虎VSポメラニアン。
絵だけを見ればどちらが勝つかは自明の理。
しかし,これはわからない。なぜならこの子犬はいざとなれば狛犬に化けられる猛者なのだ。
…なんにしろ,こんな戦いに巻き込まれるのは御免だ。
よし,逃げよう。
「わたしは悪くないよね,山崎さん!?」
「どう考えても悪ィのはこいつだよな,ジミー!?」
「いや山崎ですってば!」
…しまった。ついいつものクセで言い返してしまった。
逃げるタイミングを無くしちまったじゃねーか!俺のバカァァァ!!!
しかもちゃんはがっちり俺の右腕を掴んだ。
…逃げられない。
「わたしはただちょっとうたた寝しちゃっただけだもん!!」
「~お前ね,車内マナーってのわかってる?あん時周りの人達,ものすんげ~迷惑してたんだぞ?
『あらぁ可愛いカップルねぇ』とかなんとかオバチャン達笑ってたけどな,あれ腹ん中では『ケッ』て
舌打ちしてたよ絶対。目は笑ってなかったもん」
…って,それはただ単にあんたが悔しかっただけだろ!
副長とちゃんが『カップル』て言われて!
いやたしかにオバチャン達も舌打ちしてそうだけどね!
…つーかちゃん腕を放してくんない?
お願い300円あげるから!さっき鯛焼きあげたじゃん!ねっ?
俺の心の悲鳴は届かず,彼女に右腕をつかまれたまま,しかも今度は旦那が俺の左腕を掴んだ。
「それにね,考えてみなさい。ろくに知りもしない人間が自分に寄りかかって来たら嫌でしょ?自分が
人にされて嫌なことは,自分も人にしちゃいけねーんだ。ね,山崎君?」
「まあ…そうかもしれないですけど」
会話に加わるのは嫌だったけれど(だってどっちの味方をしてもしばかれそう),俺は渋々頷いた。
たしかに?自分がされて嫌なことは,自分もするべきじゃないし?うん。
しかしちゃんは全く怯まず,怒鳴り返した。
「土方さんは『ろくに知りもしない人間』じゃないよ!それに,『別に気にすることはねェよ』って
言ってくれてたよ!だいたい…」
そこでちょっと言葉を止め,ちゃんはなぜか顔を赤くして俯いた。
でも数秒も経たない内に,思い切ったように顔をあげて叫んだ。
「だいたい…痴漢されてる女の人が主人公のエッチなDVDを見てる人に,車内マナーがどうのこうの
言われたくない!ね,山崎さん?」
「ああ…それはそうだろうね」
なるほどね,うん。それはそうかもしれない。どうこう言われたくないかもしれない。
痴漢物のDVD見つけちゃったのね,ちゃん。
旦那は痴漢物が好きなのか…へェ。
白髪侍の好みなんかどうだっていいけど,いたいけな少女の目につくとこにそういう卑猥な物を置いて
おくのはいけないと思う。マジで。
「…あれは俺んじゃねーから。あれは長谷川さんのだから」
旦那,人のせいにしたよ。
でもよしんばそのDVDが他の誰かの私物だったとしても,万事屋にあるって時点で旦那が見る(見た)
ってことなんだからさ。
あんまりイイワケになってない気がするんだけど。
「嘘!!長谷川さん,前に言ってたもん。『俺はなァ,AVなんてそんな不潔な物見ねェよ』って!!
長谷川さんは見ないよ!ね,山崎さん?」
「いや…それは嘘だと思うよ」
見ない男も稀にいるかもしれないけどさ。でもそういう野郎は別の卑猥な媒体で解消してるからね。
結局,卑猥な物と無縁な男なんていないからね。
…ていうか論点ずれてない?
ちゃんの「そりゃないよ」な台詞に,旦那は「ハァ!?」と大声をあげた。
「ばっか,お前!そんなの嘘に決まってんだろ!あいつが何本エロDVD持ってると思ってんだよ!
つーかマダオの言うことは信じるのに俺の言うことは信じないわけ!?」
「…」
「な,なんだよ…その目は!」
…あんたウソばっかついてるからな,普段。無理もないんじゃないの。
狼少年も最後には本当に狼来て殺されちゃうからね(いやどんな喩えだよ俺)。
旦那はちゃんの無言の睨みに一瞬たじろいだけど,すぐさま立ち直って説教をたれ始めた。
「そもそも若い娘っ子が電車の中で無防備に眠るんじゃないって話だよ。何されても文句言えない
からね,言っとくけど!ね,山崎君?」
「え…いや…いちいち俺にふらないでくれます?」
もう俺いなくても良いじゃん。
べつに俺いなくても会話成立してるじゃん。
マジで帰らせてよ,ねえ!?
