お妙と九兵衛が去った後30分くらいして,

「あーもしもし。お邪魔しまーす」

美声の割にはどことなくのんびりとした挨拶が,玄関から響いて来た。
今日は千客万来だなと思いながらそちらを覗くと,きりっとした眼差しの長髪の男と,彼の相棒である白い大きな
ヒヨコのような男(?)が立っていた。

「桂さん」
「エリー!何しに来たネ。トイレでも借りに来たアルか?」

神楽の本気とも冗談ともつかない台詞に,桂は生真面目な表情を崩すことなく,

「この近くに用があったものでな,寄ってみた。あっトイレは後で貸してくれるか,リーダー」
「勝手にするアル」

至って真剣な桂の返答に,神楽がいくらか投げやりに半眼で応じた。
桂はの用意したスリッパに足を通すと(エリザベス用のスリッパは無い)(悪いが彼は素足だ)(というか
『素足』なのだろうか?),勝手知ったる我が家然ですたすたと家の中に入って来た。

「お茶淹れますね」
「いや,構わぬ。座っていてくれ。お腹の子に障るだろう」

が台所に行こうとすると,桂が慌てたように早口で引き止めて来るので,思わず噴き出してしまった。

「お茶を淹れるくらい大丈夫ですよ。今も家事はほとんど前と同じようにやっていますし。それに,少しは
 運動した方が良いんですよ」
「そ,そうか」

頷きながらも安心出来ないのか,気遣わしげな視線を注いでくる彼に,心配性なところが自分の旦那にそっくり
だな,とはこっそり笑った。やはり幼馴染はそういうところが似るのだろうか。
将来もしも桂に子供が出来たら,きっと親バカになるだろうし,奥さんも子供も幸せだろう。

「そうだ。実は土産があるのだ。なぁ,エリザベス」

桂にそっくりな子供を勝手に思い浮かべて微笑んでいると,エリザベスがずいっと大江戸スーパーのビニール袋
を掲げた。
彼のプラカードには『どうぞ召し上がれ』という台詞の最後にハートマークが描かれている。

「何アルか?……海臭っ」
「あっ海草?それに大豆も!」

いくらか露骨に鼻を摘まむ神楽の隣からも覗き込んだ。
袋の中には,ワカメや海苔などの海藻類と,大豆の缶詰が5個入っている。目を輝かせるの前で,桂はピッと
人差し指を立てて教師のように解説を始めた。

「うむ。海草には,ミネラルや葉酸が多く含まれていると聞いてな。妊婦さんは積極的に摂ると良いそうだ。
 ただし,食べ過ぎには注意が必要だ。あと,ヒジキは買わなかった。なんでも,ヒジキはヒ素含有量が多いらしく
  てな,妊婦には危険だ。下処理をすれば食べて良いようだが,面倒だろうから買わなかった。大豆はたんぱく質や
  カルシウムが豊富だから買ってみた。豆類は缶詰だから保存も効いて便利だろう」
『さすが桂さん』

エリザベスはプラカードをあげつつ,器用にパチパチと拍手をしている。シュールな光景だなあ,と思いながらも
つられて拍手した。

「調べ過ぎてて逆にキモいアル。でも,ヅラにしては気のきいた土産アルな」

憎まれ口を叩く神楽だが,興味津々で袋を握りしめ,中をじっと見つめている。
は神楽の頭を撫でながら,桂にお礼を言った。

「ありがとうございます,桂さん」
「気にするな。子供は社会全体の財産だ。俺にとっても大事な宝だ」

こういうことを,何でもないことのようにさらりと言えるあたりが,やはり凡人とは違うのだろう。
彼はいずれ歴史に名を刻むことになるだろうな,とは思った。

「それにしても…物が増えたな」

桂はお茶を口に含みながら,周囲を見渡して苦笑した。
彼が笑うのも無理はなく,居間は既に赤ちゃん用の玩具やぬいぐるみ,新品の乳母車やベビーベッドで占拠されて
いた。まさに所狭しと並べられているそれらを見回して,もくすくす笑った。

