でヤっちまうなんて勿体ねェだろーがァァ!!
…いやいやそれはなんか違うだろ!!!
でもやっぱ勿体ねェ!!つっこみ所違うけど,やっぱ勿体ねェ!!
だってほとんど憶えてねーし…
俺としてはさァ,もっと段階とか段取とかふまえた上でこーいうことができたら良いなァ,って
感じだったわけで…銀さん基本的に古風な人間だからね,そこんとこは!
つーか…もう,ホントに,

「……嘘ォォォォォ!!!???」
「嘘でも夢でもないわよ,このクソ天パァァァ!!」

思わず大声出しちまった俺の言葉に,は即座に言い返してくる。
しかも頭をしたたかに殴られた。

「痛ぇ!!え,なになんで殴んの!?ドメスティックバイオレンス!?」
「うるさい!!わたしだってそこやらここやら痛いわよ!!」

そ,そこやらここやらって………
自棄になってんのかはとんでもねーことを言いやがった。
そーいやァこいつ昨日
「クリスマス1週間前にフられたの!あいつは男の屑よ!」
とかなんとか叫んでたな。
付き合ってた野郎がいたんだし…少なくとも『初めて』じゃあなかったんだよな,こいつ?
安心するよーな,ちょっとムカつくよーな。男心は複雑だ。ガラスのハートだ(謎)。
で…初めてじゃねーのに痛い,と。
「そこやらここやら」が。
…俺,昨日どんだけヤッったんですか!?
そりゃァ『スッキリ』しているはずだよな!
たぶんこの『スッキリ』感からして…
…少なくとも3回はヤッたはずだ。

「っも~~~!!!なにがどうなってこうなったのよ!!??」
「お,おい!!とにかく服を着ろ!!!」

は続けて叫ぼうとするけれども俺は正直それどころじゃねー。
1つ同じ布団の中で裸の女に詰め寄られる男の身にもなってみてくれってんだよ。
どーでも良い女ならまだしもなァ,前から「ちょっといいな」って思っていた女友達だと…
…って待て待て待て!!!!

「あ…!あっち向いてて!絶対に振り向かないでよ!!」
「お,おう!」

俺が素直にぐるっと背を向けると,が布団から抜け出る気配が背中に伝わってきた。
布団の横でがさごそと動く音がする。

「な,なァ…は…昨日のこと覚えてちゃったりする?」

俺はおそるおそる聞いてみた。

「ほ,ほとんど覚えてない……銀さんは?」
「…………あんまり(さっき少~し思い出したけど)」
「め,珍しいよね……普段は少なくともどっちかは意識はっきりしてるのに」

そうだ。
は酒に弱くねー。むしろ『強い』部類に入る。
それにたとえ酔ってても騒ぎ出すタイプじゃねェ。
むしろ酔うといつもより静かになるタイプだ。
静かに飲み続けて,そんで潰れねェ。
まァ俺はあんまり強くねーけど,こいつと飲む時はペース考えて飲むから泥酔することはまず皆無。
だから「こういう事態」になることは普通考えられねー…。



―なんかね,フられたら色んなことに自信を失くしちゃった。
―なんでだよ?こういっちゃなんだけどよ…ダメになる雰囲気はあったんだろ?
―うん。なんとなくあった。でも雰囲気と現実にそうなるのは違うよ。
―……まァそうかもな。
―変だよね。元々は1人だったのに。少しの間2人で過ごしたばっかりに,いざ1人に戻ると…
 …自分の価値が前より下がったみたいな気がする。
―お前の価値は全然下がっちゃいねーよ。
―…そうかな。
―何があっても変わんねェよ。お前の価値は。
―ありがと。でも……



……………あー。
またもやいきなり断片的に映像と音声が流れた。
やっぱ静かに語り合ってるな,俺ら。
町内会の飲み会で一緒になるといつもこんな感じだもんな。
騒いでる奴らから少し離れたところで,飲みながら何かしら喋りまくる。
たわいのないことばっかりなんだけど。
俺はその時間が結構好きだったりする。



―あれ~これ落語?沖田君から借りたの~?
―おー。なんか無理矢理。聞くか~?
―聞く聞く~!!夜通し聞く~!!!リピートアフターミー!!
―って,なんでお前の言葉繰り返さなきゃなんねーの!?
―良いの良いの~!はい,リピート再生ね!



……あり?
シリアスな雰囲気からいきなりコメディタッチな映像に切り替わりましたよ?
つーか万事屋じゃん。場所が。
さっきまで焼肉屋での回想シーンだったのに。
なんかホントに記憶がとびとびだな。



―いったァ!!
―うおっ!どうした?
―何か棘が刺さった…
―あ~そこの柱ちょっとささくれだってんだよ。


「あ。なァそういえば手に刺さった棘,」

俺は他意なく振り返った…が。

「ちょ……っ!!!まだ見ないでよ!!!」

はまだ下着を身につけたところだった。
真っ白で滑らかな背中がエライ色っぽい。
しかもところどころに花弁のような痕が……
……って,アレつけたの俺だよねェ!?間違いなく俺だよねェェ!?

