誰といても
どこにいても
あなたのことばかり 考えていた

笑っていても
泣いていても
あなたのことばかり おもっていた



残照  <七>



蝉の声がしなくなったことに気付いたのは,いつだっただろう。
彼らは秋の涼しい日和が訪れても,意外にも長くそこかしこで根気よく鳴き続けている。
夏の盛りのように盛大に合唱することはないけれど,秋の虫たちの声に混じって1匹1匹がひっそり
独唱している。そして――いつの間にかそれすらも消え失せてしまっている。
『いつの間にか』ということに,途方も無い寂しさを覚える。
彼らが消えてしまったことを,すぐに気付けなかったことが…ひどく寂しい。
それは,人を感傷的な気持ちにさせる『秋』という季節がもたらす感情なのか。
それとも――ただ純粋に『喪失』がもたらすものなのか。
…まあ,それはともかく。

「どうして…」

自分の声が怒りでぷるぷる震えているのがわかる。たぶん瞼の上にも余波が来ている…ぴくぴくと。
こめかみが引きつりそうになるのはなんとか堪え,わたしは自分の前に座っている面々を見下ろした。

「どうして,御三方がここにいるんですか?」
「おじさーん!団子40本くらい包んでくんない?屯所の皆にも食わせてやりたいからさァ」
「やべっ。マヨネーズが足りねェわ」
「やばいのはあんたの味覚でさァ。あと,足りてねェのは『常識』」

わたしの問いかけをさらりと流し,局長・副長・一番隊隊長の3人はそれぞれがお団子に夢中だ。
蝉の声を全く耳にしなくなった秋の昼下がり――澄んだ日差しがわたし達の頭上に降り注いでいる。
そんな中,隊服姿の男3人がお団子屋さんのベンチに並んで座っているのは,なんとも異様な光景で。
沖田さんは割と普通にむしゃむしゃ食べているけれど(そんなに食べてんのになんでそんなに痩せ
てるの?),土方さんのお皿はなぜかマヨネーズにまみれて黄色くなっているし。
近藤さんのお皿にいたっては,1人で食べたとは思えないほどの量の串が雑然と積まれている。

「天高くゴリ肥ゆる秋…」
「ん?何か言った?」
「なんでもないです」
「なァなァ,嬢も座ったらどうでィ。ンなとこに突っ立ってねェで。そこどけよ,土方さん」
「お前がどけ!つーか,俺どかなくても普通に席空いてんだけど!?」
「結構です。座りませんから」

ぴしゃりと跳ねのけると,6つの目がわたしを見上げて来た。
3人共きょとんとしているのを見るに,たった今気付いたらしい…わたしが怒っているということに。
わたしは溜息をついて,再度同じ質問を繰り返した。

「どうして御三方がここに?たしか今日は非番じゃないでしょう」
「そういう嬢はなんでこんな所にいるんでさァ?」

すかさず沖田さんが問い返して来る。
わたしは懐から1枚の葉書を取り出し,それを突き出した。

「昔診療所で働いていた頃の患者さんが,こちらに移り住んでいらっしゃると葉書をもらったんです。
 往診がてらその方のお宅にお邪魔させていただいてたんです。それに,わたしは今日半ドンです」
「ふーん」

医療用の鞄を掲げてみせると,沖田さんはどうでもよさそうに相槌を打った…人に質問しておいて
その態度はないと思う。わたしは腕組みをして,

「で。御三方はなぜ?」

まずは我らが局長の方を見た。すると,近藤さんはなぜか照れくさそうにもじもじとして,

「俺はお妙さんへのプレゼントを買いに。もうすぐ誕生日だからさ,」
「次の休みの日に買えば良いでしょう。次」

今度は副長に目を向ける…と,土方さんは明後日の方向へ目をそらし,煙草に火をつけた。

「俺は…近藤さんを探していた所で,」
「なら,こんな所で油売ってないでさっさと連れて帰って下さい。次」

最後に一番隊隊長と目を合わせた。沖田さんは団子で口をもぐもぐさせながら,

「俺はサボタージュ,」
「論外です!」

どすっと足元に日傘を突き立てると,今度は3人だけじゃなく他のお客さんもこっちを見た。
実はちょっと恥ずかしかったけど,今そんなことはどうでもいいの(自棄)!

