「送っていただいてどうもありがとうございました」
『スナックお登勢』の看板よりも数メートル手前のところで,俺はパトカーを
止めた。
は助手席に座ったまま,律儀にも深々と頭を下げた。
「ああ。何かあったらすぐ言えよ。仮にも女が1人でいんのは何かと物騒だろ」
「『仮にも』ってなんですか,『仮にも』って!」
は再び口を尖らせたが今度はそれ程怒らず,すぐ元通りの笑顔になった。
「でもとっても心強いです。その時はよろしくお願いしますね」
「おう」
俺は薄く笑って,煙草とライターを胸ポケットから取り出した。
「じゃあ本当にありがとうございました………ありっ?」
シートベルトを外そうとするの手が止まった。
「あり?あれ?……あらら?」
なにやらまごまごし始めたを見,煙草に火をつけようとしていた俺の手が
止まった。
「ん?どうした?」
「シートベルトが外せなくて」
「はー…お前年いくつだ」
俺は小さく苦笑しながら,くわえていた煙草とライターを横に置いた。
「だ,だって本当に外せな…」
「ちょっと見せてみろ」
自分のシートベルトを外して,俺は助手席の方に体を屈ませた。
左手を助手席の頭部分について,右手でシートベルトの上を引っ張る。
必然的にを軽く腕の中に閉じ込める形になったものの,特に他意はない。
俺は万事屋と違ってロリコンじゃねー。
も特に恥らうことなく大人しくじっと俺を見上げている。
俺に気を許しているからなんだろうが,それにしたってここまで無防備なのは
どうかと思った。
(…万事屋も苦労してんだろうな)
初めて奴に対して同情の念を抱いた。
「どうですか?取れそう?」
「ああ,上の金具が少し捻れちまっているな。待ってろ直ぐはず…,…!」
突然『殺気』のようなもんを感じて,俺は窓の外を見た。
そこには――
「万事屋…」
「銀ちゃん!」
左腕に包帯を巻いた銀髪の男が,不機嫌さを露にして立っていた。
つーか『不機嫌』を通り越して『激怒』といって良いかもしれねェ。
目はいつも通りやる気なさげに細められているが,周囲に漂わせているオーラが
尋常じゃねェくらいぴりぴりしてやがる。その原因は…
「なーに人ん家のコに抱きついてんですかァ?
『チンピラ警察24時』が『セクハラ警察24時』に路線変更か?
ふざけてんじゃねーよ」
(…やっぱりコイツか)
俺は成り行きとはいえ自分の腕の中にいる少女をちらりと見,
「あ?何誤解してやがる?俺はただ…」
「銀ちゃん!」
俺が説明するよりも早く,の鋭い声があがった。
こいつのこういう声を――こんなにも切羽詰まった声を,俺は今まで聞いたこと
が無かったから少し驚いた。
「銀ちゃん,その包帯どうしたの!?」
の強い視線は,万事屋の左腕へと注がれていた。
顔を曇らせているに,万事屋は「あ~…」と緊張感のない声を上げつつ包帯を
さすった。
「うん。これはさァあれだ。ちょっとワニにかじられてさ」
「…鰐ィ?」
思わず俺は聞き返した。
ペットの世話に行ったんじゃなかったのかよ。
大都会の中心・江戸でワニに噛まれるってどんな状況だ。嘘くせーな。
「金持ちは時に意味わかんねーもんを飼いたがるもんだ」
万事屋は頭をがしがしと掻いた。
俺は珍獣マニアのバカ皇子の顔を思い出し,ある意味納得した。
が,の顔色は相変わらず晴れなかった。
「…本当に?」
「ん。本当だって」
「…」
は不安げに瞼を震わせて俯いてしまった。
ほんの数秒だけ沈黙が訪れた。
その間に俺はのシートベルトを外してやった。
「おい,取れたぞ」
「あ…ありがとうございます」
「…」
「…」
「…」
またもや沈黙が落ちる…なんなんだこのいたたまれねェ空気は。
俺は内心で溜息をついて運転席に体を戻した。
そんで傍らの財布から千円札を取り出し,
「,悪ィんだがそこの店で煙草とマガジンとマヨネーズ買って来てくれ
ねーか。つりで菓子なりなんなり好きなもん買って構わねェから」