「文句言えるに決まってるでしょ!それに,元はと言えば銀ちゃんと土方さんが2人で大騒ぎし始めた
んでしょ。車内であんな大声で言い合いするなんて,それだって十分マナー違反なんじゃないの!?
同じ車両にいたちっさい子達はきちんと席に座ってたのに…大の大人があんなにはしゃいで恥ずか
しくないの!?ね,山崎さん?」
「いやごめん。いちいち俺にふらないでくれる?」
あー……こんなことなら川原のポメラニアンなんかほっといて帰ればよかった!!
大体にして箱の中に入れられている子犬を川原で拾った少年には悲しい出来事が待ってるんだよ!!
お母さんに「そんな犬捨ててきなさい!」って怒られたり。
クラスのガキ大将に「お前犬臭ェんだよ!」って絡まれたり。
ろくなことねーんだよ,ちくしょォォォォ!!!
俺の(現実逃避気味な)ツッコミをよそに,ちゃんの勢いは止まらない。
「それに…わたしは土方さんの肩に寄りかかっただけだもん!銀ちゃんなんて,銀ちゃんなんて…!」
すうっと息を吸い込み,ちゃんは川原に響き渡る程の声で喚いた。
「月詠ちゃんの胸揉んだくせに!!!」
ぶはっ!!!!
旦那が吐血した(ように見えた)。
ちゃんは怒りやらジェラシーやらで,いつになく目をぎらぎらと尖らせている。
相当痛いところを突かれたのか,旦那は冷や汗を滝のように流し始めた。
「ばっ…だだだ誰に聞いたんだよお前は!!…いや,あれは事故だ。冤罪だ。あれはただのトラブル
であって,決してTo LOVEるじゃねェんだ!そもそも百華の連中は『とうの昔に女を捨てた』とか
なんとか言ってるわりに,どいつもこいつも服装が際どいのが問題なんだよ!」
「どうせわたしはあんな色っぽい格好似合わないもん!だって胸ないもん!そんなトラブル絶対に
起こらないもん!空気かすめて終わりだもん!!」
「こら!女の子がそーゆーこと赤裸々に言うんじゃありません!!」
うーーーむ…やっぱりちゃんは女だ。口喧嘩じゃ男は女に敵わないよな,ホントに。
旦那も相当口が上手いっつーか,口先から生まれてきたっつーか,口喧嘩相当強いけれど。
でも女には負けると思う。
女は皆,生まれながらに二枚舌を堂々と使いこなせるマスターブレードだから(意味不明)。
この世に気の弱い女なんて存在しないんだ,ホント。
「銀ちゃんなんて吉原で栗ご飯でもワカメ酒でもアワビでも食べまくってお腹壊しちゃえ!」
「ちゃんんん!?それ意味わかって言ってる?!絶対わかってないよね!?それかなり
恥ずかしい言葉だから!ほんと少年誌にありえない言葉だから!お母さんに『この意味なに?』
って訊いたら困らせることうけあいな言葉だから!」
おー…カラスが飛んでった。「あほー」だってさ,はは。
…心の底から帰りたい。
俺,こんな所でなにやってんだろう。
からっ風に晒されながら,痴話喧嘩をテーマ曲に,いつ逃亡するかの計算,ね。
…なんでこんなことに。
「銀ちゃんなんか大っキライ!」
あ…やばい。
今のは,やばい。
自分の口の端がひくりとひきつったのがわかる。
おそるおそる言われた張本人の方を見ると――
――無表情だった。
いや,正確には「無」じゃない。
あまりに感情が強過ぎて,メーターが振り切って「0」に戻った…そんな感じの表情だ。
「?世の中にゃァ言って良いことと悪いことがあんのよ,わかる?」
「っ…」
ひどく平坦な声音で,旦那はそう言った。今まで散々怒鳴り散らしていただけに,この淡々とした声は
かえって怖かった。さすがのちゃんも旦那の迫力にびびったらしく,息を呑んで口をつぐんだ。
旦那はそんなびくついているちゃんを見下ろし,静かに言った。
「そんなこと言われたら銀さん,本気で怒るよ?取り消しなさい,今すぐ」
「と,取り消さない。お,怒りたいなら怒れば!」
一瞬黙り込んだちゃんだったけれど,負けず嫌いな性分が頭をもたげたらしい。
どもりながらも,再び旦那を睨み上げた。
「銀ちゃんなんか吉原に住み着けばいいよ!ぴ,ぴったりだよ!銀ちゃんの…す,スケコマシ!」
「なっ」
それは――ほとんど反射だったんだと思う。
売り言葉に買い言葉。
ちゃんの言い方はすごく…すごく良くなかった。
彼女らしからぬ,悪い言葉だった。
だから一概に旦那のその行動を責めることはできない。
旦那はちゃんに向かって平手を振り上げた。
「…っや!」
「!」
けれどもちゃんがギュッと目を閉じて縮こまったのを見て,旦那の手はぴたりと停止した。
――しばしの沈黙。
息がつまるくらいの。
予想していた衝撃がやって来ないからか,ちゃんはうっすらと瞼を開いた。
その目は「反則だろ!」ってくらい潤んでいて,
「なに…な,殴りたいなら,殴ったら!」
な・ぐ・れ・る・かァァァァ!!!