「真選組の幹部が揃いも揃ってなにやってんですか!一般市民の方々は汗水流して働いているのに
 なんとも思わないんですか!そんなんだから『税金泥棒』と後ろ指をさされるんです!」
「いや,でも…」
「言い訳は聞きません!さっさと仕事に戻って下さい!」
「あ~まったくだ。早く持ち場に戻れよ,土方」
「なんで俺だけ,」
「沖田さん,あなたもですよ!もちろん土方さんも近藤さんも!」
「「「…はい」」」

憤慨するわたしを宥めるかのように,涼風が緩やかに流れていく。
ばつが悪そうにしている大の男3人の髪も,一様にさらさらと揺れた。その中でもひときわ髪の毛を
輝かせて(栗毛って羨ましい)沖田さんは爽やかに笑った。

「そんなにかりかりしなさんな,嬢。キレイな顔が台無しでさァ。ひょっとしてアノ日かィ?」
「いい加減セクハラで訴えても構わないんですよ,沖田さん。出るとこ出ましょうか」
「…」

じろりと睨みつけると,沖田さんは押し黙った…爽やかな顔で最低なこと言うから悪いんですよ。

(まったくもう!!)

普段から疑問に思っていたのだけれど,この人達は仕事を何だと思ってるんだろう。
そりゃあ,ね。いざという時,真選組の皆さんが驚異的な結束力を発揮するってことは,わたしだって
知っている。この人達のおかげで,江戸の平和が守られているってことも。この人達が江戸の人々の
幸せを心から願っているってことも。
それに,いざという時彼らが命がけで刀を振るっているということも…ちゃんと知っている。

でも…『いざという時』なんて,そんなには無いわけで。

結果,平常時にダラダラまったりしている隊士の様子ばかりが,一般人の目にふれてしまうわで。
仮にも公僕。腐っても公僕。誰がなんと言おうと公僕。
『いざという時』だけ働けば良いというものじゃない。

(本当にもう…揃って暇そうにして!)

空になっている3人の団子皿を見て,再び頭に血が上ってしまった。

(伊東さんはいっつもあちこち出張に行って忙しいのに!)

こうしてわたし達がのんびりしている間にも,伊東さんはばりばり働いているに違いないのに。
何事にも真摯で一生懸命な人だから…人一倍頑張り屋さんな人だから。
伊東さんのような真面目な人こそ,たまにはゆっくり休むべきだと思う。
休日でもないのに団子屋で堂々とまったりしているこの御仁達の能天気さを,少し分けてもらったら
どうだろう。

「う~~~ん。いや,でもさァ…う~む」
「なんですか,近藤さん」

唸り声をあげているその人を見ると,彼は俯いていた顔を上げてわははと笑った。

「なんか伊東先生みたいなことを言うなァ,ちゃん!」

蜻蛉が1匹,近藤さんの頭上をすいっと軽やかに横切って行った。

「…え?」
「近藤さん,いけやせんって。誰もがつっこみたくて仕方無くて我慢し続けてたことをンなアッサリ
 言っちまっちゃ」
「え?」
「そうなの?けどさァ,さっきの話し方は本当に似てたよ。まるで伊東先生から説教されてるような
 気分になったもん。なァ,トシ?」
「俺はあの野郎から説教なんて喰らった覚えは無ェ。けど,まァ…理屈っぽい口調が似てたな」
「そ…そんな」

三者三様の発言に,じわじわとわたしの顔に熱が集まって来る。

(って,なんで!?)

どうして望んでもいないのに,体中の熱が頬に上がって来るんだろう。
むしろ冷めて欲しいのに。赤くなんてなりたくないのに。
心からそう思っているにも関わらず,わたしの頬はどんどん火照って来る。

「仕方無ェでさァ。カップルは一緒にいる内に似てくるって言うっしょ。まさにこのことだねィ」
「は!?」

聞き捨てならない沖田さんの言葉に,思わずわたしは目を剥いた。

「あ,あの!伊東さんとわたしはそういう間柄じゃ…!」 

全力で否定しようとするわたしを見上げ,沖田さんはわざとらしく肩をすくめた。

「またまた。縁側で夕日を眺めながら愛を語り合ってたらしいじゃねェか,お2人さん」
「えっ」

縁側で夕日を眺めながらって…それって…。

(あ,あの時のこと!?)

