わたしは悪くないもん。
絶対 絶対 謝らないんだから。
…ぜったい。



ごめんね。



北風の吹きすさぶ午前中,大量の鯛焼きが詰め込まれた紙袋を手に,俺は屯所までの道のりをダッシュ
していた。抱えた袋はほかほか温かく,湯たんぽがわりというかホッカイロがわりというか…寒空の下
を移動するのに,大変ありがたい。
(いやでも待てよ…『ありがたい』ってのはナイな)
そもそもこのクソ寒い中走ることになったのは,まさにこの鯛焼きが原因なのだから。

――30分以内に鯛焼き買って来いよ,山崎。
――1秒でもオーバーしたら鼻フックデストロイヤーファイナルドリームの刑な。

朝食を食べ終わってまだそれほど時間も経っていないというのに「小腹が空いた」と一番隊の隊長が
ぐずり始め,そこにたまたま居合わせた自分にパシリを命じてくれやがったのだ。
(いつもいつも口を開けば無理難題ばっか言いやがって,あのドS王子が!!)
本人の前では口が裂けても言えない愚痴を,苛々と胸中で叫んだ。
なにやら鯛焼きの温かさが,むしろ憎らしくさえなってきた。
(1個くらい食べてもバチは当たらないよな)
金出したの俺だし。いや後でしっかり請求するけど。
俺は走る速度を少々落とし,袋の中を探った――と,その時。
(…あれ?)
視界の隅の方――川原の枯れた芝生の上に,見知った人影が座り込んでいるのが目に入った。
その人物は膝を抱え込み,傍らの草を片手でぶちぶちと所在なげにちぎっていた。
…なにやってんだろう,こんなとこで。

「ちゃん?」

小さく丸まった背中に声をかけると,彼女はびくっと肩を跳ねさせて振り向いた。
「…山崎さん!お,おはようございます」
握り締めていた草をぱっと手放し,ちゃんはちょこんと頭を下げた。
俺は歩道を外れて川原まで降り,座っている彼女の隣に立った。
「ひとりなの?」
「…」
ちゃんが黙ってこっくり頷くのを横目に,俺は芝生に腰を下ろした。

「ひとりで何してんの?こんなところで」
「…なにも,してません。強いて言うなら『環境破壊』です」
「は?…ああ。『環境破壊』ね」

彼女によってちぎられた枯れ草の小山を見て,思わず笑ってしまった。
こんなのが環境破壊に入るなら,この世のほとんどの行為は環境破壊だろうな。うん。
ちゃんは俺が笑ったのを見て,少しだけ微笑んだ。
でも…およそいつもの彼女らしくない,まるで元気のない笑い方だった。
なにかあったんだろうな~と思いながら,俺はちゃんに紙袋を差し出した。

「ほら。鯛焼き食べる?」
「え…良いんですか?」
「もちろん。食べなよ」
「わあ…ありがとうございます」

鯛焼きに伸びた指の先は,かじかんでほのかに赤くなっていて…一体いつからここにいるんだろう,と
心配になった。内心気がかりを抱く俺の横で,ちゃんはぱくりと鯛焼きにかぶりつき「熱っ」と
嬉しそうに笑った。うん…今のはいつもの笑顔に近いな。
俺も袋に手を突っ込んで,自分のぶんの鯛焼きを取り出した。
沖田隊長には後で「ちゃんが2個食べた」と報告しよう。
食べたのがちゃんなら,あの人もそんなに文句言わないだろう,たぶん。
そんな(しょうもない)計算をしつつ,俺は鯛焼きを頬張った。そして,

「こんなとこで何してんの?」
「え…だ,だから。環境はか」
「そうじゃなくてさ。なんでこんなとこにいるの?」
「それは…」
「元気ないよね,今日」
「…そうですか?」
「うん。全然元気ない。まるで親犬から引き離された子犬みたいだよ」
「…わたし,犬じゃないです」
「ああ,うん。喩えだよ,喩え」

むっと眉を寄せたちゃんをなだめる…周囲の人間からなにかと子犬扱いされるのを,このコは
不本意に思っているらしい。というより,子ども扱いされるのが嫌なようだ。でも,子ども扱いされて
怒るところこそ,子どもの証拠だと俺は思う(けど言わないでおく)。