どこの世界に涙目でぷるぷる震えてる子犬を殴れる野郎がいるんだよ!
俺は内心絶叫したけれど,旦那もたぶん同じような心境になったんだと思う。
振り上げていた手を「あー頭痒いなァ」などと呟きつつ,わざとらしく後頭部に引っ込めた。
でもちゃんはますます興奮してしまったらしく,子犬よろしくきゃんきゃん咆えた。
「銀ちゃんのバカ!女たらし!」
「お,お前さっきから何言ってんの!?俺がいつ女たらしになりましたか~?!」
あー…もー…泥沼だな。
つーか当初の喧嘩の原因とは違うことで喧嘩すんじゃねェよ。
せめて発端のが解決してから,次の喧嘩をしろよ。いつまでも終わらねェじゃん。
いい加減,俺も我慢の限界なんだけど。
苛立ちの暗雲(俺の)がたち込める空の下で,2人の言い争いは続く。
「天然小悪魔のにゃ言われたかねェんだよ!お前こそ行く先々で整体師並の的確さで男のツボ
押しまくりやがって本当いい加減にしろよ?俺がどんだけ苦労して虫除けしてると思ってんだよ!」
なんかもう悪口じゃなくね?褒めてるよね?
あと自分の苦労話。つーか愚痴?
俺の心の暗雲は徐々に稲妻を帯び始めた…。
「意味わかんないこと言わないで!銀ちゃんのクルクルパー!グータラ侍!糖分バカ!」
なんかもうただの悪口だよね?子どもの罵りだよね?
かなり的確だけど。子どもだからこそ,か。
ゴロゴロゴロ…
何の音かって?
うん,雷の音。俺の。
「銀ちゃんの嘘吐き!モテないモテない言いながらさっちゃんと結婚しそうになったり,九ちゃんや
お妙ちゃんと合コンしたり,たまちゃんとデートしたりしたくせに!バカバカバーカ!アホー!!」
「もぉウゼェんだよ,テメェらァァァァ!!!」
「きゃあ!」
「ぎゃあああ!」
落雷!!!!!!
(と書いて『サンダガ』と読む!『ギガデイン』でも可!)