『畳の日』という(よく意味のわからない)名目で飲み会が開かれたあの日。
久しぶりにお酒を飲んで,わたしはいつに無く浮かれていた。
しかも,その日伊東さんが出張から帰って来たのを知って,どうしてかさらにテンションが鰻上りに
なってしまった。
宴も酣の時,伊東さんが席を立ったのを見て,何を思ったのかわたしもフラフラと立ち上がって。
そして大胆にも縁側で伊東さんを待ち伏せして,そのまま色々と話し込んで…。
わたしはわたしでテンション高かったけれど,伊東さんも伊東さんでいつもより饒舌だった。
普段は口にしない色んなことを話してくれた。
双子の兄上様のことや,お母様のことや――自分のことを。
わたしに話してくれた。

――あなたの泣き場所になってあげたのに。

あの言葉は,わたしの心からの言葉だった。
たしかに酔ってはいたけれど,本当に心からそう思って口にした言葉だった。
でも…本心に違いないからこそ,後から思い出すと恥ずかしくてたまらなくなった。
だってあんなの――ほとんど愛の告白と同じだ。

(ち,違うの!あれは本当の気持ちではあるけれど,決してそういう浮ついた気持ちじゃなくて!
 どっちかというと子どもに対して「泣いて良いよ」って慰めるような気持ちだったのよ,うん)

頭の中で力いっぱい(誰かに)弁解してみても,恥ずかしい気持ちは全然消えてくれない。
思い出すだけで恥ずかしいのに,ましてや『あれ』を他の誰かが見ていただなんて…考えただけで
顔が大火災を起こしそうだ。顔面炎上だ。

「なっ,なんで…え?なんで…」
「あー…俺も聞いたわ,その噂」
「ひ,土方さんも!?」
「西の縁側で話し込んでたんだろ?『通りたくても通れなかった』って。ザキが言ってたな」
「!!!」

噂話に然程興味を示さない土方さんの耳にまで届いているってことは,真選組内の全員が知っている
と言っても良い。間違いなく皆知っているはずだ。

(~~~~~っ!!!!)

恥ずかしさで死ねるのなら,今まさに昇天できる。あっさり逝ける。
胸の鼓動がどくどくと強く波打った…痛い程に強く。速く。理不尽に。
わたしは,今まであまりこういう状況に立たされたことがなかったから。
男の人とのことで噂されたり,からかわれたりしたことがなかったから。

「ちっ違います!!!」

どう答えれば良いのかなんてわからなくて,わたしはひたすら首を横に振りまくった。

「違うんですよ!?そういうんじゃないですよ!あ,あれはあくまで家族的な語らいであって,決して
 恋愛的な意味での語らいでは,」
「あーなるほど。そんじょそこらのカップルじゃなくて,家族みてェなもんかィ。もう夫婦みてェな
 もんだ,って言いたいんだな?」
「全然違います,沖田さん!!」
「そうやってムキになって否定すっから,余計に怪しいんだよ。気付け,バカ」
「バ,バカとはなんですか,土方さん!ししし失礼な!!」
「まァまァ落ち着いて。ちゃんも団子食べてゆっくりして。近藤さん,ご馳走してあげるから」
「そうそう,食いなせェ。嬢は痩せすぎでさァ。あ,伊東さんは痩せた女が好みなんですかィ?」
「だから!違いますってば!」
「ジーさん,みたらし団子2本追加な。あと緑茶も頼む」
(なにこの連携プレイ!?)

3人の口から次々と繰り出される言葉の数々に,わたし1人が到底叶うはずもなく。
普段なんやかんや喧嘩しながらも(特に土方さんと沖田さん)さすがは幼馴染ですね…というか。
幼馴染3人組の連携口車に乗せられたわたしは,団子屋で長々とからかわれ続けるはめになった…

…わたし,何か悪いことしました?


