「土方さんも言ってたけど,旦那には頼んだのかィ?」

さっき<銀ちゃんなんか>と言ってたことが気にかかって,俺はまずそれを訊いた。
すると,嬢はちょっと口を尖らせてぶちぶちと言葉を零した。

「…銀ちゃん,すごく心配性なんだもん」

すごく,のところを強調して嬢は言った。
「『ねんねが何言ってんの』とか『竹刀ダコができたらどーすんだ』とか」
「まあ…旦那は過保護だからねィ(嬢には)」
「過保護にも限度ってものがあるの!『危ないから』って原付の後ろにも乗せてくれないんだよ!
 神楽ちゃんは乗せるくせに…前は天人の女の人乗せてたし!」
「あ~それ俺も見たかも」
「でしょ!『あの人は風にならないと死んじゃう可哀想な人なんだ』って意味わかんない!!」
嬢は自分が持って来た大福をがぶっとかじって(ってなんでこのタイミングで食べるんだよ),
もぐもぐと口を動かしながら,ぐっと語調を強めた。
「わたしね,強くなりたいの。そしたらもっと銀ちゃんと一緒にいろんなところに行けると思うの。
 戦えるようになったら,どこまでもついていけるでしょ?」
「ふーん…」
言ってることはめちゃくちゃ健気だ。
けど口の周りについた大福の粉のせいで,『健気な』というより『面白い』姿になっている。
でもその分なんつーか…こいつにとっては「普通のことなんだな」て思った。
「銀ちゃんについていきたいから強くなりたい」ってことが,こいつにとっては普通なんだなって。
そんなの気取って言うようなことじゃない,構えて言うようなことじゃない,ってことなんだろう。
やっぱり――健気な奴だ。『いじらしい』っつーか。
「…なるほどねィ」
俺は嬢から目を離して,開け放った障子の方を見た。
ほんの少しだけ雨の残り香を含んだ風が,そよそよと部屋に流れ込んでくる。

「…待ってんのは嫌かィ?」
「え?」

唐突に――姉上のことを思った。
俺が江戸に行くってことを嬉々として告げた時,姉上は一緒になって喜んでくれたけど。
本当に喜んでくれていたのか。あれは本当の笑顔だったのか。
置いていかれること,待ち続けることを我慢した末の表情だったんじゃねェか,て。
…今更そんなこと考えたって意味ねーけど。

「嫌じゃないよ!」
「!」

暗い思考の中を,高く鮮やかな声が駆け抜けていった。
驚いて声の方を見ると,嬢の澄んだ瞳の中に情けない表情の俺が映っていた。

「大切な人を待つのは苦痛なんかじゃないよ」

こいつは――気付いている。
俺がさっき姉上のことを思い出したってことに。

「幸せなことだよ」

そう言って嬢はいつものように笑った。
いつもの緊張感皆無ののほほんとした笑顔だ。
「…そーかィ」
「うん!」
普段はボケてるくせに妙なとこだけ勘が良いよな,こいつ。
ひょっとするとすっげー頭が良いんじゃねェかって思う。
(…ったく)

――俺ホントにこいつが苦手かも。

「で?待つのは嫌じゃねーんだけど,ついてはいきたいって?」
くすぐってェ気持ちをごまかしたかったから,俺はわざと皮肉げな言い方をした。
すると,嬢は口をへの字に曲げて言った。
「だってね,銀ちゃんの周りの女のコ達って皆強いんだよ。お妙さんも神楽ちゃんも…さっちゃんも
 月詠ちゃんも。皆強いの」
「ははァ…なるほど」
「そんなの悔しい。ずるい」
つまり,一丁前に嫉妬してるってわけかィ。こいつも女だねィ…当たり前か。
土方さんが聞いたら動揺しまくるだろうな。
あいつは嬢にはまだ大人になって欲しくねーみてェだからな。
俺はすっかり冷えちまった茶をすすりながら,
「お前が強くなっても旦那はお前を戦いにつれていかねーと思うけど」
「どうして?」
「俺ならつれていかねーから」
とんっと湯呑をテーブルに置いて,熱のない茶の水面を見下ろした。
そして,不思議そうに目を丸くする嬢を,俺は真直ぐに見た。