「旦那に怒られるよ。『1人でうろうろしてて攫われたらどーすんだ』とかなんとか」

彼女を子ども扱いする筆頭である銀髪の旦那の話題を持ち出してみる。
旦那の場合「女扱い」の行き過ぎで「子ども扱い」になってる気がするけど…大事にし過ぎっつーか。
そんな過保護な男の話題に,ちゃんは唇をへの字に下げて俯いてしまった。

「…怒られてもいいもん」
「え?」
「怒られても平気だもん」

ぼそぼそと小声でそんなことを呟く。北風が川原を通り過ぎ,ちゃんはぶるるっと縮こまった。
この寒いのにマフラーも巻いてないなんて,風邪をひきたがっているようなもんだ。
自分ん家なり万事屋なり,とにかく屋内に今すぐ入るべきだと思う。
それなのに…家と万事屋の中間地点で,寒空の下こうしてひとり座り込んでいるなんて。

「一体どうしたの?」
「…」
「俺でよければ相談に乗るよ?」
「…本当ですか?」
「ホント。俺に任せて」

力強く頷いてあげると,ちゃんは照れたように頬を赤くして笑った。
…いやなんで照れんの?こっちまで照れるからやめてくんないかな,その反応。

「山崎さん,頼もしいですね」
「…」

ああ,なるほど。頼もしい男がタイプなんだね。だから赤くなったわけね。はいはい。
彼女の(単純過ぎる)照れた理由はさておき。
「何があったの?」
俺が重ねて問いかけると,ちゃんは笑顔を引っ込めて目を逸らした。
そして,再び手元の草をぷちりぷちりとちぎり始め,

「…銀ちゃんと喧嘩したの」
「へえ…」

口の中でもごもごと打ち明けた。
うん…そんなこったろうと思った。
ちゃんは今時のコにしては珍しいくらい素直だし,旦那のいうことも基本的にはよく聞く。
争い事が苦手なようで,多少嫌なことをされても困ったように笑うだけで,あまり本気で怒らない。
以前お妙姐さんがふっ飛ばした局長の下敷きになった時でさえ,「痛いなあ」と苦笑いしただけだった。
誰がどう見てもあれは怒っていいとこだったと思う。

とにかくそんな感じですこぶるイイ子なんだけれど…
…でも,頑として自分の意見を曲げない一面もある。
旦那に何度「行くな」と言われても,何度でも屯所に遊びに来るし。
だから1度「こうだ!」と思い込んだら最後,絶対に引かず…その結果旦那と喧嘩になることもあるん
だろうな。ちょうど今みたいに。

「なにがあったの?旦那の部屋でマニアックなエロ本でも見つけちゃった?」

彼女の深刻な空気をほぐそうと,俺は敢えて軽い口調で言った。すると,

「そ,そんなことじゃ喧嘩しません!」

ちゃんは顔全体をボッと赤く染め上げて,頭をぶんぶん横に振った。
この反応…さては既に見つけたことがあるな。
旦那,免疫の無いちゃんになに汚れたもん見せてんですか。俺でも怒りますよ。
「じゃあ何があったの?」
「あの…その…」
こほんと咳払いをして,ちゃんは語り始めた。

「この前銀ちゃんと2人で電車に乗ってたらね,偶然土方さんも同じ車両に乗って来たの」
「へェ…そりゃまた面倒くさい偶然だったね」
「珍しいですよね,土方さんが電車を利用するの。わたしは嬉しかったけど,銀ちゃんは…嫌そうで」
「俺でも嫌だな。プライベートでまであの仏頂面見たくないし」
「わたしの左に銀ちゃんが座って,わたしの右に土方さんが座ったんだけど」
「ムサい2人に挟まれてさぞ辛かったでしょ」
「いや別に辛くないですよ!」