+++++++++++++++++++++


「いやァ,なんだかんだで長居しちゃったなァ」
「本当ですねィ。『こんな所でサボるな』って言ってた張本人が,ずーっと喋ってましたからねィ」
「お前がからかい過ぎなんだよ,総悟。こいつがムキになんのは目に見えてただろうが」
「そう思ってたなら止めてくださいよ…!」

結局お団子屋さんを後にしたのは,随分と時間が経ってしまってからだった。
ことあるごとに御三方(特に沖田さん)が伊東さんの話を持ち出して,それに対してわたしがつい
言い返してしまうせいだった。反応したら余計にからかわれるとわかっているんだけれど,どうし
ても我慢できなくて…本気になって言い返しちゃって。

(だって沖田さんがいちいち勘に障る言い方をするから!!)

以前から「沖田隊長はドSだから気をつけて」と山崎さんに聞かされていたけれど…本当の本当に
そうだって,今日わかった。心からわかった。

(はあ…)

なんだか今日は無駄に疲れた1日だった…せっかくの半ドンだったのに。
からかわれ続けたせいで,頬っぺたが火照りっぱなしだった。
気のせいかまだ顔が熱い。ひょっとすると日焼けしてしまったのかもしれない。もう秋とはいえど,
昼間の日差しはまだまだ強いのだ。

(日焼けはお肌の大敵なのに…って,あれ?日焼け…と,いえば!)

「あ!」
「ん?どうした,?」
「お店に日傘忘れて来ちゃいました」
「…バカだな」
「ば,バカとまで言わなくても良いでしょう!…取りに行って来るのでお先に行っててください」

御三方に先を促して,わたしは踵を返した。傘類を置き忘れてしまうのは,昔からの悪い癖だ。
しかもなぜか気に入っている傘に限って,置き去りにしまうのだから自分でも不思議だ。
自然と早足になり,落葉の目立ち始めた通りを小走りで駆け抜ける。
お店に戻った時,わたしの額には少しだけ汗が浮かんでいた。

(傘は…っと)

先程座っていた席に,控えめに立てかけられているそれが目に入った。
ホッと息をついて,日傘を手に取った。掌に馴染むプラスチックの柄が,ひんやりと心地よい。
手にしたそれを早速開き,涼しい日陰を確保する。

(早く戻らなくちゃ)

わたしは「先に行って」と言ったけれど…たぶんあの人達は,あの場で待ってくれているはずだ。
小憎らしいことばかり言う人達だけれど,優しい心の持ち主だから。
本当は 温かい心の持ち主だから。
文句を言いながらも――きっと待ってくれている。

(よし…!)

「そこのお嬢さん,ちょっと待つアル」
「…え?」

気合を入れて駆け出そうとしたわたしの背を,可愛らしい声が呼び止めた。
くるっと日傘ごと振り返ると…サーモンピンクの髪をした女の子が,真後ろに立っていた。

(い,いつの間にこんな近くに?)

わたしはちょっとびっくりして,反射的に半歩だけ後退った。
そのコは昔ながらの番傘をさしていて,その露先それぞれに御守くらいの小さな袋を吊り下げていた。
髪の色も変わっているけれど,雪のように白い肌もすごく目立っている。それに,こちらを見つめる
青く澄んだ目…もしかすると天人なのかもしれない。お人形さんみたいで,すごく可愛い女の子だ。
でも,彼女から声をかけられる理由がわからなくて,わたしは首を傾げた。

「…?なにかご用?」
「お香の老舗『鳩栄堂』がリニューアルオープンしたアル。すぐそこヨ。ちょっくら寄ってくネ」
「お香屋さん?」

とどのつまり客引きだ。いわれてみれば,女の子は『鳩栄堂』という名の入った前掛をつけている。
呼び止められた理由に納得し,わたしは彼女の傘の露先に手を伸ばした。
もとい…露先に下げられている小袋の1つを手に取った。ぱっと見では何の袋かわからなかった
けれど,【お香屋の勧誘】ってことでピンときた――『匂い袋』だ。

「これ,全部お店の?」
「そうアル。こういう匂い袋がたくさんあるアル。他にも…え~っと…なんだったっけ。とにかく
 いっぱいヨ。なんだっけ…え~っと,え~っと…そうそう。こーき…『香木』とか。色々あるネ」
「ふふふ。色々あるんだ」

一生懸命に説明しようとする様子が可愛くて,思わず笑ってしまった。

(何歳くらいかな?)