「お前は人を斬れるかィ?」
「!」

小さな体がびくっと震えて,表情がきつく強張った。
怖がらせてェわけじゃねェし,言葉を止めてやりてェのはやまやまだけど…
…誰かが言わなきゃなんねェことだろ。
「人を殺せるか?」
とどのつまり剣を習うってのは,そういうことだ。
戦いについていくってのは,そういうことだ。
自分が死なねェために,誰かを死なせねェために,目の前の敵を殺さなくちゃならねェ。
「迷った奴から死んでいくんだ」
優しい奴から死んでいくんだ。
こいつは――きっと生き残れない。

「人斬る度胸も,命背負う覚悟も無ェくせに『剣を習いたい』なんて,笑わせらァ」

ちっとも笑えねェや。
こいつが人を斬るとこなんて。こいつが返り血浴びるとこなんて。
全然笑えねェんだよ。

「…ごめんなさい」

聞き取れるか聞き取れないか,ひどく小さな声で嬢は謝ってきた。
「軽々しいこと言っちゃって…ごめんなさい」
俯いた顔は後悔と反省の色で染まっていて,どうやらめちゃくちゃ堪えたようだ。
自分の発言を恥じてんのか,なかなか顔をあげようとしねェ。
…別にここまで落ち込まねェでもいいんだけどな。
なんか俺が苛めたみてェじゃねーか(だからドSは自分の思惑外で泣かれんのには弱いんだって)。
「わかりゃ良いんでィ」
「…うん」
「…」
目の前で しょんぼり項垂れ ポメラニアン(五・七・五)。
「…っだぁぁぁぁぁ!!!」
「ええっ!?」
こっちが『良い』って言ってんのにいつまでも沈んでっから思わず叫んじまった。
嬢は俺の叫び声に心底びっくりしたらしく,即座に顔を上げた。
「いいか!わかりゃいいんだ!わかりゃいいんだから,いちいち落ち込むんじゃねェ!」
「はっ…はい!!」
俺が早口でまくし立てると,犬コロは目を白黒させながらも勢いよく頷いた。
「はー…」
なんか一気に疲れちまった。俺は深く溜息をつきながら,ごろんと横になった。
そうすると畳についている嬢の白い手が視界に入ってきた。
「総悟君?」
寝転がったまま,その手をとってぼんやり眺めてみた。嬢の戸惑った声が降って来るけど,
ここはちょっと無視。

「…頼りねー手だねィ」

人を殺める手じゃねェや。
ちっさくて。柔らかくて。あったかくて。

「刀は似合わねェ。でも…そーだねィ。もじゃもじゃの銀髪を撫でるのにはお似合いかもな」
「総悟君…」

刀を持っちゃいけねェ手だ。
血にまみれちゃいけねェ手だ。
大切に育てられた者の手だ。

「ありがとう,総悟君」
「!」

横目で見上げると,嬢のはにかんだ表情が目に映った。
『銀髪を撫でるのには似合う』って言われたことが嬉しいのか,頬が少し赤くなっている。
綻んだ口の隙間から小せェ歯並びが見えて,えくぼが片頬にだけちょこんとできている。
笑ったことで少しだけ細くなった目はきらきらしてて。
「守ってやりてェなぁ」って思わせる笑顔っつーか。庇護欲が湧くっつーか。
…ポメラニアンを愛でる奴らの気持ちがちょっとわかった。

「はいるかァァァ!!」
「ひゃっ!」
「!」

屯所中に響いたんじゃねェかってくらいの大声が,突如鼓膜を振るわせた。しかも,
「あ!」
「ぅお!?」
その声に驚いた嬢が,なにをどう間違ったのか寝転がってる俺の上に倒れこんで来た。
なんなんだこの学園ラブコメみてェな展開は。
それになんか嬢から大福の甘い匂いがするし(色気ねェな)。
「ごっごめんね!」
「いや…」
「今の声…銀ちゃん?」
「どうでもいいけど重い」
本当はむしろ軽ィんだけど,わざとそう言ってやった。すると案の定嬢は目を尖らせて,
「むっ!そんなことないもん!普通くらいだもん!」
「いいからさっさとどきなせェ」
じゃねェと…学園ラブコメが血みどろのバトル漫画になっちまうだろィ。
「言われなくても!」
嬢は頬を膨らませて俺の上からすぐさまどいた。そしてそのかっきり3秒後に,

