黙ったままのの手を引いて歩き回った結果,気が付けば雀の籠が置いてある部屋の前にいた。
特に意識したつもりはなかったが,ひょっとすると心の底では気になっていたのかもしれない。
土方はその部屋の襖を開き,と共に中へ入った。その途端部屋に西日が差し込み,2人の影が畳
に映った。急に現われた人影に驚いたのか,雀は警戒心溢れる声で鋭く鳴いた。
後ろを振り返ると,は不安げな眼差しで土方を見上げていた。溜息をひとつついて,土方は畳の
上を顎でさした。
「…そこに座れ」
「え…はい」
戸惑いながらもは言われた通りそこに正座し,土方もその正面にあぐらをかいた。
こちらの不機嫌さがひしひしと伝わるのか,は体を強張らせている。
「…お前な,」
なにを言おうかしばし逡巡し,一番気になったことを一番最初に言うべきだと判断した。が,しかし,
「虫くらいで騒ぐな。別にとって食われるわけじゃねーだろうが」
本心とは少しだけ外れた言い方を土方は選んだ。
正確には『虫に騒いで沖田のドS心に火をつけるな』なのだが,それを口にすることは憚られた。
は土方の説教にしゅんと俯いた。
「で,でも…怖いんです…虫」
「…あのなァ。考えてもみろ」
こいつは――全然わかっていない。
すぐ横に置いてあるテーブルの表面を,土方は指先で叩いた。
「虫よりも人間の男の方が怖ェだろうが。とって食われるかもしれねーんだから」
虫なんて所詮は自分たち人間よりもずっと小さき生き物なのだ。
その気になればすぐにでも潰せるだろう。
そんな一寸の虫だか五分の魂だかの生き物より,女が追いかけられているのを見て和んだり,隙あらば
手を握ってきたりする人間の男共の方が余程『怖い』存在だろう。
土方から言わせれば,「幼虫を放り出すより,沖田の手をさっさと放り出すべきだった」である。
しかしはしどろもどろに口を開いた。
「でも…沖田さんは…ふざけて『食べたい』って,言ってただけで,」
「そういう意味じゃねェ!!」
「…ひっ!」
(なに寝呆けたこと言ってんだ,こいつは!)
確かに沖田はの手を「食べたい」とほざいていたが,今自分が言っているのはそういう意味の
「食う」ではなくて…もっと…あれだ。ある意味もっと重大な「食う」の方だというのに。
土方の大声にはびくっと身をすくませ,きょときょとと目を瞬かせた。
その仕草を見て「ハムスターかお前は」とつっこみたくなる。
どうやらこの女にはもっと直球で言わないと駄目のようだ。
「…」
「は,はい?」
土方は腕組みをしてフンッと鼻を鳴らした。
「総悟に構われてへらへらしてんじゃねーよ」
しまった,直球過ぎた…と思ったところでもう遅く,土方は反射的に自分の口元を押さえた。
でもはその直球さえも,微妙にずれた受け止め方をしたようだ。珍しくムッとした様子で口を
微かに尖らせた。
「へ,へらへらなんて…!」
膝の上に乗せていた手をぎゅっと握り締め,さながらファイティングポーズのように小さく構えた。
「へらへらなんて…してません」
「してただろーが」
「してません!」
「いーやしてた」
「してません!!」
「してただろーが!嫌がりながらも喜んでただろーが!!」