背丈はわたしとそんなに変わらないけれど,結構年下な気がする。自分よりも年下の子が,頑張って
働いているのがいじらしくて,わたしの方から話を続けた。

「お香屋の店員さんなの?」
「1日だけアル。『おーぷにんぐすたっふ』ネ」
「へえ。偉いね!」
「頼まれたらなんでもやるのが万事屋アル」
「よろずや?」

耳慣れない言葉にわたしがきょとんとすると,女の子はえっへんと胸を張った。その振動で,番傘に
下げられた匂い袋がぷらぷらと揺れた。

「そうヨ。万事屋ネ。猫探しから爆弾処理までなんでもやるアル」
「…ものすごく幅広いんだね」
「おうヨ。今日は『おーぷにんぐすたっふ』の仕事ヨ。客を呼べば呼ぶほど給料上がるネ。だから
 お嬢さんも寄ってくアル。そして金出して行くネ。私の飯ために。私の腹のために」
「なんでうちの医者が金出さなきゃならねェんでィ。お前のそのブラックホールのために」

突如,辛辣な科白が横から乱入してきた。聞き覚えのあり過ぎる声の方を見ると,

「あっ沖田さん」

心なしか不穏なオーラを放つ一番隊隊長さんがいた。
ひょっとして…わたしの戻りが遅いから迎えに来てくれたのだろうか。
やっぱりなんだかんだ言って根は優しい人なんだなあ,とわたしは思った…けれど。
その優しいはずの隊長さんは,なぜか女の子に向かってメンチを切りまくっている。

「お前に用は無いネ,ドS馬鹿。引っ込むヨロシ」

そして女の子の方も先程とは打って変わって,氷の視線で沖田さんに凄んでいる。

「誰が馬鹿だ。馬鹿はてめェだろ」
「(ドSは否定しないんですね)えっと…お知り合いですか?」

わたしが問いかけたその時,

「あれっ。万事屋の怪力娘じゃないか。なになに?仕事?」
「いや一応俺らも仕事中だぞ,近藤さん。ただでさえ時間くったんだ。こいつに構ってる暇は無ェ」

続いて近藤さんと土方さんも現われた。その口振りから,沖田さんだけじゃなくお2人も女の子と
旧知の仲だってことが,容易に推測できた。

「おーゴリにマヨラー。お前ら金たんまり持ってんだろ。ちょっと寄ってけヨ。お香でそのムサい
 匂いをごまかすと良いネ」
「お香かァ。お妙さんへのプレゼントに良いかもしれん!な,トシ!」
「香ねェ…あの女がそんな風流なもんつけるか?」
「どっちかっつーと血の匂いをまとってる感じでさァ,姐さんは」
「お前らの給料なんて,所詮は一般市民からふんだくった金アル。一般市民に還元するヨロシ」
「なに言ってんだ。愚民共を守ってやってんだから,その分の金を貰うのは当たり前だろィ。世の中
 ギブ&テイクなんだよ。こちとら慈善事業じゃねェんだよ。わかったか,愚民の中の愚民」
「誰が愚民の中の愚民アルカ!誰もお前らなんかに守って欲しいだなんて一言も頼んでいないネ!
 ポリ公なんかクソ喰らえネ!!」
「ちょ,ちょっとストップ…!」

黙って聞いてれば往来でなんつー会話をしているの,この人達は!
女の子も可愛い顔してとんでもないことばっかり言ってるし!!
でも,わたしの制止の声なんかてんで聞こえてないらしく,近藤さんはルンルンと鼻歌を歌っている。

「お妙さんにはどんな香が似合うかなァ」
「考えなくても良いネ。どんなんでも姉御は(お前からのプレゼントなんて受け取るわけないから
 考えるだけ無駄だし)大丈夫アル」
「あの!ちょっと待ってください!!これ以上寄り道をする気ですか(ていうか,なんかこのコ黒い
 こと考えてない?)!!!!」
「良いじゃねェか,嬢。ここまで来りゃ1軒寄り道すんのも,10軒寄り道すんのも同じでィ」
「いや同じじゃないですよ!?10は1の十倍なんですから!!」
「当たり前のことを言うな。バカに見えるぞ,バカ」
「土方さん!わたしのことをバカバカ言うのやめてくれます!?」
「心配無用アル。こいつらが税金泥棒ってことは皆知ってるネ。今更サボってるの見てもどうって
 ことないアル。『あ,またやってるよ』って感じヨ。『ひつようあく』って感じヨ」
「~~~~~!!!」