「!」

たぶんこいつも大福の甘い匂いがすんだろうなァ,な侍が客間に登場した。
(…ぎりぎりセーフ)
どうやら血みどろのバトル漫画になるのは避けられたらしい。



+++++++++++++++++++++++++++++++



旦那が屯所まで嬢を迎えに来て数分後,今度はズタボロの近藤さんに肩を貸した土方さんが
帰ってきた。
そん時に結局バトル漫画が始まっちまったけど,それに俺ァ関係無ェからいいや。
嬢の「2人共うるさい」という鶴の一声ですぐにおとなしくなったし。
そんでもって今嬢は庭の真ん中で土方さんと話しこんでて,俺と旦那はそれを見ながら縁側に
座っている。

「なァ旦那」
「あ゛?」

不機嫌さを隠そうともせず,旦那は苛々と返事した。その目は庭にいるポメラニアンと狼に釘付けだ。
本当なら今すぐ邪魔したいんだろうけど,「土方さんとお話ししたいの。銀ちゃん向こうに行ってて」
と,にべもなく言われ…おとなしく2人を遠巻きに見ている。
たぶん嬢は土方さんに「剣術習うのやめました」的な報告をしてるんだろーけど。
(…剣術なんか習わねェでも十分強いんじゃね,あいつ?)
そんなことを考えながら,俺は旦那に向かってにやりと笑った。

「俺と嬢,結構似合ってると思いやせん?」
「はァ?」

不機嫌に不可解を上乗せした声で,旦那は眉間に皺を寄せる。それには構わず俺は続けた。
「ビジュアル的にも年齢的にも」
「全っ然」
旦那は「ハッ」と鼻で笑い飛ばすと,板敷にごろんと寝転がった。
「ビジュアル的に似合う?馬鹿ですか,君は。今流行りの『身長差萌え』を知らねェの?ああいう
 ちっこい彼女と,でっかい彼氏のカップルが世間の萌えを誘うんだっつの」
「そんな爛れた流行知りやせんよ」
俺が半眼でつっこみをいれても,旦那は全く聞いちゃいねー。
片肘ついて転がって鼻をほじっている(飛ばさねーでくだせェよ,ハナを)。
「年齢的に似合う?面白くねー冗談はやめてくんない?彼氏が1・2歳年上のカップルなんて普通
 過ぎて誰の目もひかねェよ。多少年が離れてる方が洒落てんだよ,うん」
ま,たしかに芸能人でも年の差カップルは多いけど。
俺はふと思いついて,
「あーそうですかィ。んじゃビジュアル的にも年齢的にも土方さんは条件満たしてんなァ」
「ニコ中野郎はキューピー人形とマヨネーズの海で仲良く泳いでやがれ」
かなり正しいことを言ったっつーのに,旦那は理不尽極まりなくばっさり斬ってくれやがった。
なんとかこの白髪侍を凹ませてやりてェな(ドSスイッチ入った)。
俺は真っ黒な笑いを浮かべた。

「そういえば俺,嬢に抱きつかれましたよ」
「んな!?」

旦那は片手にのせていた頬をずるっと滑らせた。危うく頭を床にぶつける寸前でふみとどまって,
「さては…てめっ!無理矢理か!」
即座に掴みかかろうとしてきたんで,俺はさっとそれを避けた。
「違いやすって。嬢の自発的な意思でさァ」
「なっ!!」
旦那の顔がみるみる間に青くなった…ぱくぱく金魚みてェに口を開け閉めして面白ェ。
「上に乗られちまって。うぶな顔して案外積極的ですねィ」
「なななっ…!」
俺は間違ったことは言ってねェ。
ちゃんと真実を伝えている。嘘は言ってねェ。
「なんでそんな羨まし,じゃねーや,そんないやらしい展開に!?」
羨ましいのか,やっぱり。そうだろうとは思ったけど。
嬢の性格からして自分から抱きついたりはしなさそうだし。
…でもきっと旦那は抱きついてんだろうな。なんか適当に理由つけて。