「…っ!悪ィ!!!」

(ホント,いろいろスミマセン!!!)
俺は慌てて背を向けた。
つーか,さっさと着替えろってんだ!なにノロノロやってんですか!!
銀さんはいたって健康な男なんですよー!
そりゃもうビンビンに元気な青年なんですよーーー!!
今の状態は拷問ですよォォォーーーー!!

「あ,あれ?あれ…???」

戸惑うようなの声がする。
なんか…イライラを通り越して悲しくなってきたんですけど。

「…っ!!まだか!?」
「だ,だってどこに服があるのかわかんないだもん!!」

もー俺泣きてェんだけど…。
俺…どこで脱がせたんだよ!?






―なァ~そろそろシャワー浴びたら~?
―ん~……脱がせて~…
―はァ?服くらい自分で脱げんだろ…?
―やーだー…脱げない!
―仕方ねえなァ…ほらちょっと貸してごらんなさいっ。










……………………あ。


「ふ,風呂!!風呂場見てみろ!!」
「は?風呂?」
「た,たぶん風呂場にあっから」
「…なんで風呂場なの?み,見てみるけど」

がぺたぺたと走っていき,がちゃりと扉を開ける音がした。
それとほぼ同時に「あった…」と安心したよーな声も聞こえてくる。

なんで風呂場で服脱がしたのに,下着は布団の横にあんだよ?
…結局シャワーは浴びなかったんだろーな。
たぶん…下着姿見て我慢できなくなっちゃったんだろーな…俺…。
つーか,も普段とキャラ違くね?
普段は間違っても「脱がせて」なんて可愛らしく言うタイプじゃねーのに。

あ,そうだ。
俺も服着よう…。

そう思って布団をどけると,やはりというか…
…少しだけ『たって』いた。
そりゃーそうだよな。
いくら『朝の現象』があんまり起きなかったとはいえ(昨日3回もヤったらそりゃあな)裸の女が
すぐ近くをうろうろしてれば,なァ…。
「使える」ほどにはたっていないけれども,若干固くなっている「自分」を見て文句の1つでも
言ってやりたくなった。

溜息をつきながら俺はのろのろと服を身につけていった。
ちゃんと上衣も着たところで,扉の向こうから声がした。

「銀さーん…服着た?」
「…おー」
「開けて大丈夫?」
「んー」

答えてから数秒後,ゆっくりと扉が開いた。
はこっそり部屋を盗み見るようにして,扉の隙間から目を覗かせた。
俺が本当に「大丈夫」な状態であることを確認して,やっとこさ入って来る。

はもう羽織も襟巻も着込んでいた。
そんでもってそんまま何も言わずに,畳に転がってる自分のバッグをとった。
うつむいた顔にはなんの感情もねェ。
ぐっと引き結ばれた唇が今のの心境を物語っている気がした。

「………」

俺もただその様子を見ていることしかできねー。
なんて声をかけりゃァ良いのかわからなかった。
「ごめん」ってのもなんか変だろ。
でもなんか言わなくちゃならねーと思った。


「…もう帰んの?」


口をついて出たのは,まるで引き止めるかのような言葉だった。
言ってから自分でも驚いた。
も少しだけ目を見開いている。
けど,すぐに視線を逸らした。

「帰る」

一言そう言って玄関へと向った。
罵倒してきてもおかしくねェ状況だってのに,はエライ静かだ。
それがかえって恐ろしいよーな気がした。
俺も黙ってその後を追う。

「………」

は無言で草履を履いた。

「なァ…」

沈黙に耐え切れなくなって,俺はそう言っての肩に触れようとした。けど,





「触んないで!!」




鋭い声が響いた。
思わず俺は手を引っ込めた。
今日何度も怒鳴られたけど,そのどれとも違う声だったから。
その声には明確な『拒絶』が込められていた。


「…………っっっ!!」


こっちを睨みつけるの目には涙が浮かんでいた。



「なんで泣くんだよ…」


俺はすっかり気圧された。
それから…ショックを受けた。
が泣いていることに。



…お前と俺,結構仲良かったよな?
知り合ってまだ数ヶ月だけど。

ジャンケンに負けて隣の花屋に回覧板を(置き去る気満々で)持って行ったら,お前が店番しててさ。
「半年前に田舎を出て,今日からここのバイトに入りました」って聞いた時は内心「ラッキー」って。
気ィ合うし年も近ェし,色々話すようにもなったってーのに,彼氏持ちって聞いた時はリアルに凹んだ。

けど…今はもうそいつ彼氏じゃねーんだろ?

誰のことも裏切ってねーよな?
誰のことも傷つけてねーよな?

おまえは…傷ついたのかよ?
そんなに嫌だったのかよ?
そんなに…
…俺とこうなったのが嫌かよ?




「なんでって……泣かずにはいられないわよ,バカ!!!」



はヒステリックにそう叫ぶと,蹴倒すように扉を開けて走り出て行った。
俺は咄嗟に一歩足を踏み出したけれど,結局そのまま立ち止まってしまった。
追うことができなかった。
かわりにその場にずるずると座りこんだ。



―『ひとり』って寂しいよね。
―……そうだな。




『ちょいとお前さん,寿限無寿限無,五劫の擦り切れ,海砂利水魚,水行末,雲来末,風来末 …』
ばかに明るい落語節が部屋の方から聞こえてきて,俺はますます泣きたくなった。



(俺は……嫌じゃねェっつーのに)