俺は靴底で足元の紙袋をぐしゃあっと踏み潰し,虎&ポメラニアンを怒鳴りつけた。
対する2人は悲鳴をあげて後ずさりした。「壁がいきなり喋った!」って感じの目で俺をびくびくと
凝視している…地味キャラなめんなよ。
普段地味な奴ほどなあ,キレると派手なんだよ。わかったかこんにゃろー。
「ちゃん」
「な,なんですか?」
名前を呼ばれて,ちゃんは肩を跳ねさせ返事した。俺が怒鳴ったことがそんなに意外だったのか,
彼女は信じられないものでも見たかのように,目を丸々と見開いている。そのまん丸な目の前で,俺は
ちょいちょいと手招きをした。
「ちょっと面貸して。旦那はそこに待機」
「はい…」
旦那もおとなしく従った。もしかすると彼は「頼むからこの状況をなんとかしてくれ」と思っていた
のかもしれない。いつもだったら,ちゃんが野郎と2人で会話することにあまりいい顔をしない
のに(器小さいな),今は心なしか安堵しているように見える。
ったく…痴話喧嘩の収拾くらい自分でなんとかしてくださいよ。今回だけだからな。
俺は川原をすたすた歩き,旦那が立っている所から離れた。ちゃんも俺の後に続いて,ぱたぱたと
小走りについてくる。
十メートルくらい離れたところで,俺は立ち止まって後ろを振り返った。ちゃんも歩を止めて,
俺をじっと見上げた。
『一体何を言われるんだろう。怒られないといいな』…そんな感じの不安げな目だ。
(まァ…心配しなくても,もう怒るつもりはないけど)
俺は一度深呼吸をして,彼女に話しかけた。
「ねえ,ちゃん」
「なんですか?」
「ちょっと考えてみて。もし…旦那が同じことしたらどう?」
「…え?」
思ってもみない問いだったのか,すぐには質問の意味が頭に入らなかったようだ。
彼女がぱちくりと目を瞬かせるのを見て,俺は重ねてゆっくり言った。
「旦那がちゃんと妙姐さんの間に座って眠ってて,もし妙姐さんの方に寄りかかったら…」
「いや!!」
即答かい。
そうだろうとは思ったけれど。
「…つまりはそういうことだよ。旦那が怒ってんのは」
「!」
北風が冬空から降りてきて,彼女の後れ毛を無造作に揺らした。
ちゃんは髪を片手で押さえながら,ちらっと旦那の方を目だけで見た。
けれどもすぐに俺の方に視線を戻して,
「で,でも…銀ちゃんだって散々,」
「いろいろしたかもしれないけどさ。わざとじゃないんでしょ?」
「そ,そうだけど…わたしだって,わざとじゃないです。それなのに…」
「『どうして自分だけ怒られるのか』って?」
「…はい」
「ちゃんの言ってることは正しいんだよ。けど,正しけりゃ必ずしも納得できるってものでも
ないでしょ,心ってやつは」
「…」
「旦那だって自分がむちゃくちゃ言ってるってことは,わかってんじゃない?わかってるけど怒らず
にはいられないんだよ」
「…どうしてですか?」
すぐには納得しないもん。
丸め込まれないもん。
でも…仲直りしたいな。
そういう気持ちがまるごと詰まった瞳で,ちゃんは俺を見た。
拗ねているような。やさぐれているような。でも…助けを求めているような。
ものすごくややこしいんだけど,なんだか可愛い眼差しだった。
俺はひどく優しい気持ちになって,いつも自分の気持ちに正直な彼女に笑いかけた。
「それは,さっきちゃんが『いや!』って即答したのと同じ理由」
「!」
「少しだけ…大人になってあげなよ。ガキな男の言いがかりをいなすのは,大人の女にしかできないよ」
「…」
このコは…周りの人間が思っているよりも,たぶん大人だから。
子どもなところもあるけれど,少し大人だから。
素直でいることは幼い子の特権のように思われがちだけど,ちゃんくらいの年齢になっても素直で
あり続けることは…勇気のいることだから。
彼女は子どもだけれど大人だ――ちいさなおとな。
ちゃんはしばらく俯いていたけれど,静かに顔をあげた。
俺の方を見て,旦那の方を見て…再び俺を見た。その様子が小動物みたいで,思わず笑ってしまった。
笑われたことにちゃんは顔を赤く染めて,頭をぶんぶんと横に振った。
そしてなにかを決意したように力強く頷くと,元いた場所へ――旦那のところに走った。
(やれやれ……って!!)
あろうことか,小さな手にぐいぐい引っ張られ俺も一緒に走るはめになった。
なんで俺の袖を掴むの!?
怖いのかひょっとして!!
旦那と2人で話すのが怖いのか!
前言撤回。このコはやっぱりまだ子どもかも!
「…銀ちゃん」
再び元の位置に戻って(俺はいない方が良いと思うんだけど)。
ちゃんは旦那の前に立った。
立ったは良いんだけど…足元に視線を落として,もじもじと自信なさげに手をいじっている。
旦那は旦那で,その様子を黙って見下ろしている。
「あの…あれは無意識のことだったから。やっぱり謝りようがないと思うんだけど…」
「…」
「でも,もう電車の中では眠らないようにするから」
「…」
「えっと…『大キライ』なんて,ウソなの。全然違うの」
そこで一旦言葉を止めて,ちゃんは顔を上げた。
まっすぐに旦那の目を見て,ほんの少しだけ頭を傾けて。
「ごめんね…もう怒らないで?」
「…」
きゅん。
(…って何の音だよ,今の)
旦那がふいっと目をそらして口元を押さえたのを見て,俺は苦笑してしまった。
うーむ…すごい。
こういう風に謝られて,怒り続けることができる男はこの世にいないと思う。
駄菓子菓子。
…いやもういいよこの変換ミス。だがしかし,
「…あ」
旦那は黙り込んだまま歩道に向かって川原をすたすたと上りだした。
俺とちゃんは,離れていく旦那の後ろ姿を呆然として見上げていた。
(まさか。あんなにいじらしく謝られてもまだ許さないの!?)