「『嫌がりながら喜ぶ』ってどんな状態ですか!?そんな器用なことできません!わたしは本当に
虫が苦手なんです!大っ嫌いなんです!あの目付きといい,あの感触といい,手足の曲がり具合と
いい…考えただけで眩暈がします!なのにあんな風に毎日毎日虫で脅かされて…喜べる訳がない
でしょう!!」
「なっ…」
思いもかけぬ反論の乱れ打ちに,土方は面食らって唾を飲み込んだ。
いつものおっとりした口調はどこへやら,の口から怒涛の勢いで言葉が連射された。
これがまさに『普段おとなしい奴ほどキれると怖い』ということなのか。
けれども慣れないことをして早くも疲れたのか,興奮して息がきれたのか,くったりとは肩を落と
した。そのまま少しの間沈黙し,彼女は再び口を開いた。
「土方さん…最近変ですよ」
「!」
の言葉にぎくりとしたが,平静を装って土方は聞き返した。
「あ?俺のどこが変なんだよ?」
「最近…冷たいです」
呟かれる科白に悪意とか怒気といったものは感じられなかった。その代わりに,悲しさや寂しさと
いった類の感情が過分に含まれている気がした。それが余計に罪悪感を煽った。
堪らなくなって,土方はから視線を避けた。
「冷たくねェよ」
「うそ。冷たいです」
「…冷たくねェ」
目を逸らしたまま言い張ると,はずいっとこちらに身を乗り出してきた。
「土方さん,わたしの目を,まっすぐ見てください」
「…は?」
「見てください」
「…」
澄んだ双眸に真正面から射抜かれ,胸の中心が強く波打った。
黒い球体の内側へ吸い込まれていくような錯覚を覚える。
――酔ってしまいそうだ。
雀が籠の中でがさごそと動く音だけが,静まり返った部屋に響く。
のあまりに直線的な視線に耐えられず,土方はさっと目を伏せた。
「ほら…目をそらした」
やっぱり冷たいです…と彼女は呟くが,
「いや…そりゃ…そんなにじっと見られりゃ…」
そんな目で女に見つめられれば,男なら誰だって動揺するだろう。
内気で奥手なくせに変なところで鈍感な女だ。
障子の向こうから忍び込む陽光が彼女を照らし,日の当たらない側の肌を暗くぼやかす。
は苦しげに瞼を歪め,震える唇で言葉を絞り出した。
「わたし…何か…」
――何か…しましたか。
陸に打ち上げられた魚は,こういう声を出すのかもしれない。
酸素不足の喉から発せられたそれはとても聞き取りづらく,そして――痛い。
聞いていることが,ひどく痛い。
組んでいた腕を解き,土方は自身の額を片手で力なく押さえた。
「…お前は悪くねェ」
「でも,」
「お前は悪くねェ。俺個人の問題だ」
「…」
土方が強く言い切ると,は唇を噛んで再び俯いた。
‘あの時’と同じ目をしている。
弱りきった雀を,睨むほどに強い視線で見つめていた――悲しみを我慢していたあの時と。
どうしてこうも…傷付けてしまうのだろう。
傷付けたいわけでは無いのに。
どうして――
誰かを大切に思うことが,その誰かを傷付けることに繋がってしまうのだろう。
痛み以外,わかり合えない気がした。
大事なことをまだ何一つ伝えていないというのに。
「俺は――」
………!………!!