突然ちゃんが叫んだ。
ふーん…このコもツッコミできたんだ(妙なところに感心してしまう俺)。

「辛くないの?俺なら絶対に嫌だけど」
「…山崎さんって,たまにびっくりするくらい毒舌ですね」
「そう?」
「…」

ちゃんはまるで怖いことでも聞いたかのように顔を青ざめさせたけれど,ぶるぶると首を振って
話を再開した。

「そ,それで…銀ちゃんと土方さんって会うたびに喧嘩するでしょう?その時も案の定騒ぎ出して」
「ふむふむ」
「あまりにもうるさいから『わたし眠いから2人とも黙って』って言ったの。そしたら2人共競う
 ように静かにしてくれて」

『競うように静かにする』ってなに?
なんとなくあの2人なら想像つくけど,なんかおかしくない?
俺の素朴な疑問はよそに,ちゃんは話し続けた。

「『眠い』って言っちゃった以上わたしも目を瞑らないわけにはいかなくって,目を閉じたら…
 …本当に眠っちゃって」
「へェ」
「それで目が覚めたら銀ちゃんが怒ってた」
「………はァ?」

思い切り声が裏返ってしまった…いや,だってさあ。
だって意味がわかんなくね?寝て起きたら怒ってた,て…あっなんかすっげー腹立つ寝言を言っていた
とか?いやでもちゃんに限ってそれはないか。俺もたまには純粋なものを信じたい。

「今の話のどこに旦那の怒る要素があんの?」
「でしょ?わたし怒られるようなことしてませんよね?」
「してないね。旦那,機嫌悪かったのかな…あ,ひょっとしてアノ日だったんじゃない?」
「そんなわけないでしょ!!!」

一声喚き(おお…またもやツッコミできたよこのコ),ちゃんはじろりと横目で睨んできた。
…俺は思わず「ゴメンナサイ」と頭を下げた後,

「こほん…いやでもホントになんで怒ったんだろうね…」
「わかんないです。ただわたしは眠ってただけなのに…土方さんに寄りかかって」
「……」


間。


「…………は?」
「眠ってただけなのに」
「…誰に寄りかかって?」
「土方さん」
「…」

一陣の風が,彼女の横に詰まれた枯れ草の丘を吹き飛ばしていった。

「そりゃ怒るよ」
「どうしてですか!?」
「どうして,って言われてもねェ…」

額を手で押さえて(頭が痛くなったのだ),俺は言った。

「そういうことは,好きな人以外にしちゃダメなんだよ」
「えっ…銀ちゃん以外ダメなの?」
「…うん。そうだね」

誰が「旦那以外ダメ」と言ったよ。
俺は「好きな人」としか言ってないっつーの。
このコは時々ものすごく正直に自分の恋心を口にする。
そのくせ自分の思いを隠し通せているつもりらしいから,なおさらびっくりだ。

「ちゃん,どういう風に副長に寄りかかってたの?」
「どうって…頭を土方さんの肩の上に乗せる感じで」
「…そりゃ怒るに決まってるよ」

どこのバカップルの図だよそれ。
惚れた女が自分の隣で違う男(それも気にくわない)にンなことやってたら,どんなに懐の深い男でも
怒ると思う。
でも,ちゃんはまるで酷い裏切りにでもあったかのように顔を歪めて,

「どうして!?だって無意識の間のことなんだよ?眠ってたんだからしょうがないでしょ!」
「…それ,旦那にも言った?」
「言いました!そしたら『なに?無意識の内に銀さんじゃなくてニコ中を選んだってわけ?』って
 わけわかんないこと言い出して!!」

思い出して腹が立ったのか,ちゃんはブチィッと草を派手に引きちぎった。
…濃いわ,じゃないや怖いんですけど。
気のせいかこのコ額に青筋入ってんですけど!
普段滅多に本気で怒らないコだから余計に怖いんですけど!!