「え?……あ,はい。わかりました。でも良いんですか?おつり?」
「ああ。構わねェよ」
「をパシらせるたァ,太ェ腹してやがんなーこの不良警官が」
「あ゛?」
いちいち突っかかってくる万事屋に対して,俺の額に青筋がびしっと浮かんだ。
一触即発の空気で張り詰めたが,そこでが間に入って来た。
「ストップ!も~銀ちゃんったらどうしてそんな言い方ばかりするの?」
「なに?は俺よりこのマヨラーをかばうわけ?俺よりこのニコ中の味方
なわけ?俺よりこのムッツリが好きなわけ?」
「なんの話してるの…土方さんはわざわざここまで送ってくれたんだよ?この
くらいお安い御用だもん。すぐ買って来ますからちょっと待ってて下さいね」
「おお」
は俺に声をかけて助手席から降りた。
そして,からんころんと下駄を鳴らしながら店の方へ駆けて行った。
残された万事屋はに怒られたからか,ますますブスッとしている。
…オイオイどっちが年下なんだかわかんねーよ。
「おいコラ。なんでお前とが一緒にいんだよ」
「たまたまだ」
「たまたまァ?」
気に食わねーだの,はなんでお前なんかに懐いてんだーだの,粘着質に横で
ごちゃごちゃぬかしやがる。
…ホントうるっせー男だな。
俺としてはがお前に惚れていることの方がよっぽど謎だっての。
(けどまァ仕方ねー)
俺は腹に力を込めてなんとか怒りを堪えた。
「万事屋」
「あん?」
「あんまキナ臭ぇことに首を突っ込むんじゃねーぞ」
他でもないのために,俺はこの大馬鹿野郎に忠告をした。
間違ってもこいつのためなんかじゃあねェ。
夕暮れの風が通りを走り抜けて行き,砂塵が軽く舞い上がる。
俺の言葉に万事屋は訝しげに眉間に皺を寄せた。
「なんなんですかーいきなり。お巡りさんのありがたき説教ってやつですかー?
それともなに?心配してんの?気持ち悪ィし迷惑だからやめてくんない?」
「違ェよ!!俺はテメーが生きようが死のうが心底どうでも良いわ!!!」
そう――どうでも良いのだ。
あいつが惚れている男じゃなければ。
「だが,あいつはそうもいかねー」
「…!」
万事屋はハッとしたように目を開き,つい先ほどが入った店を見やった。
ガラス張りの向こうに店の中が見える。
が雑誌コーナーに立ってきょろきょろと上下左右に首を動かしているのが,
ここからでも分かる。
万事屋はその様子を眺めながら,ぼりぼりと首の後ろを掻いた。
「,おたくに何か言った?」
「さあな。でも,あいつを不安がらせてんじゃねーよ」
「…」
珍しいことに奴は何も言い返して来なかった。
そのまま俺と万事屋の間に沈黙が降りる。
この野郎と黙って同じ場にいるってことが,これまでは睨み合い以外になかった。
何も口にせずをじっと見つめる万事屋の目は,いつも以上に『読めない』。
ひょっとすると本人も読めていねーのかもしれねェな。
困惑と愛しさと罪悪感とが複雑に入り混じった目で,万事屋は少女を見ていた。
やがて買い物を済ませたが店の中から出てきた。
は俺と万事屋が2人して自分を見ていることに気付くと,にこっと笑って
足早に駆け寄って来た。
「土方さん!煙草は『まるぼおろ』で良かったですか?」
「おう。サンキュ」
礼を言いながら運転席の窓からビニール袋を受け取ると,は手にしている
バナナの束を示した。
「いいえ~おつりでこれいただきましたから。こっちこそありがとうございます」
「おう…けどなんでバナナなんだ?」
「バナナの束なら万事屋の皆で食べられますから」
「ああ,なるほどな」
「でも結局まだおつり余ったのでお返ししますね」
「おお」
「……」
万事屋は俺とのやりとりを黙って見ていた。
さっきと違って怒りは感じねェ。
色々と思うことがあるんだろう。
まァ…ちゃんと考えてもらわにゃ困るんだが。
はもう1度礼を言って,レシートとつり銭を俺の手の上に乗せた。
それから助手席側に――万事屋の方に移動する。
は助手席の開いた窓から車内に手を入れ,そこに置いたままになっていた