――少し考えればわかることだった。
幼馴染3人組にさえ勝てなかったんだもの。
それに激辛娘が加われば,わたしなんか歯が立つワケがないって。
…ホント,ちょっと考えればわかることだった。
きゃいきゃい騒ぎながらお店に向かう4人の後を,わたしはトボトボとついていった。

…わたし,何か悪いことしました?


++++++++++++++++++++++++++


お香屋さんの暖簾をくぐると,そこは緩やかな香りで空間が染められていた。
さほど広くはないお店の中には大きな窓が4つもあって,柔らかな陽の光が金色のカーテンのように
たなびいていた。颯爽とした秋の日差しを和らげるかのように,雅な香りがそこかしこに漂っている。
お店の壁や窓は,紅葉やイチョウの造花できれいに彩られていて,すっかり秋の装いだ。
商品棚の前方には,龍田姫の描かれた香皿や菊の花の形をした香立てなどが目立つように並べられて
いて,秋をモチーフにしたものが多い。
『老舗のお香屋』にしては親しみやすい雰囲気だった。

「いらっしゃいませ!…あれ?近藤さんに土方さん。沖田さんも」
「お!新八君も仕事中か!精が出るなぁ,うん」
「ていうか近藤さん,あなたは仕事どうしたんですか。こんなとこで何やってんですか」

わたし達がお店に入ってからすぐに,眼鏡の男の子が声をかけてきた。この男の子もまた近藤さん達
と顔見知りらしい。ということは,彼も『万事屋』さんの一員なんだろうか。

「ちょうどよかった。お妙さんにお香をプレゼントしようと思ってさ。お妙さん,どんなのが好き?」
「姉上に?あの…近藤さん。こんなこと言いたくないですけど,姉上はたぶん受け取らな」
「空気読めヨ,新八。そんなだからお前はいつまでたっても駄メガネアル。こいつ金持ってんだから
 売りつけるチャンスネ。適当に言いくるめて1番高いやつ買わせるアル」
「おまっ…仮にもうちの大将を何だと思ってんだ!つーか,そういうことはせめて客のいねェとこで
 言えや!誰だよ,こいつに客引き任せた馬鹿は!」
「あ,それは銀さんです。『男に話しかけられるより,女の子に話しかけられる方が警戒しねェだろ』
 って。そうかもって僕も思いましたし」
「女の子?ミニゴリラの間違いだろィ。動物園に帰れ。むしろ野生に帰れ。そして土に還れ」
「お前が土に還れヨ。地獄に落ちろヨ。閻魔大王に舌抜かれる前にわたしが抜いてやろうか」
(…はあ)

再び舌戦のゴングが鳴り響いたけれど,さすがにもうわたしも止める気が起こらなかった。
止めるのは無理だと思ったし,それに――
――言い合いをする彼らの間に,どうしてか『繋がり』のようなものを感じたから。
こんな風に喧嘩をすることが,彼らにとっての平和な日常なんだろう。
お世辞にも品の無い言葉の応酬だけれど,彼らが不思議な『縁』で結ばれているような気がした。

(…仕方のない人達だなぁ)

わたしは胸中で苦笑して,そっと5人から離れた。それから風の向くまま・気の向くままに,店内を
うろついてみる。香水ほど自己主張の強くない,でも一本芯の通った趣深い和の匂いが鼻をくすぐる。
まどろみを誘うような,安らぎをもたらすような…お香を焚くのならば,今の季節がぴったりだろう。
他のどの季節よりも感傷的になる,秋というこの季節に。
そして――

「!」

『その香り』を知覚した瞬間――心がないた。
思わず振り向いてしまう。

(この香り…)

胸の奥を突き上げる香りは,蛤の香立てから漂ってきていた。漆黒に塗られた蛤の貝殻には,桔梗の
花が描かれていて,その上で角割型のお香がくゆっている。

(…そっくり)

あの人の香りに。
あれは,確か6月のことだった。突然の雨に降られた江戸の町で,伊東さんは1人雨宿りをしていた。
俯き加減に佇んでいた彼はどことなく寂しそうで,わたしの方から声をかけた。屯所までの道を1つ
の傘に入って歩き,その間ずっと美しい香りが傘の中で揺らめいていた。
今目の前で細い煙をあげているお香は,あの日の匂いとよく似ていた。

(…?)