「しかもとんでもなく可愛いらしい顔で『ありがとう』と言われやした。眼福でさァ」
「なななな」

うん。あれは本当に可愛らしい笑顔だった。
あれを思い出せばしばらくの間和んで暮らせそうだ。
逆に旦那はそれを聞いてぎりぎりと歯軋りをして,

「さっさと帰るぞ,!!」

泡を飛ばさんばかりの勢いで,庭にいる犬コロを呼んだ。
呼ばれたポメラニアンはきょとんとした表情で「ん?」と振り返った。
「え?でもまだ土方さんとお話しして,」
「そんな話は家でマヨネーズに向ってすればいいだろ」
「おい。なんで俺の存在の代わりがマヨネーズなんだよ。どういう意味だ」
「そういう意味だ」
「んだとォ…!」
「んだよォ…」
再び不毛な言い争いが始まりそうになった時,嬢が「うーん…」と唸って,

「銀ちゃん,帰ろ」
「!」

きゅっと旦那の服の裾を掴んだ。
あれ,結構キくんだよなァ…きゅってやつ。なんだあいつ。天然小悪魔か。
「おう!」
旦那も途端に機嫌よくなってるし。なんだこいつら。超うぜェ(←素)。
「それじゃまたね!土方さん,総悟君!」
「おお。またな」
「またな~」
「いやもう2度と来ねェから。来させねェから」
「何度でも行くもん。絶対行くもん」
「…なんでそう聞き分けが悪ィのよ,お前は」
見送る必要は全く無ェんだけど,土方さんと俺は門のとこまで2人にすたすたついていった。
(あれ?原付で来たのか,旦那)
門の横に停められた原付が目に入ったのは,俺だけじゃなくて。
「銀ちゃん,原付で来たの?」
「ん。お前ェ後ろな」
「…乗っていいの?」
「そ。大人への第一歩だ」
「…」
旦那にそう言われて嬢は嬉しそうに微笑んだ。そんで,
「ん~?なに,」
「ううん」
爪先立ちして旦那の銀髪をふわふわと撫でた。
(…あ)

――もじゃもじゃの銀髪を撫でるのにはお似合いかもな

「,俺の髪好き?」
「うん。好き」
「…そ」

ちっさな手のひらが銀色をゆっくり往復する。
嬢はちらっと俺の方を見た。
(似合う?)
ぱちぱちと瞬きをして,2つの目がそう問いかけてきたので,
(あー似合う似合う)
俺が目で頷くと,嬢はにこっと笑った。
「屈んであげよっか~?ちゃん」
「ううん。もーいい」
「…」
地味に傷ついた旦那を置いて,嬢は原付の後ろに座った。
なんかあの2人の周囲だけ空気が桃色に見えんだけど。
「…土方さん。もーいいんじゃねェですか?」
「…そだな」
すっかり見せつけられて凹んでる土方さんの肩を叩き,お2人さんに背を向けて俺は門をくぐった。

「…やっぱそっちのがお似合いだねィ,嬢」

梅雨の晴れ間の空を見上げて,俺はこっそり笑った。
できたら明日も晴れりゃあいいなって。
そんなことを思った。



――ほらよ,ヘルメット。桃色で超プリチーだろ。
――わあっ本当に可愛い!ありがとう,銀ちゃん!
――…っ。
――…なに?
――なぁ…ひょっとして今の顔で沖田君にお礼言ったの?
――…さあ?たぶん?
――もうお前,俺以外にお礼言うの禁止な。
――ええっ!?


2009/06/14 up...
年の離れたお兄ちゃんが土方さんで,年の近いお兄ちゃんが総悟君。お父さんは近藤さん(笑)。