「わたしだってできれば銀ちゃんの方に傾きたかったけど,眠ってたんだから選べるわけないよ!」
「…まァそうなんだろうけど」
「なのに銀ちゃんは『なんでマヨラーの肩にもたれかかんの?普通ここは銀さんでしょ?』って
 怒るし。『車内マナーってものがあるんだよ世の中には。身内以外の人間にもたれかかって
 眠るなんて迷惑行為だ』って叱るし。しかも土方さんに『テメェなに勝ち誇った顔してんだ!』
 って意味わからない因縁つけ始めるし」

…いやそれはたぶん本当に『勝ち誇った顔』をしてたんじゃないかな,副長が。
あの人マジでちゃんの保護者のつもりでいるから。
おおかた「してやったり」って思ってたに違いないよ。
あの人その内「の結婚相手は俺が探す」って言い出しかねないよ,ホント。

「それで旦那と喧嘩したってわけ?」
「だって…無意識の間のことで怒られても直しようがないし」
「そりゃそうだけどさ…」

なんつーくだらないこと理由に喧嘩してんだ,旦那とちゃん。
いや,まァ痴話喧嘩なんて99%はくだらないんだけどさ,当事者以外の人間にとっては。
俺は…痴話喧嘩の相談を受けた大抵の人間がそうするように「馬鹿じゃねーの」って気持ちを顔に
出さないよう注意し,やんわりと微笑みかけた。

「今日,万事屋に行く日?」
「…ん」
「じゃあ行った方が良いんじゃない?」
「…行きたくないです」

ちゃんは唸るようにそう言い,ぎゅっと膝を抱え込んだ。そして,

「わたしは悪くないもん」

すっかり拗ねた声音で言い切った。
(うーむ…これはまずい)
俺は顎をさすって,腕を組んだ。
このコはおっとりしているけれど,意外と頑固だし,しかも負けず嫌いなところもある。
以前屯所で一緒にミントンしていた時,俺が手加減して打ち返していたら急にぷりぷり怒り出した。
「どうして本気で打たないんですか!?」とかなんとか。
手加減されるのが嫌だったらしいけど,お世辞にもちゃんの運動神経は良いとは言えない。
でも顔を真っ赤にして怒ってるから,俺はほんの少し(本当に少しだけ)力を入れて打ってあげた。
そしたら…なにをどう間違えばそうなるのか。
ちゃんはシャトルを顔で受けて鼻血を噴いた(あれにはびびった)。
そこにたまたま通りかかった土方さんは俺をぼこぼこにし,飛ぶような早さで医療班を呼びに行った。
ちゃん本人は自分が血をだらだら流してることに心底びっくりしたらしく,泣きはしなかった
けど呆然としていた。
一部始終を見ていた沖田隊長も珍しくちょっと狼狽えてて,手持ちのタオルでちゃんの鼻を
押さえてあげていた。
んで,ちゃんの鼻の頭についた小さなすり傷(2ミリくらい)に沖田隊長は目ざとく気が付き,
「どう責任とるつもりでィ」と俺に凄んできた。
その迫力はハンパなくて,テンパった俺が「治らなかったら責任とって嫁に貰います!」と口走ったら,
殺人的威力の左ミドルキックをされた。本気で死ぬかと思った。というか死んだと思った。
三途の川の向こうで,死んだ曾祖母ちゃんがアンパン食べてるのが見えたからねマジで。
隊長もなんやかんや言いながらちゃんを気にかけてて,俺は時々「隊長はちゃんに惚れて
んじゃないか」と勘ぐったりもするんだけど…あの人はいまいちよくわからない。

(どうしたもんかねェ…)

過去を思い出しつつ,現在の問題に頭を悩ませる。
俺は「よしっ」と頷いて口を開いた。

「でもさ,無断欠勤は良くないことだよ。そんな無責任なこと,ちゃんとした大人なら絶対にしない。
 子どもじみてるよ」
「!」

俺がそう言うと,ちゃんはハッとしたように顔をあげた。
どうやら心を動かされたらしい…よしよし狙い通り。
彼女は「早く大人になりたい」と思っているようだから。
そのへんを刺激すれば万事屋に行こうとするんじゃないかな,と睨んだのだ。
ちゃんが「子どもじみてる」という言葉に反応したのを見て,これはうまくいくかもと一瞬
思ったんだけれど…。