「ひゃ!」
「ぅお!」
突然。
雀がけたたましい鳴き声をあげた。
それは何かを訴えかけるかのような激しいものであり,転んで怪我をした子供が上げる嗚咽まじりの
悲鳴によく似ていた。
雀がこんなにも鬼気迫る声で鳴くことがあるとは思わなかった。
その小さな体の一体どこにそんな声を隠し持っていたのだろう。
は心底驚いたらしく,目を白黒させている。
「ど,どうしたんでしょうか?」
「…さ,さァな?」
土方も同じようなもので,驚きに胸を押さえ雀に注目した。数秒後,はスッと立ち上がると,早足で
鳥籠の方へ移動した。籠の前にしゃがみこみ,
「ねえ,どうしたの?」
止まり木にとまっている小さな鳥に話しかけた。土方もそっちに歩み寄り,籠の中を覗き込んだ。
栗色の丸っこい体をぷるぷる動かし,雀は葡萄色の目でこちらを見つめている。
見ようによっては何か言いたそうな表情にも見えた。
「…言ってくれなきゃわからないよ」
「雀が話すわけねーだろうが」
「そ,そうですね…」
自分でもおかしいと思ったのか,は即座に肯定して苦笑した。
無論雀が何か言葉を喋り出す気配などありはしなかったが,先程から真剣な眼差しでじっとこちらを
見上げている。
意外にも精悍な表情をしているということに気付き,やはり野生の鳥なのだなとある意味感心した。
(『言ってくれなきゃわからない』か…)
が雀に向けて言った科白を,土方は胸の内で反芻した。
(…言えるわけねーだろ)
自分でも情けないと思う息苦しい感情を,彼女に言うことなどできるわけがない。
そんなことはプライドがゆるさないし,そもそもその感情を正確に言葉に変換できるとは思えない。
言葉は…すべてを伝えやしないのだ。いつだってそうだ。
「」
「はい?」
「手ェ見せろ」
「…え?…なぜですか?」
「いいから。こっちに手ェ開け」
「…??」
は腑に落ちない顔をしながらも右の手のひらをこちらに向けて開いた。
何か特別な意図があって言ったわけでは無かった。ただ先程沖田が言っていたことが気になった。
――嬢の手,ちっせェな――
「…本当に小せェな」
今まで気が付かなかったが,の手は大人の手とは思えないくらい小さかった。
どうにも好奇心がうずき,土方は自分も手を開いてのそれと合わせてみた。比べてみるとの
指は土方の指の第二関節くらいまでしかない。赤ん坊の手というか…もみじのようだ。赤いインクを
つけて手形を押したなら,紅葉のスタンプになりそうだ。
「お前,こんなに小せェ手で包丁握れんのか?」
「に,握れますよ」
「…ここまで小せェと心配になるな」
心の赴くまま――指を絡める形でその手を握り締める。
土方がほんの少し力を込めただけで,すぐにも潰れてしまいそうだ。
自分は…こんなにも小さな手の持ち主を,ひどく傷付けていたのだ。
それを思うと,圧倒的な後悔が胸を重く曇らせた。
「あ,あの…土方さん?」
たじろいだの声が耳に入ってくる。
急に手を握られ驚いているのだろうが,嫌がってはいないようだ。
こちらの手を握り返してくることはないが,かといって振りほどこうとする動きもない。
小さな手のひらから,とくんとくんと規則的な脈音が伝わってくるのを,土方は心地よく感じた。
「俺はただ…心配なんだよ」
「…?」
「…」
他の野郎がこいつを壊してしまうのではないか。
他の野郎にこいつが傷付けられてしまうのではないか。
こいつが…他の野郎の手で汚されてしまうのではないか。
「心配してんだ…お前を」
ああ嘘をついているな,と。
とんだ綺麗事をほざいているな,と。
言葉が口から溢れる最中に気付く――自分は嘘をついている。
自分が心配しているのは,こいつのことではない…自分のことだ。
「あんまり…他の野郎を喜ばせるな」
他の野郎がこいつの良さに気付くのではないか。
他の野郎にこいつが奪われてしまうのではないか。
こいつが…他の野郎のもとへ行ってしまうのではないか。
呆れる程に己の心配ばかりだ。
「俺が言いたいのはそれだけだ」
「…」
春光にぬくめられた部屋に沈黙が落ちる。
雀に与えた雑穀の匂いと,畳の匂いとが1つになって穏やかな空気をつくりあげる。
はじっと口をつぐんだまま土方の言葉を聞いていたが――