だとしたら最悪なんですけど!
あいつ何様だって感じなんですけど!
隣でものすごく不安そうにしているちゃんを見て,俺の中に旦那への憤りがふつふつと湧き出す。
旦那はひとりスクーターに跨ると,こっちを見て――
――へらっと緊張感のない顔で笑った。
「…なにやってんのー?早く来なさい」
濃いピンクのヘルメット(ガチャピ◆のステッカー付)をくるくる回しながら,旦那はちゃんを
呼んだ。
「!」
途端にちゃんの顔がぱあっと明るくなった。
今泣いたカラスがなんとやら。
(旦那…すみませんでした)
一瞬だけ「お前なんか地獄の業火に焼かれながらそれでも天国に憧れてろハゲ」って思いました。
でも俺の誤解でした。すみません。ごめんなさい。
(あーよかった…)
ホッとして息をついているとちゃんは俺の方を見たので,にっこり笑ってあげた。
「行きなよ」
「…うん」
ちゃんは小さく頷いて,俺に向って手を合わせた。
それからちょこんと頭を傾けて(どうやら癖らしい),
「迷惑かけてごめんなさい,山崎さん」
「いえいえ」
「あと…ありがとう」
「…いーえ」
「ふふっ」
今日初めて――ちゃんは何の憂いもなく笑った。
ぺこりと俺にお辞儀をすると,着物の袖を翻して川原を駆け上って行った。
それを出迎えた旦那は,彼女にヘルメットをつけてあげながら顔をしかめた。
「つーかさ,お前なんでマフラー巻いてねェの?こんなに寒ィのに」
「だって…朝は寒くなかったんだもの」
「しょうがねェなァ」
「!」
旦那は自分の赤いマフラーを取ると,それをちゃんの首にぐるぐる巻きつけた。
これは…あくまで『たぶん』だけれど。
たぶん,さっき喧嘩している間も実は気になってたんじゃないかなァ,って。
寒くはないか,ずっとちゃんを心配してたんじゃないかなって。なんとなく思った。
『たぶん』だし『なんとなく』だし。
不確定極まりないけどね。
「…あったかい」
「そりゃそうだ。なんたって『銀さん体温』だから」
「うん」
ちゃんは嬉しそうに笑って「ありがとう」と旦那に言った。
2人はスクーターに乗って,そろってこっちに顔を向けた。エンジン音が響く中,
「山崎さん,今日はごめんなさい!またね!」
「うん。またね」
「多串君にくれぐれもよろしくな。簡潔に『死ね』って」
「…はいはい」
俺に向って手を振るちゃんに,同じように手を振り返す。
冬の風にエンジンを吹かして,2人の乗ったスクーターはのんびりと走り去っていった。
(やれやれ…)
俺は小さく笑って,鼻の下をこすった。
痴話喧嘩の仲裁なんて金輪際したくないけど…でも良かった。
――あの2人が,仲直りしてくれて。
「あーーー…」
俺は清々しい気持ちで伸びをして,足元に目を落とした――が。
「…げ」
ぐしゃぐしゃに潰れた紙袋が目に入り,テンションは一気に氷点下に落ちた。
袋の口からは…餡子のはみ出た可哀想な鯛焼きがちらりと見えている。
「かっ…」
帰りたくない…!!!!!
つい数分前までは,あれほど「帰りたい」と願っていたというのに。
屯所に待ち構えているであろう災厄を思うと,このままどっか旅に出てしまいたくなった。
ああ…やっぱり。
子犬を川原で拾った少年には――悲しい出来事が待っている。
俺の平穏をここまで乱したのだから…
俺に危害をここまで与えたのだから…
「もう2度と喧嘩すんじゃねェぞ!!あのバカップルが!!!!」
寒空の下,涙まじりの怒鳴り声が高らかに川原に響き渡った――。
――銀ちゃん銀ちゃん。
――ん~?
――ごめんね。
――え?なんだって?
――ごめんね!………ごめんね,大好き。
――ん?なに?最後の方よく聞こえなかったんだけど?
――…なんでもない!!
――……いだだだだ!あばら折れる!
2010/02/14 up...
土方さんには敬語,沖田君にはタメ語,山崎には敬語とタメ語がまざった感じ。