買い物袋を持ち上げた。
「?銀ちゃん?どうしたの?」
「…」
ずっと黙ったままの男を,は不思議そうに見上げた。
万事屋は少女の頭をぽんぽんと撫で,一言。
「…けーるぞ」
「うん!」
嬉しそうには笑った。本当に,幸せそうに。
(…敵わねェな)
俺は心の中で小さく笑った。
「それじゃ土方さん,また!」
「おお」
「2度と来んじゃねーよ,マヨ警官」
「言われなくてもテメーがいる時ゃ行かねーよ」
「えっ何それ,俺がいない間は来るわけ?俺がいない間ににあんなことや
そんなことするつもり?そんなん絶対に許さな,」
「も~!銀ちゃんったら!!ほら,行こう!」
に促されると,万事屋は最後に俺を一睨みして踵を返した。
はこっちにぺこっとお辞儀をしてその後に続く。
べつにそこですぐに車を出しても良かったのだが,俺はなんとなく2人をしばし
見送ることにした。
煙草に火をつけ,それをふかしながら彼らのやりとりを眺めた。
横に並んだの手から,万事屋は買い物袋をひょいと取り上げる。
「あっいいよ!腕怪我してるのに…」
「だ~いじょぶだって。怪我してねー右手で持ってるでしょ」
「だ,だけど…」
「こーゆー力を必要とする仕事は男の役目,って昔から決まってんの。
ちゃんは黙ってなさい」
「うー……はーい」
なにか反論したそうだったが,は素直に頷いた。
「あ,そうだ。,あんま簡単に男に体を触らせんじゃねーぞ」
「え?でもさっきのはシートベルトが,」
「どんな理由でも駄目。駄目ったら駄目」
「で,でも土方さんだし…」
「男は皆ケダモノなの。お前が赤頭巾ちゃんなら,あいつは飢えに飢えた狼なの。
かっ喰らう隙を今か今かと窺っている生き物なの」
「でも…」
「デモもストライキもありません」
「…銀ちゃんこそ親父ギャグやめてよ~」
誰が飢えに飢えた狼だ。そりゃお前だろーがよ。
俺は狼は狼でも飢えちゃいねーっての。
つーか,ギャグセンスがやばいぞ。頭大丈夫か。
「で,今日の夕飯なに?銀ちゃん腹減ったわ」
「うん!あのね,今日は豚肉が安かったから生姜焼きにしようと思って」
「おー良いねェ」
「沢山食べてね。お肉かじられちゃったんだから,お肉いっぱい摂らなくちゃ」
「…ちゃん,お肉食べたらその分お肉が元に戻るわけじゃないからね?」
そうつっこみながら万事屋はの頭を撫でようとした……が。
「…ん?なんで避けんの?」
「だってさっき男に体を触らせるな,て…」
「……………あーそれ俺だけは例外だから」
「なんで?銀ちゃんだって男の人だよ?」
「そーだけど。でも俺だけはいいの。俺はが嫌がるよーなこと,神サマに
誓って絶対にしないから」
「えー土方さんだってきっとしないよ?」
「いや,あいつはする時ゃするタイプだね。ああいう『俺はロリコンじゃねー』
って言ってる奴に限って,実はとんでもないムッツリだったりするんだって。
ムッツリロリコンさ」
「なに『ロリコン』って……わたし子どもじゃないもん」
「ハイハイ,そうでちゅねー。ちゃんは立派なレディーでちゅねー」
「も~!!銀ちゃん!!!」
誰がムッツリロリコンだ。全開でロリコンなテメェが言うな。
,なんかされる前にすぐに報せろよ。
武装警察が全力で万事屋に踏み込むからな。
(だが――)
何気ない会話の端々から,あの2人の間に横たわる柔らかな空気が感じられた。
とても穏やかで,優しくて,温かな空気。
(『仲睦まじい』っていう表現はあいつらに使うんだろうな)
俺は小さく笑って煙草の火を消した。
そしてサイドブレーキを発車の位置に動かしてアクセルを踏み込み,すっかり
日の沈んだ江戸の町へ走り出した。
「…お幸せに,な」
呟いた俺の独り言は,煙草の香と共に窓の外へと流れていった。
――あの…銀ちゃん
――ん?
――…おかえりなさい
――…ん。ただいま
2008/11/04 up...
土方さんがお兄ちゃんだったら良いな~きっと頼りになる兄貴だろうな~,と思います。