駄菓子菓子。
じゃないや,だがしかし。

彼女は巾着をごそごそ探りだしたかと思うと,携帯を取り出してどこかに電話をかけた。
俺が前にあげたガチャピンのストラップが,彼女の耳の下でぽてぽて揺れている。

「もしもし…新八君?です」
「…へ?」

えっどこに電話かけんのかと思ったら…万事屋?
至極マジメな表情をしたちゃんの横顔を,俺は呆気にとられつつ見つめた。

「わたし,今日休むね」

そうきたか。
なるほどね。
たしかにそれだと『無断欠勤』じゃないよね,うん。
ちゃんと連絡するわけね,はいはい。
…図太いな,このコ。

「なんでって…えっと」

でも電話の向こうの新八君に理由を問われたらしい。いきなり口ごもった。
えーとえーと,と頭を揺らしてちゃんは言った。

「胸が苦しくて痛いの」

どんな理由!?
仮病なのそれ?!
いやでも仮病ならもっと「風邪ひいた」とか「熱がある」とかさ。それっぽいのがあるよね色々!
めちゃくちゃつっこみたかったけれど,ちゃんの表情は至って真剣だ。
ぐっと胸を押さえ,苦しそうな声で,

「ほ,本当だもん」

おそらく新八君も俺と似たようなつっこみをしたに違いない。
ちゃんは同じ言葉を繰り返した。

「苦しいし,痛いし」
(…『胸が苦しくて痛い』ねェ)

本当にそうなのかもなァ,とふと思った。嘘じゃないのかもしれないなァって。
考えてみれば,旦那と喧嘩してこのコの心が痛まないわけがないんだ。
「自分は悪くない」って言ってるけど,きっと本心からそう思ってるんだろうけど…
…仲直りしたいに決まってるんだ。
俺はちょっとしんみりした気持ちでちゃんをみつめたけれど,彼女は苦しげだった眉を突然
キッと吊り上げた。

「と,とにかく休むから!社長さんにもそう言って!」

『社長』って誰!?
ひょっとしなくても旦那のこと?!
もう名前を呼ぶのも嫌ってか!
ホンットに頑固なコだな,このコ!!
ちゃんは携帯をスパァンッと閉じ,俺の方にくるりと顔を向けた。

「…これでいいんでしょ?」
(つ…強ェェェ!)

興奮で目を輝かせているちゃんを見て,内心思わず絶叫してしまった。
ふりかかる火の粉は払いのけて,踏みつけて,火矢を放て。すべてを燃やし尽くせ。
俺に「子どもじみてる」って言われたのがそんなに嫌だったのか。
「これでいいんでしょ」って…これで文句ないでしょって…つっ強ェ!どうしよう女って怖っ!
女の恐るべき強さに頭をくらくらさせながら,俺は彼女から目をそらし,川原の上の方を見た――
――と,そこに見覚えのあり過ぎる人物がスクーターで停まっていた。

「あ,旦那」
「えっ」

ちゃんは俺の言葉につられて,歩道をバッと見上げた。
それに対し旦那はというと…いつもの死んだ魚のような目ではなく,むしろ威嚇する虎のような目で
こちらを見下ろしていた。そしてスクーターから降りると,ゆっくりとした足取りで川原に下りてきた。
俺もちゃんも黙ってそれを見ていたけれど,旦那がすぐ近くまで来たところで,彼女はすっくと
立ち上がった――ので,俺も腰をあげた。

「…」
「…」

両者,無言です。
無言でみつめあっています。
でも…2人の視線の真ん中に火花が散って見えるのは,俺の気のせいじゃないはずだ。
先に口を開いたのは旦那の方だった。

「…なんで来ねーわけ?」
「…足が止まっちゃったから」
「…へ~え」
「…」

お,重っっっ。
声こそ荒げていないものの,2人の空気は異常に重い。しかもおそろしく冷たい。
ただでさえ寒い日だっつーのに,なんでさらに冷たい空気を醸し出してんの,こいつら!超迷惑!
旦那はわざとらしく大げさに溜息をついて(あっ結構ムカつくかも),ちゃんに再度話しかけた。

「…来なさい」
「…やだ」
「いいから来なさい」
「やだ」
「来いって!」
「いやだってば!」

やばいよ,声まで荒くなってきましたよ!?
カーンって,ゴングの音が高らかに響き渡ったよ?!

(つーか,ちょっと待て)

ここで痴話喧嘩おっぱじめるつもり!?