わたしはじっとそのお香を見ていたけれど,背後に誰かの気配を感じ,肩越しに振り返った。

「…あ」
「おひとつどお?」

柔らかに光る銀髪に,真っ先に目を奪われた。
白い着物を粋に着こなしたその男性は,とろんとした眼差しでわたしを見下ろしている。言葉の内容
から察するに,さらに『鳩栄堂』と書かれた前掛を見るに,この人も店員さんなのだろう。
でも正規の店員さんじゃなくて…たぶん『万事屋』さんの一員だと思う。なんとなく雰囲気が先程
の2人に似ている気がする。
てんで好き勝手な方向に跳ねている彼の髪は,秋空にぽっかり浮かぶ雲を思わせた。
その雲をがりがり掻いて欠伸をする様子は,やる気があるのかないのか,いまひとつよくわからない。
首を傾げたい気持ちもやまやま,わたしは銀髪のお兄さんの言葉に応えた。

「どれも良い香りですけど…仕事上あまりこういうの,つけられないんです」
「…ああ,そっか。あんた,真選組のお医者さんなんだって?」

誰に聞いたのか(おそらくあの女の子から聞いたんだろうけど)銀髪さんはわたしのことを知って
いるようだった。わたしは手にしている医療用鞄を少し掲げてみせた。

「と申します。正確に言うと,まだ見習いです」
「ご丁寧にどーも。『見習い』ねェ…大変そうだな。あんなムサイ連中の相手すんの」
「…否定はできませんね。お兄さんは『万事屋』さんですか?」
「おー。『万事屋銀ちゃん』とは俺のことよ」
「ぎんちゃん?」
「ん」

銀髪さんは小さく頷き,懐からサッと一枚の紙切れを出した。差し出されたそれを受け取って,それが
名刺であることに気付いた。

「万事屋…坂田銀時,さん?」
「そ。頼まれればなんでもやる商売やってんだ。お嬢さんも何か困ったことあったら言ってな」
「困ったこと…あ。最近沖田さんのセクハラ発言が酷」
「そういうことは俺じゃなくて『オー人事』に言ってくれ」
「…」
「なにその『役に立たねェな』な視線」
「…いえ別に」

わたしは咳払いをして,銀髪さん…もとい坂田さんに問いかけた。

「万事屋さんも大変そうですね。このご時世だもの。色々と頼みごとされてお忙しいでしょう?」
「そりゃあ忙しいよ。結野アナの天気予報見て,ジャンプ読んで,苺牛乳飲んで,パフェ食って,家賃の
 回収から逃げて,場末の酒場で酒飲んで,二日酔いと戦って…」
「どこが忙しいんですか,どこが。わたしが言うのもなんですけど,生活費大丈夫なんですか?」

半眼で見上げると,坂田さんはのほほんとした顔でへらっと笑った。

「あー。なんだかんだ言って大丈夫なんだよ。たまに一発でかい仕事が入るから。マシンガンじゃ
 なくて大砲なんだよ,稼ぎ方が」
「…ふふ。わかりやすい喩えですね」

奔放だけれど的を射ているのだろう彼の科白に,わたしはつい噴出してしまった。
面白い人だ,と思った。
人の警戒を解くのが上手いというか,心の壁を取り払うのが上手いというか。
坂田さんと話していると,まるでずっと昔からの友人だったかのような気分になってくる。

「ああ,そうだ。今ちょっとしたサービスやってんだよ」
「え?」

ひとしきり笑ったところで,坂田さんがぽんと手を打った。前掛のポケットからがさがさとチラシを
取り出して,「これっ」とわたしの方に向けて広げた。

「1回300円ぽっきり。お客さんが今身に着けている物1つに,お好きな香をお焚きしまーす」
「へえ…素敵なサービスですね」

仕事上普段使う機会が全然無いから,お香を一式買う気はあまり起こらないけれど,300円で1回
焚いてもらえるのなら,ぜひお願いしたい。お手軽にお香を楽しめる良い企画だ。