「皆さんが色々と持って来て下さるんです。坂本さんからはベビー服が沢山届いたんです。スタイとか靴下も。
 あと,この揺り椅子も。『妊婦と言えば揺り椅子で編み物じゃろ!』って手紙付きで」
「ふっ坂本らしいな」

目を伏せて微笑んだ桂は,瞼の裏に旧友の姿を思い描いているのだろう。
は言おうか言うまいか少しだけ迷った後,出来るだけ平静を心がけて,

「それに…高杉さんからも」
「高杉から…?」
「ええ」

袂を分かつた,もう1人の旧友からの贈り物について話した。驚いて目を見開く桂に,

「はい。あの大きなテディベアは,高杉さんが送ってくださったんですよ」
「…そうか」
「高杉さんが,どういう経緯で懐妊をご存知になったのかは,わたし達にもわからないんですけど…」
「銀ちゃんは『爆弾でも仕掛けてあるんじゃないのか』とか『盗聴器が埋め込まれてないか』とか心配してたアル。
  けど…そんなことはなかったネ」

何考えてんだか分からない男アル,と神楽がベビーベッドに座っているクマを指さすと,エリザベスが『まったくだ』
とプラカードを掲げた。その隣で,桂は考え込むように腕組みをした。そして,

「そういえば,高杉は不思議と子供に懐かれる奴だったな」
「そうなんですか?」
「マジでか!」

今度は達が驚く番だった。
銀時から高杉の話を聞く限り,それほど…子どもから好かれそうな気性の持ち主とは思えないのだが。

「うむ。高杉自身はいつも顔をしかめていたのだがな,なぜか子供等の方から寄って来ていた」
「…そうですか」
「…意外アル」

憎しみを盾に,哀しみを刃にし生きる男だと聞く。
自分を取り囲む世界を忌む以上に,自分自身を憎悪している男だと。
そんな男が,子供達に囲まれて困った顔をしているとしたら…こちらまで救われた気持ちになる。
彼にも,癒される時があれば良いと思う。
心慰められる時が,少しでもあれば良い。本当にそう思う。

「子供にはわかるのかもしれぬな…大人が察することのできぬ何かを」
「…ええ」

我知らずお腹を撫でていたの手元を,桂は見つめてフッと笑った。
「撫でてもいいか」と問われ,「どうぞ」と答えると,本当に宝にでも触れるかのように柔らかに,桂はの
お腹にそっと触れた。
いずれこの国を変えるであろう男の,大きく温かい手のひらだ。

「この子には見せてやりたいものだ。真の日本の夜明けを」
「…はい」

が微笑むと,桂も深く頷いた。
さながら宗教画に描かれるワンシーンのような,そんな神聖な空気があたりに漂っていた。
…が,桂は唐突に目をキッと鋭く細め,敵を見つけた時の野生動物のように短く唸った。

「むっ!」
「え?」
「どうしたアルか?トイレ我慢できなくなったアルか?」

何を察知したのか,桂は玄関の方をじっと見つめ,人差し指を口につけて,

「トイレに行きたいのはやまやまだが…どうやらお暇する時間らしい」

と神楽に,ヒソヒソと小声で耳打ちした。その所作はなぜかコミカルで,先程までの神聖ささえ感じたあの
空気はどこへやら,だ。

「え?それってどういう…」
「すんませ~ん」

聞き返そうとしたその時,なんとも間延びした声が玄関から響いてきた。
この敢えて垢抜けていない,緊張感をこそげ落としたかのような声は…

「この声は…沖田さん?」
「というわけでさらばだ,殿,リーダー!体をくれぐれも大事にな!」

いつの間にそこまで移動したのか,エリザベスが『糖分』額の下の窓をガラッと開けた。
桂もまた電光石火の早さで窓際まで辿り着き,と神楽を振り返った。
そして,人差し指と中指をビシッと立てて「バイビー!」と一声あげ,相棒と共に身を外へ躍らせた。

