あなたの背中が恋しくて。愛しくて。
大きな背中。優しい背中。そして…正直な,背中。

あなたの唇は 嘘つきなのに
あなたの背中は 正直者で
一体どっちをあてにして
わたしはあなたを待っていれば良いの。



おかえり。



夕暮れ時にパトカーで市中見回りをしている最中,見知った少女の姿が見えた。
彼女は『大江戸ストア』と赤字のロゴが入った白いビニール袋を両手に抱えて,
ふらふらと危なげに歩いていた。俺が軽くクラクションを1回鳴らしてやると,
そいつは一瞬肩を揺らしてこっちを目で振り返った。

「よォ」
「あ,土方さん!」

呼んだのが俺だとわかると,の顔が途端にほころんだ。
よろよろと体を反転させこっちに来ようとするので,俺はそれよりも先に彼女に
車体を近づけた。
は開いた窓から俺に笑いかけた。

「パトロールですか?お勤めご苦労様です」
「おう。お前は…買出しか?」
「はい。食べ物とお掃除グッズをいくつか」

そう言ってはスーパーの袋をぐいっと高く持ち上げてみせた。
俺は「そうか」と頷いて,助手席を顎でしゃくった。

「乗って行くか?」
「良いんですか?」

目に見えての顔がパッと輝いたので,つられて俺も笑った。

「構わねーよ。どっちみち万事屋の前も通るからな」
「わあ,ありがとうございます!じゃ,お言葉に甘えて」

いそいそといった風にドアを開け,が乗り込んで来る。

「ほんと言うとちょっとだけ期待してたんですよ」
「ったく調子の良い奴だな」
「ふふふ」

不思議なもんで,が乗るとパトカー内の独特な張り詰めた空気が,柔らかい
それへと変わった。

「ちゃんとシートベルト締めろよ」
「はーい」

が素直に頷いてシートベルトをつけたのを横目で確認し,俺はアクセルを
踏んだ。
そうして夕焼けに染まる江戸の町中を,ゆるりゆるりと走っていく。
通りを歩く人間の影が,オレンジ色の光の中で揺らいでいる。
書き入れ時なのだろう商店からは『大安売りだー』などといった威勢の良い声が
聞こえてくる。

「わ~風が気持ち良い」

は助手席の窓を開け,流れ込んでくる風に髪をなびかせていた。
風で額を全開にして目を細めている表情は,縁側でくつろいでいる猫のようだ。

「オイ,窓から顔出すんじゃねーぞ」
「わかってますよ~子どもじゃないんだから」
(…子どもだから言ってんだよ)

たしか総悟より1つ2つ年下だったはずだ。
俺からして見ればまだまだガキんちょだ。

はなんの因果かあの万事屋で働いている。
まぁ『働いている』と一口に言っても,毎日行っているわけではなく,週3回の
アルバイトらしい。
仕事内容は…いわゆる家政婦のようなものだとか。
万事屋に関わる人間にゃイケ好かねー連中の方が多いが,はなんというか…
…おっとりしているというか,頭に花を咲かせている感じというか。
『悪意』とか『怒気』とかいったものを,母親の腹に忘れて生まれてきたような
奴だから,真選組の隊士達とも結構打ち解けている。
近藤さんはなにかと世話を焼きたがるし(『兄貴分だ』と豪語しているがむしろ
『父親代り』だろ)。
総悟もなにかとちょっかいを出したがる(1度本気で泣かせちまった時は大層
慌てていたが)。
かくいう俺もを年の離れた妹か,もしくは自分に懐く小動物みてーに思って
いる。
だが……こいつにゃ1つ問題がある。

「あの野郎はいんのか?」
「『あの野郎』って…銀ちゃんですか?」

あの馬鹿の話題を出しただけで,なんとも嬉しそうにはふにゃっと笑う。
しかも心なしか頬に赤みがさしている。
…問題はこれだ。男を見る目が無ェ。

「銀ちゃんは3日前からいないんです。神楽ちゃんや新八君も」
「仕事か?」
「はい。『セレブ一家が海外旅行してる間のペット達の世話を泊り込みでやって
 くらァ』だそうです」
「…あいつら本っ当になんでもやるんだな」
「なんてったって『万事屋』ですから」
「節操無ェなあ」

呆れて溜息をつく俺の横で,は口元を押さえてクスクスと笑った。
――が,不意に黙り込んだ。

車内からの笑い声が消えると,一気に寂しい空気が狭い空間に充満した。
まるで庭から小鳥のさえずりが突然消え失せてしまったかのように。
不自然に笑みが途絶えたのが気にかかって,俺はを見やった。

「オイ。どうかしたか?」
「…嘘かもしれません」

非常にか細い声では呟いた。

「ん?なにがだ?」
「『泊り込みでペットの世話』って銀ちゃんは言ってたけど…嘘かも。
 銀ちゃん,時々嘘つくから」

膝の上でぎゅっと拳を握り締め,は続けて言う。

「『浮気調査で3日間家空けるから』って言ってたのに,ひどい大怪我をして
 帰ってきたり…。帰るって言ってた日を過ぎても帰って来ないで…そのまま
 入院していたり」

俯いたその横顔は,流れる黒髪に隠れてよく見えない。
けれどもきっと辛そうな顔をしているに違いなかった。

「銀ちゃん嘘つきだから。今回も嘘かも。
 最近なんとなくわかるようになったんです。
 危ないことをしに行く時が。
 そういう時の銀ちゃんの背中は…なんていうんだろ。
 決意に満ちているっていうか。 
 覚悟がこっちにも伝わってくるっていうか」