「!」
――きゅっとその手を握り返してくれた。
土方が目を見開いてそれを見つめると,は照れくさそうにはにかんだ。
体の中心を灼いていた焦燥感が,嘘のように消えていく。
「やっぱり…俺が言いたいのは『それだけ』じゃねェ」
そう言って手を引き寄せると,華奢な体は何の抵抗もなく土方の腕に収まった。
その柔らかな体温をまとった彼女は,瞼を下ろして身を預けてくる。
手のひらと同じく小さな彼女の耳に向って――土方は今度こそ『言いたいこと』を告げた。
++++++++++++++++++++
……~♪…~♪
真っ青な晴天の下,透き通ったメロディが飛翔する。
庭の真ん中に佇むと,その足元に置かれた鳥籠のもとへ,土方は足早に歩み寄った。
「悪ィ。待たせたな」
声をかけると,溶けていくように鼻歌が消える。は土方の方を振り返り,
「…いいえ」
白い歯並びを見せて笑う。小動物を思わせる笑顔に,土方の顔も自然とほころんだ。の頭にそっと
手を置きながら,
「どんな様子だ?」
と土方が問えば,
「元気ですよ。でも…なんとなく,感じ取っているのかも。少し,そわそわしています」
は籠に視線を移し,眩しげに目を細めた。
「お前,あまり寂しくなさそうだな」
てっきり泣くんじゃないかと思っていた,と言うとは一瞬目を開き,静かに笑んだ。
「正直…寂しいです。でも…これが,一番幸せだから」
は遠い日々を懐かしむ時のような表情をしている。
少し照れくさそうで,少し嬉しそうで,少しだけ…切なそうだ。
けれども『今が幸せであること』を感じさせる微笑だ。
「ああ…そうだな」
籠に目をやると,雀はどこか落ち着きない様子で止まり木を行ったり来たりしていた。の言う通り,
うすうす勘づいているのかもしれない。
これから起こることを。
――別れの時を。
「じゃあ…開けますね」
「おう」
はゆっくりとした手付きで――けれども躊躇することはなく――籠の扉を開けた。
……。
『何が起こったのかわからない』
最初雀はそういう表情をしていた。
何も遮るものの無くなった出口を,不思議そうな瞳で見つめていた。しかし,
「行って」
穏やかな追い風を思わせる声で,が促す。
こすずめは,その優しい声の主を見上げた。
「さよなら。元気で」
瞬間――小さな風が舞い上がった。
「あっ」
「!」
瞬く間に籠から飛び出していった。
雀は塀の上に止まると,数秒の間こちらをじっと見つめていた。
……!
そして最後に一声だけ短く鳴くと,すぐに空上の存在となった。
後には果てることのない青の世界が残された。
「…行っちゃいましたね」
「…そうだな」
同じ空を,同じ感情で――共に見上げる。
銀色の風が吹いてきて,2人の髪を爽やかに煽った。
「」
「…はい?」
空っぽになった籠の上に置かれたの手に,土方は自身の手をそっと重ねた。
こちらを見つめる彼女の視線に気付きながらも,空を見上げたまま土方は言った。
「お前は飛んでいくなよ」
――ここにいろよ。
「飛んでいきますよ…土方さんと,一緒なら」
――どこまでも。
空色の香りが鼻歌のようにのんびりと流れていった。
「…なに赤くなってんだよ」
「だって…照れちゃって」
「言われた方はもっと照れるだろーが」
「ごめんなさい…」
「いや謝ることでもねーんだけど」
2人して頬を赤らめているのだから世話がない。
それをさもひやかすかのように,軽快な雀の鳴き声がどこからか聞こえてきた。
あれは…あの声は――ひょっとしたら。
春空の上は風が強いのだろうか。散らばるように雲が流れて,あらゆる形に姿を変えていく。
ふんわりと温かいその小さな手を,土方は強く握り締める。
優しい時間は 霞んだ空の波間を ただ穏やかに移ろっていった。
雀の子の さえずりと 共に。
---------------------------- fin.
2009/04/09 up...
うみ様へ。
1万打リクエスト『土方さんが主と仲良くしている誰かを嫉妬している感じ』です。
初のリク夢なので内心ドキドキしています…お気に召すと良いのですが。
うみ様,どうぞお受けとりください!親愛と感謝を込めて,プレゼント致します。(by RICO)