「ありがとうございました~!」
「『バイビー』は古いアル!あとトイレには早く行くヨロシ~!」

風のように去っていった革命家へ,2人はそれぞれに見送りの言葉を投げかけた。



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「どーもお邪魔しやーす……ん?今,誰かいやした?」

さすがに鋭い。飄々とした風体で現れつつも,気配に敏感なのは伊達に真選組一番隊隊長ではない。
は件の者たちが出て行った窓を静かに閉めつつ,にこやかに笑いかけた。

「こんにちは,沖田さん。誰も来ていませんよ。…あっ土方さんも。こんにちは」
「おう」

沖田の横に立つ真選組副長が,短い挨拶と共に片手を軽く挙げた。神楽は沖田を極めて胡散臭そうな目で見て,

「そんなことよりサディスト,お前一体なにしに来たアルか?」
「うっせェな,チャイナ。てめェに用はねェよ」
「なんだとぉ!!!」

早速喧嘩に突入しそうになっているので,は「まあまあ」と2人の間に割って入った。
2人はのお腹にほぼ同時に視線を落とし,ばつが悪そうに離れて即座に休戦した。
いいコ達だなあ,とがほのぼのしていると,土方が老舗乳製品メーカーのロゴ入りの紙袋を差し出した。

「,差し入れだ」
「…まあ」

は目を丸くした。今日は本当によくお客様が来てくれるうえに,お土産を持って来てくれる日だ。
驚きながら紙袋を受け取り,開けてみると,

「美味しそうなヨーグルトですね。ありがとうございます」

見るからに高級そうなプレーンヨーグルトの瓶が,部屋の照明を受けて白く光っていた。のお礼に,
土方は面映そうに肩を竦めた。

「礼なら近藤さんに言ってくれ。こいつァあの人が買ったんだ」
「随分高級そうなヨーグルトですね。なんだか申し訳ないです,こんなに気を遣っていただいて」
「いいんだよ,ンなこたァ。あの人,あれで高級取りだからな。気にすんな」

土方はさも小蝿でも払うかのように右手をしっしっと振るので,はクスクス笑った。
そして,姿の見えないヨーグルト購入者を目だけで探し,

「近藤さん,今日はどちらに?」

神楽と無言で睨み合っている沖田に問いかけた。
沖田は,尖らせていた瞳から即座に警戒を解き,に向き直った。

「警察庁の重役会議があるんでさァ。時間ぎりぎりまで『ちゃんにくれぐれもよろしくな!お腹の
 赤ちゃんにも!…あ~やっぱ俺もそっちに行こうかな』って悩んでやした。ちなみにそのヨーグルトは
 普通に売ってるやつよりカルシウムが多いらしいでさァ。近藤さんが1時間もかけて選んでやした」

日頃からよく見ているからか,近藤の真似がかなり上手い。は思わず声を立てて笑った。

「じゃあ近藤さんに『ヨーグルトをありがとうございました。またいつでも遊びにいらしてください』って
 伝えてくれる?」
「了~解」

沖田は軽く敬礼し,前屈みになってのお腹を興味深そうにしげしげと見つめた。

「んで,調子はどうですかィ?」
「うん。順調よ」
「触っても良いですかィ?」
「もちろん」

は揺り椅子に腰掛けて,どうぞと彼を見上げた。沖田は膝を折ってしゃがみ込み,自分の目との
お腹を同じ高さに合わせた。そして,

「おーい。父ちゃんだぞ~」
「何ふざけたことほざいてるアルか!嘘ヨ~!こんなサディスト,お前の父ちゃんじゃないネ!」

衝撃的というか笑劇的な発言をかました沖田の後頭部を,神楽が0コンマ1秒でぶっ叩いた後,お腹に向かって
フォローの言葉をかけた。

「なにすんでィ。痛ェな」
「お前の方こそ純粋なベビーになにするネ!」
「沖田さんだと,随分と若いお父さんになるわねぇ」
「年齢の問題じゃないアル,!」

のんびり微笑むに,神楽が必死な形相で叫んだ。
どうやら本当に「赤ちゃんが沖田をお父さんだと勘違いしたら大変!」と思っているようだ。
ほんの冗談よ,と笑うと,神楽はホッとしたように一息吐いた。そんな賑やかな3人の横で,