は顔を上げて俺の方を見た。
その双眸に涙は浮かんでいなかったが,頼りなげな光がゆらゆら震えていた。

「『ああ戦いに行くんだな』って。背中を見ているとなんとなくわかるんです」

そう言って無理して笑うその顔は『少女』のものではなく『女』のそれだった。
手折られた花のように儚くて孤独で寂しそうで…不思議ときれいだ。
そこで信号につかまってしまい,俺はブレーキを踏んだ。

「…に心配かけたくねーんだろ,あいつは」

俺が同じ立場でも言わないだろう。
「今から戦いに行く」だなんてことは絶対に言わねェ。
その気持ちはわからなくもなかった。というより,腹立つが痛い程よくわかる。
心配かけたくねーし,諸々の覚悟をするのは自分だけで良い。
相手が惚れた女ならば尚更だ。
あの野郎はを子ども扱いしているようだが,内心じゃあ絶対ェ憎からず
思っている。
その証拠にを見る時のあいつの目はやたら穏やかだ。
「てめーはロリコンか」と言ってやりてェが…まあ,惚れた腫れたはどうにも
仕方ねーか,とも思う。

…いーややっぱり気に食わねェ。
あんな万年金欠で死んだ魚のような目をしているドSな男と,素直で心優しい
がくっつくのは納得いかねー。
気分はすっかり保護者だ。

「そうでしょうね…銀ちゃん優しいから。それでも―」

そこでは一旦言葉を切った。
目前の横断歩道を,若い女が乳母車の赤子に笑いかけながら渡っていく。
その様子を見ては一瞬眩しそうに目を細めた。それから,

「それでも心配なんです…どうしても。すごく心配で…不安でたまらなくて。
 でも止めちゃいけないってことも…なんとなくだけどわかる。
 きっと大事なことだから。銀ちゃんが戦うのは,それが大事なことだから。
 だからちゃんと送り出してあげなくちゃいけないって…でも,」

横断歩道の青信号がちかちかと点滅し始めた。
ゆっくり渡っていた奴らの足が途端に速まる。

「でも怖い。もし帰って来なかったらって思うと…すごく怖い」

――赤に変わった。
もう横断歩道を歩く奴は一人もいなくなった。
ただ夕光の中で白黒の境界線が浮かび上がっているのみとなった。
その数秒後,車道の信号が青になった。
俺はブレーキから足を上げると同時に,の頭をこつんと軽く小突いた。

「ばーか」
「え?」

アクセルを踏み込んで再びパトカーを走らせる。
がきょとんとした表情で俺を見ているのが目の端に映った。

「あの甘党侍が簡単にくたばるわけねェだろーが。
 むしろ殺したって死なねーよアイツぁ」

本気でそう思う。なにしろこの俺の刀を折っちまうくれぇの野郎だ。
そう簡単にくたばってもらっちゃこっちも困るってもんだ。
けれども俺がそう言っても,はまだ不安そうに「そうでしょうか…」と
眉を潜めている。

「あのな,」

年若い娘の慰め方なんて俺は知らねェ。
無骨なものの言い方しかできねェってことは,自分が1番よくわかっている。
けど可愛い妹分が不安がっているのを黙って見ていることは御免こうむる。

「不安がって待ってても,のんびり待ってても,時間は同じよーに流れんだよ。
 だったらのんびり待ってる方が良いだろうが。
 どっちにしろあの野郎はお前んとこに帰って来るだろうよ」

何の前触れもなく唐突に,もう逝ってしまった女の微笑が脳裏に浮かんだ。
かつての俺は――俺にはできなかった。
『待っていろ』と。そう言ってやることが。
『信じてくれ』と。そう頼み込むことが。
俺にはできなかったことだが,いつもいつもへらへらお気楽に笑っているあの
野郎にならできるような気がした。
…おっそろしく癪な話だが。

「だから信じて待っててやれ。そんで『おかえり』って笑ってやれ」
「……」

が目を見開いて俺の横顔をじっと見てんのがわかった。
あどけなさと女らしさが同居しているその視線に,俺は急に気恥ずかしくなった。

(素面じゃ言えねェ気障なことを言っちまったな…)

俺は1つ咳払いをして,にやりと笑ってみせた。

「それでも待ってんのが辛いなら,そん時ァ俺が相手してやるよ。
 まァ子守りみてェなもんだな」
「こっ子守り!?失礼な!」

途端にの顔がカッと赤くなった。

「取り消してください!今の!今すぐ!」
「なんでだ。どこを取り消す必要があんだよ?」
「も~!せっかく感動したのに…!数十秒前の感動を返して下さい!」
「取り消せと言ったり返せと言ったり,ホントうるせー奴だなお前は」
「誰のせいですか,誰の!」

そういう風に怒っていると犬コロがキャンキャン咆えているみてぇで,俺は声を
出して笑った。
はわなわなと震えていたが,ぷいっと顔を明後日の方向に向けてしまった。
「マヨラ警官のアホー…総悟君に呪われちゃえ」などとなにやら不穏なことを
呟いているが(なんで総悟が俺に呪いをかけようとしてることを知ってんだ),
その素直に感情を出す幼さに俺は少し安心した。
まだもう少し。
女じゃなくて子どものままでいて欲しかった。

…ってマジで保護者の心境だな,こりゃ。
はそのまましばらくグチグチ言っていたがやがて黙った。そして,

「ありがとう,土方さん」

こっちを向いて笑った。
夕日に照らされたその笑顔は 穏やかで。
とても真直ぐな感謝の気持ちで 溢れていた。

「おう」

いつだって直球で感情を向けてくる少女に,俺も穏やかな気持ちになって,短く
笑い返した。