(扇子に焚いてもらおうかな…いや,やっぱりハンカチに焚いてもらおう)

わたしはいそいそとハンカチを出して,

「じゃあこれに焚いてください」
「あいよ。どの香にする?」
「えっと…」

ちらりと『その香』を見た。
馥郁と香る あの人の香を。

「…それにすんの?」
「はい」
「なんか…あんたにゃ似合わねェんじゃね,これ。つーか男物だろ,これ」

坂田さんは意外そうに目を瞬かせた。たしかに…その香りはわたしが身につけるにしては,重厚感が
あり過ぎるし,独特な渋みと切れ味を含んでいる。だから坂田さんの反応は至って普通で,彼は隣の
棚に置かれた薄紅色のお香を手に取った。

「こーゆー甘い匂いのがよくね?若い女にゃこっちだろ」
「…これがいいんです」

勧められた手前そのお香も一応手に取ってはみたけれど,わたしは頑なに「こっちが良い」と言った。
すると坂田さんはわたしの顔をしげしげと見つめ,やがてにんまりと笑った。

「ひょっとして彼氏のと同じ,とか?」
「かっ!?ち,違います!」

ほとんど反射的に否定した。つい小1時間ほど前まで,お団子屋さんで散々からかわれたのに。
ここでもからかわれるわけにはいかない…精神衛生上。
そう思ってわたしはきっぱり首を振ったというのに,坂田さんはやはりにやにやと笑っている。

「んじゃ~なんでその匂いなんですかァ」
「…べ,別に良いじゃないですか。お,男物の香を女がつけちゃいけないって法律でもあるんですか」
「無ェな」
「そ,そうでしょ」
「…」
「…」
「はいはい,これがいいのね。んじゃ300円ね」
「…はい」

再び火照ってしまった顔を髪の毛で隠しつつ,わたしは鞄から財布を取り出した。坂田さんは笑いを
堪えるかのように(というか紛れもなく堪えている)片手で口元を押さえている。もう片方の手で
そのお香をひょいと掴んで,「店長ー。このハンカチに香焚いてくださーい」と気だるげに店の奥へ
呼びかけた。そして,

「お代はあっちでヨロシク」
「あ,はい」

坂田さんはレジの方にすたすた歩き出したので,わたしもその後に続いた。

(…)

歩いている最中,見るともなしにその後ろ姿を見つめた。
秋空の雲のような髪だと思ったけれど…むしろ坂田さん自身が雲のような人なのかもしれない。
彼の背中はとても広くて,それでいて穏やかで。

(『男は背中で人生を語る』と言うけれど,女はどうなのかな)

ふと,そんなことを考えた。

(『女は背中で人生を見抜く』…とか?)

でも,わたしは女としてそこまで成長できていないと思う。
たとえ男の人が背中で語ってくれたとしても,その声を聞き取ることはできそうにないから。
でも…いつかはちゃんと聞き取れるようになりたい,と。そう思う。
いつかあの人が背中で語ってくれた時,ちゃんとそれを受け止めたい。それができる女性になりたい。
『いつか』なんてそんな日…いつ来るかわからないけれど。

「この匂いつけてる奴とさァ…」
「え?」

坂田さんはこちらを見ないまま,背中を向けたまま話しかけてきた。
彼のゆったりとした後ろ姿は,わたしを温かく見守ってくれていた。

「もっと仲良くなれると良いな。この匂いつけてる奴と」

からかうような口調ではなく,かといって真剣に祈るような口調でもなく。
『明日天気になると良いな』って。
そんな日常の小さな願いを そっと呟くように。
彼は言った――空のようにおおらかな背中で。

「…そうですね」

わたしの心にも 空が広がってゆく。
青い想いで 胸が満たされてゆく。

「もっと仲良くなれたら,良いですね」

わたしは今日1番の素直な気持ちで,照れることも隠すこともなく頷いた。
そこには一片の嘘も躊躇いもなかった。

高く澄みきった 雲ひとつない秋晴れのように。