「…」

じっと黙ってのお腹を見ている男がひとり。
は小さく笑って彼を手招いた。

「土方さんもどうぞ撫でてあげてください」

呼ばれた彼は,驚きと戸惑いと喜びをいっしょくたにしたような複雑な表情で,

「…い,良いのか?」
「もちろんですよ。たくさんの人に撫でてもらった方が良いんですって」
「そうだよ土方,撫でてやれよ。この時のために昨日の夜から1本も煙草吸わなかったんだろーが。気遣いが
 行き過ぎてキモイと言われる土方,撫でてやれよー」
「総悟。お前,後で殴るから覚悟しとけよ」

部下からの茶々いれにきっちり言い返したうえで,土方は至極真剣な眼差しでの前に屈み込んだ。
まるでなにかを決意表明する時のような神妙さだ。それから,手のひらを自分のジャケットに何度かごしごしと
擦り付けた後で,そっとのお腹に触れた。

「…」
「土方さん,むすっと黙っていねェで何か声をかけてやりなせェ」
「な,なにかって…あ~と…」

土方は,沖田の横槍に汗をかきそうなくらい悩み,数秒唸った後に咳払いをした。

「…げ,元気にしているか?」
「…!」

その声掛けに 返事をするかのように。
その存在を 主張するかのように。

「…っ」
「どうした!?」
「どうしたアルか!?」
「どうしたんでィ!?」

眉を寄せて俯いたへ,3人が同時に同じことを叫んだ。
何が起こったか分からず狼狽している彼らに,無事を知らせるため笑いかけた…まだ『感触』が残っている
ので,どうしても苦笑いになってしまったが。

「今,お腹蹴ったの…すごく元気に」
「ああ…」
「よかったアルな」
「肝が冷えやした」
「ごめんね,心配かけて」

赤ちゃんからお腹を蹴られる時はいつも,自分のお腹が薄い布袋にでもなったかのように感じる。
本当に薄い皮一枚隔てたところに,すぐ傍にいることを再認識させられる。
そして,もうすぐ会えることも。

「謝ることないヨ!マヨラーに触られて,びっくりしたアルな!」
「…すまん」
「いや深刻に落ち込まないでくだせェ。嬢が余計に気にしちまいやす」
「……すまん」
「土方さん,謝らないで下さい。赤ちゃんからお腹を蹴られると,むしろ幸せな気持ちになるんですから」

がそう声をかけても,土方は「ずーん」という効果音が聞こえてきそうな程に暗い影を背負っている。
すっかり落ち込んでしまった土方を,沖田は慰めるつもりなのか(いや彼に限ってそれはないか),ぽんっと手を
打った。

「ひょっとして旦那と間違えたんじゃないですかィ?」
「…は?」

完全に予想外だったのだろう沖田の発言に,土方が目を見開いた(というより瞳孔が開いた)。
自分の旦那と土方は似た者同士だと常々思っているは,唇を綻ばせた。

「ふふふ。そうかも。間違えちゃったね~パパとよく似てるもんね~」
「…」
「なに満更でもない顔してんだ。マジでキモいんですけど,この人」
「総悟,そこに座れ。ぶん殴るから」
「嫌でィ」

にこにこと笑いながらお腹を撫でるの横で,土方と沖田が掴み合いを始めた。
神楽は眉に真剣さを漂わせてお腹に向かい,

「違うアルヨ~。お前の父ちゃんはなァ,サディストでもマヨ王子でもないアルヨ~坂田銀時アルヨ~」

よくよく言い聞かせるように,ゆっくりはっきりとした口調で告げた。
土方と沖田は『肘で小突き合う(ただし本気の)』という地味な喧嘩を始めている。
おそらくに気を遣っているのだろう。ここでは派手な立ち回りをするつもりはないらしい。
陽気な彼らを見ていると,の胸にしみじみと幸福感が湧いて来て,知らず知らずの内に笑みを浮かべていた。


それから20分くらいして,土方と沖田は市中見回りに戻って行った。去り際に,

「旦那にもよろしくお伝えくだせェ。前にも言ったけど『女は腹抱えて子を生む。その分男は頭抱えて子を
 育てるのが筋』ってもんでさァ」
「にしても,あの野郎が父親になるとはなァ。正直信じらんねーわ」
「そうですねィ…」
「「でも,」」



あいつは良い父親になると思う。



彼らからのとても珍しい賛辞を,必ず夫に伝えようとは心に決めた。